朝日歌壇
一昨日の朝日歌壇にこんな短歌が選ばれていた。
言い値にて 雑誌を売りて 得たる金 三日の命を 養ふに足る
作者の住所明記には〈ホームレス〉とあった。また、ひとり現れた・・・。
四年ほど前、朝日歌壇に彗星のごとく一人の歌人が現れた。自称「ホームレス」の公田耕一さん。わずか十ケ月の間に四十首、ほぼ毎週のように、異例の頻度で入選を重ね、いつの頃からか「ホームレス歌人・公田耕一」と呼ばれるようになった。しかし、ある時からプツリと歌が途切れた。
こんな歌を詠んでいた。
柔らかい 時計を持ちて 炊き出しの カレーの列に 二時間並ぶ
パンのみで 生きるにあらず 配給の パンのみみにて 一日生きる
鍵持たぬ 生活に慣れ 年を越す 今さら 何を脱ぎ棄てたのか
百均の「赤いきつね」と迷いつつ 月曜だけ買ふ 朝日新聞
哀しきは 寿町と言ふ地名 長者町さへ 隣りにはあり
親不孝通りと 言へど 親もなく 親にもなれず ただ立ち尽くす
日産を リストラになり 流れ来たる ブラジル人と 隣りて眠る
月曜になると、決まって彼の歌を探していた。彼はどんな人なのか・・・。やがて彼を歌う歌も選ばれるようになった。新聞社は、連絡を求める旨の記事を掲載した。そして『ホームレス歌人のいた冬』という本も出版された・・・。
神宮の森を歩いていたら、ビルの隙間からこぼれた夕暮れの光が、一人のホームレスを照らしていた。夜は、温かなところで眠れるのだろうか。この季節、彼らを見ると、いつもそう思う。
2013年12月 4日 12:11 | カテゴリー: 歩キ眼デス2
コメント
感情が読み込んでないぶん、なんだかグッときますね。
「柔らかい 時間を持ちて」や「何を脱ぎ捨てたのか」にそのひとに少し触れたような気がします。赤いきつねより新聞を買われてたというところが、短歌を詠まれていたのが、心の支えだったのでしょうか。今は温かい部屋にいらしてほしいと思います。
A)
住所明記に<ホームレス>と入っていなくても、
歌から作者が置かれている立ち位置がわかりますね。
とはいうものの、ホームレスの言葉が歌の側に置かれると、歌の重みが違ってきます。
自分の暮らしを見つめることにもつながった歌の数々でした。
公田さんのことは、いつかまた書きますね。
2013年12月 4日 16:28 | かに
例年ならば 早めの小春日和に 張り替える障子を朝から洗って 漸く張り終えてほっとして パソコンに向かう。
急いで月曜日の新聞を見ました。
何気なく目を通していただけなので これからの歌も気になりますね・・・
今から 大先輩の歌友から 送られてきた 沢山の採りたて野菜をスケッチ(イタズラ画き)して お礼状を書きます。
A)
師走らしい日々を送ってらっしゃいますね (^^ゞ
採りたて野菜、いいですね。
それを絵手紙になんて・・・
受けとった人は、きっとまた送らなくては、と思うはずです。
礼状をキチンと書ける時間がありません〜〜(^^;
僕は、テニス仲間から自慢の畑で作ったという豆をごっそりいただきました。
豆好きは、毎年ありがたく頂戴しています。
2013年12月 4日 17:07 | おかいこさん
この歌悲しくなります。
働きたくても働けない人・身寄りがない人等、高齢社会の現状ですよね。そして家族との絆が希薄だったり、地域の交わりがないとかで一人寂しく暮らして行かなければならなくなるのですね。
今の政治は弱者に眼をそむけているように思えてなりません。
A)
毎日の糧にさえ困っている人たちがいるというのに
断捨離〜〜と言いつつも、捨てられなくて悩む人がいます。
じつは僕もその一人なのですが・・・
生きていくためには、どのくらいなものが必要なんでしょう。
モノではないのかもしれませんね。
昔、こんな写真集がありました。
「地球家族―世界30か国のふつうの暮らし」
http://gigazine.net/news/20110901_families_and_their_possessions/
2013年12月 5日 08:51 | tama
珍しいサイトの紹介ありがとうございました。
どの写真も物が少ないですね。
我が家は押入れの整理をするために物を出すと部屋いっぱい並びますよ。
昔の人は「人と家はあり使い」などと言われましたが、まったくそんな状態です(笑)
自分は不要な物はなるべく捨ててさっぱりとして逝きたいなぁと思ってはいますが実行が伴いません。
A)
押し入れは使いにくい収納スペースです。
一工夫しないと、出し入れが面倒になって、カビが生えてしまいますね。
押し入れも冷蔵庫も、少し余裕ある方が便利で衛生的かも。
捨てるとスッキリ。もう人間が一瞬、変わったような気分!
アラッ捨てたのか〜の後悔も、なれれば平気ですよ〜(^^)V
2013年12月 5日 21:43 | tama
前のバブルの崩壊の時に、ホームレスが急増した時があった。
その時、知り合ひの税理士が「昔、自營業で豪華な暮らしをして居た社長で、ホームレスになっちゃった人が多勢居ますよ」と言って居たが、「鍵持たぬ生活に慣れ・・・」と言ふ歌を詠んだホームレスの方はきっとさふ言ふ社長さんで、自宅、お妾さんの家や別莊、自動車の鍵等、嘸澤山の鍵を持って居て重かったのが、何もかも失って腰の當りがすっかり輕くなった感觸を、自嘲と諦めに似た達觀を以て詠まれたのではないか、と思った。
今度も、アベノミックスとやら言ふまやかしが崩れた時、同じ様な事が繰り返されるのだらふなぁ。
A)
この歌の公田さんは、そのような方ではなかったのですが・・・。
鍵といえば、人前でいくつもの鍵をチャラチャラさせている人がいますが
怪しくて、気持ちが悪いです。
物騒だから、習慣だから、モノが沢山あるから・・・
いろいろあるでしょうが、人前では、なんとも様子が良くないです。
昨日はメールで届く特定秘密保護法反対にいくつも著名しました。
格差社会と秘密社会、力のある者たちによって、
その壁が作られていくことは許されないことです。
2013年12月 6日 10:16 | 雅蘭洞英齋居士
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