ネズミの小径


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昨日、クリニックの帰り、この細い路地の前で、ふと想い出した。娘がまだ小学校に入る頃かな。この道は「ネズミの小径」だと、娘に教えてもらった。「誰がつけた名前なの」と聞けば、「そういう名前なの」と。もしかしたら、童話の好きな誰かがつけて、そう呼ばれるようになったのかもしれない。娘たちは、公園に行くときもわざわざ遠回りして、ここを通っていた。その頃は、道の両側の塀は低く、たしか木製だった。こんな高いフェンスではなかった。
何処も彼処も、家が、小さく細いものばかりになっていく・・・。




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以前住んでいた家の前に、料理研究家の浜内千波さんの家が出来ていた
レンガの低い塀、曲線のアプローチの上にはウッド。センスがいいね〜



コメント

  前にイタリヤの會社に居た頃、知り合ひのイタリヤ人はミラノの何百年も前に建ったアパートに住んで居たが、外觀は石造りの昔の儘で、中は最先端の電化設備や居住空間で快適な住ま居であった。    彼が日本に出張して來た時、下町の隣家との間の無い混み合った家並みを見て「イタリヤと同じ地震國なのに、石造りじゃないから、あんなにくっ付いて居たら地震で崩れて火事にでも成ったら怖いね」と言って居た。

 江戸の昔、幕府は大火の時に、これ幸ひと區劃整理の爲に隠密に命じて長屋に放火した事も有った、と聞く。確かに道幅が狹過ぎて危險なので、廣小路などが必要だったのだらふ。

A)
昔住んでいた周辺は、平屋があったりして空が意外に広い所でした。
平屋の家は、塀も低く、散歩が楽しいものでしたが、代が替わると
次々に売り飛ばされ、羊羹のような家がポンポンと出来ました。
僕は「羊羹ハウス」と呼んでいます(^^;

中野区の一部は、戦後都市計画もままならぬうちに、家がどんどん建ったせいか、
まあ、道と家の関係が、オイオイど〜なっているの!?と
聞きたくなるような路地もあったりして、これでは火災が起きたら
周辺全焼ではと思います。

週末に観ているBS日テレ「小さな村の物語 イタリア」に出てくる
美しい村や街の家並みを見ていると

豊かさとは一体なんだ!?

と思わずにいられません。
全く保って羨ましい、景観に対する意識です。

嘆きの多い、今日この頃です・・・・

2014年2月28日 21:05 | 雅蘭洞英齋居士

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