手考足思


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本を読んでいたらこんな言葉が出てきた。「手考足思」。「手で考え、足で思う」。なんかうれしくなるような言葉だ。じつは筑紫哲也氏の著書「旅の途中」のなかで紹介されていたのだが、もともとは陶芸家の河井寛次郎の著書名。頭だけでものを考えるのではなく、手で土をこね、足でろくろを蹴って作品を作っていく陶工のありようを述べている。思えば、昔の人はほとんど「手考足思」で暮らしていたわけで、知恵はこうした繰り返しの日々のなかから生まれてきたのだから、「まさに!」となる。鍬をおろす、絵を描く、料理を作る・・・そして歩く。何かを始めようとしたら、手と足に相談するのが良いのかもしれない。
これは「歩キ眼デス」や「吟行」にも通じるのではないかと、またまたうれしくなり、この言葉のもつ奥の深さをしばらく噛みしめてみようと思う。


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しかし不思議だ。好きな人からはいろんなことが繋がる。この本だって、敬愛している写真家星野道夫の名著「長い旅の途上」が伏線にあって、手を伸ばした本が、やはり好きな筑紫哲也だった。そしてこの本の中で、彼は無頼派といわれた本田靖春の全集をぜひ読みなさいといっている。
じつは無頼派にも、弱い。



コメント

「手考足思」なるほどです。私は細かい作業も多いし指?思うのはどこだろ?
足使ってないので、座って思うから骨盤?背骨?歪むと辛いから。
「指考骨思」
足を鍛えて、歩キ眼デスをして、表現の幅を広くしたいです。
頭で考えたり思ったりを越して、感性を身体に叩き込みたいです。

A)
余裕をもっていないと、なかなかそうはいきませんよね。
「指考骨思」は面白いです〜(^^♪

骨盤で思うというのはヨガの精神に通じるようで、蘊蓄がありそうです。
歌も出来ないときは、頭で考えていますね・・・

骨からでるような歌、読んでみたい〜!

2013年6月 3日 11:17 | かに

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