ヤマブキオー
ヤマブキの花を見ると、70年代を駆け抜けた鹿毛の競走馬ヤマブキオーを思い出す。一体いつまで走り続けるのだろうと、衰えを知らないオーナー思いの孝行馬を追いかけていた。じつは昔、日高で牧場を営んでいた祖父が、ある出版社社長の買い付けた若馬数頭を預かり育てていた。その中の牝馬一頭がデビューすると、秋までに四連勝してしまい、すっかり競馬にハマってしまった。運が悪いといおうか、その当時の部屋の相棒があの権師匠だったから、大変!週末は二人で競馬新聞とにらめっこに・・・。
ヤマブキオーは八才まで走り続け生涯成績は、47戦20勝。複勝率は約66%。賞金総額が約三億。無事これ名馬というが、まさにヤマブキオーはそれを実証した馬だった。
2013年4月 2日 12:41 | カテゴリー: 歩キ眼デス
コメント
あの花は山吹の花なのですね。去年も山吹の寫眞を拜見したので、もう一年經ったか、と時の流れの速さに驚きました。
ヤマブキオーと言ふ馬は知らなかったので調べて見ましたら、父パーソロン、母アサマヒカリ、森末之助調教師に調教され6年間走った息の長い馬で、主に中距離が得意だったので「昭和のマイラー」「オープン大將」の異名があったとか。孰れにしても競馬をやる人の間では有名な馬だったのですね。
僕の友人の新田と言ふ男も北海道日高に牧場を持って居たので、北海道と言ふと廣々とした牧場(まきば)と言ふ感じがします。彼の娘はそんな譯で藍さんと同じ獸醫になりました。唯、彼女はペットの醫者で無く、馬の醫者です。
A)
この時代の馬の話をすると興奮してきます。
ライバルにアイフルという連対率の高い馬がいて、随分稼がしてもらいました。
おおらかで楽しかった時代です〜♬
いつだったか、牧場の柵の前で記念撮影をしていたら
後ろにいた子馬に肩を噛まれたことがありました。
痛いのなんのって〜(T_T)
子供の頃、牧場内を壊れかかったジープでヨロヨロと運転した記憶も甦ってきました。
馬の獣医ですか、きっと牛だって診ますね。
いい仕事を選んだなあ〜(^^♪
2013年4月 2日 19:17 | 雅蘭洞英齋居士
あの星のお方とこちらの星さんとはそういうご関係だったのですか。昔、宝塚の阪神競馬場(?)に行ったことあります。パドックで馬に白目でぎょろっと見られたような気がしてドキッとしたなあ。お腹に赤ん坊がいて、そのせいか、よく蹴る子だった。遠い遠い昔のことです。
A)
馬には、いろんな想い出があるんですね。
お子さん、きっと元気に育ったことでしょう〜
知人には、全国の競馬場廻りを楽しんでいる輩がいますよ。
2013年4月 2日 20:16 | ~ふ~
呼んだ?
まだ調子が悪く、ひかえめに登場!
昨日の夕飯は思い出せないのに、40年前のこの馬はクッキリと見える。
世の民がハイセイコー・タケホープ対決などと盛り上がる中、4コーナーを廻ってスッと抜け出したのは・・・なんだこれは・・・ハイ、ヤマブキオーでした。
私の好きなストロングエイトも居たのに、ワッハッハッとVサインを出しながらゴール板をトップで駆け抜けて行った平場の王者・ヤマブキオーーー!!!
20勝は今でも中央競馬最多勝記録なのだろうか?
A)
呼んだわけではないけど〜来るかなあ〜と・・・(^^;
そうだ、あのレースを覚えている!
なんであの時代、どの馬も個性的に見えて親しみを覚えたのだろうね。
しかも人間以上に・・・
スロングエイト!強いのか弱いのか・・・
たしか胴長の大きな馬だったかなあ〜。
20勝は記録なのか!?
あ〜ヤマブキオーになりたい〜♡
2013年4月 3日 04:49 | 権之助
懐かしい思い出でですね。
権師匠さんとは、その頃からのお友達だったのですね。
祖父が育てられたヤマブキオーなら熱の入りようも大変なことだったでしょう。
A)
そうなんですね。
当時私たちは、額に星をつけていたお馬さんを追いかけていました (^_^;)
ヤマブキオーは、別の牧場ですよ。
書き方がマズかったですね。すいません〜
2013年4月 3日 08:16 | tama
権先生とは馬友だったんですね〜。
私は馬が大・大・大好きで・・・
シンボリルドルフ、テンポイント、オグリキャップ、ナリタブライアン、ディープインパクト、オルフェーヴルetc…
強い子ばっかり!?いえいえ、可愛い子ばかり♪
たまりません♡(*´艸`*)
A)
お元気!?
(^_-)
権師匠は、馬小屋で生まれたのか!と、当時は思っていました。
耳にはいつも赤ペン、手には競馬エイトを握っていました。
上がり何ハロンがどうだの、血統があ〜だのと
それはそれは、凄かった〜(^^;)
それにしても、猫だけでなく、馬もねえ〜 ^o^
知らなんだ・・・
観にいくときは、少しは買っているのかな?
2013年4月 3日 20:04 | 撫子
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