N君のこと
彼の家に到着。雨で瀬戸内海の眺望が・・・残念
昨日、松山から帰ってきました。先週の金曜日、台風26号を迎え撃つかのように飛行機は高松へ。約一時間半、台風と激戦の末、なんとか高松へ着陸したときには、身体は硬直。ロボット歩きをしながら出口に向かうと、古い友人N君が、ニコニコしながら待っていた。四国を訪れるのは四回目で、高松は三度目。毎回N君が駆けつけて、最高のおもてなしをしてくれる。
奥さん、お母さんを亡くした彼は、自宅のリビングを改装し、週末カフェを始めた。
自ら料理を作って、訪れる人達に喜んでもらうことで、元気をもらっていると言う。
彼と出会ったのは、もう40年前。中野の小さなアパートで、一人暮らしを始めたばかりの頃だ。深夜、仕事が終わってアパートに帰ると、すぐに洗面道具をもって銭湯に駆けつける。身体を洗っていると、番台にいたおやじさんが入ってきて、ブラシで床の掃除を始めるので、椅子をずらしながら移動する。隣で同じことをしていたのが、彼だった。そして顔を合わせるたびに話すようになった。
彼は何でも作る。ピザ釜(写真上)もデッキも石垣もビーチまでの階段も
雨が降らなければ、ここでピザをご馳走になる予定だったのだが・・・・
彼は、母をひとり高松に残し、デザインの仕事を覚えようと五年間、修行をするつもりだと言った。志も高く、なぜか気が合った。こちらは四畳半で、彼は三畳間。今思えば、信じられないような狭い部屋で、お互い赤貧の生活をしていた。やがて些細なことで大家さんと言い争いになり、アパートを出ることになった。すると彼も同じような不満をもっていたらしく、一緒に出ると言った。その後、移ったアパートでも隣同士になり、本の貸し借りや週末のランニングなど、正しい青春まっしぐらをして過ごした。
プライベートビーチには、台風が運んだゴミが漂着。N君は、ここから
カヌーやカヤックを出して、素潜りでタコやサザエなどを採っている
五年の月日が流れ、別れの時、彼はこう言った。「お前がいなかったら、つまらない東京だったかもしれない。五年間、ありがとう」と。
出会いから40年。「お前がいたからこそ、今日の俺がある」と言ってくれる。
友とは、ありがたいものだと思う。
ご自慢のMGBも紹介してしまおう
2013年10月29日 15:27 | カテゴリー: 歩キ眼デス2
コメント
やっぱり雨男!?(笑)
お天気に恵まれなくても、充実の四国旅だったようで
よかったですね。
最後は熟女に囲まれて~~~^^♪
後編、楽しみにしてまーす。
A)
雨は、この日まで。
翌日の石鎚山は、バッチリ上がりました。まだ運からは見放されていません。
熟女!?不謹慎な〜 (^_^;)
そこに辿り着くまで、幾多の苦難があるのです・・・・
2013年10月29日 16:17 | 空
かけがえのない 大切な友人は宝物ですね!
お二人の人柄 男同士の絆を感じます。
28日朝「NHK」で石鎚山をやっていました。(小さな旅?)
松山には娘が4年近くいて 何度も行きました。
良いところで 好きな町です。
パート2が たのしみ?
A)
松山のホテルで石鎚山を見ていましたよ。
まあ、何という偶然!
台風の影響か、水がアチコチ岩から吹出すように流れ出ていました。
続きは今日に〜
松山は、良いところですね。
27の朝、松山城から360度の市内と瀬戸内の海、そして伊予の山々を眺めていたら
しみじみここの街は、良いロケーションにあるなあと思いました。
それに観光の街のせいか、誰もが優しいです。
おもてなしの街ですね。
2013年10月30日 09:50 | おかいこさん
昨日2時過ぎにパソコン開きましたが変わっていなかったので
ちっと心配してました(-"-)
御無事でお帰り良かったです。
素敵なお友達がいらっしゃるのですね。
苦労している時に結ばれた友情は熱いですね。
感じの良いお店です。さぞたのしかった事でしょう。
A)
石鎚山は寒さと風の強さだけで、危険はありませんでした。
N君は、高松に戻ってからゼロスタートでした。
笑顔と持ち前のバイタリティで頑張ったのでしょうね。
リビングからは、日の出から日の入りくらいまで眺められるんです。
一日座っていても飽きませんよ。
2013年10月30日 14:59 | tama
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