226事件


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帝都と呼ばれていた不穏な東京は、遥か昔。先日の雪の新宿御苑



これといって、なんにもない2月26日。226事件で落語家の柳家小さんが、この事件に関わっていたなあと思って調べていたら、こんな写真に遭遇した。


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ありゃ、まあ〜、懐かしい。なんとも嬉しくなるような写真だ。戦後の落語会を背負ってきた、そうそうたる師匠が四人。どの顔も若々しく活き活きしている。「黒門町」と呼ばれた桂文楽、好いねえ〜粋で男前だった。古今亭志ん生は、もう可愛らしい顔をしている、布袋さんみたいだ。東京弁が今でも聞こえてくるような三遊亭圓生のおどけた姿、珍しい。そして青年小さんがここにいるのが不思議だが、戦後早くに真打に昇進し、期待されていた証だろう。この頃の講座で、師匠たちの話を聞いてみたくなる・・・
あ〜あ、昭和は遠くになりにけり。


コメント

 2.26事件は子供ながら、怖い思ひをした。怖いと言っても、大人達が怖がって居たから、怖く感じたのだ。
 雪が深く積もった寒い日だった(とは記憶して居る筈は無いが)らしい。浅草厩橋の家は(市電の)電車通りに面して居たのだが、憲兵が來て「箪笥を電車通りに向けて彈丸除けの形で置いて下さい」と言って來たので、番頭さんや女中達が一生懸命箪笥を運んで並べて居たのを、覺へて居る。

 結果的には浅草の方迄は反亂軍(?)は來なかったので、又、一苦勞して元に戻して居たが、反亂軍の一人として小さん師匠が「えー大騒動では御座居ますが、一席・・」なんてぇやって來たら面白う御座んしたのに。

A)
昭和の歴史的な出来事をじつにリアルに、ありがとうございます。
昭和11年ですから、ざっと計算しますと78年前!

素晴らしい記憶力でビックリです。
雅蘭洞少年が見つめていた、当時の動きが何となくイメージできます。

なんでも1483名の中にいた、小さん青年は、閉じこもっている間に
上官命令で落語で「こほめ」を演じたらしいのですが、
誰も笑わなかったというエピソードが残っています。

寄席で小さん師匠から、この時のエピソードを聞いたことがあります。
ポツポツとした話し方なのにのめり込みました・・・

2014年2月26日 15:42 | 雅蘭洞英齋居士

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