雪山を歩く
今週末に、Oさんと八ヶ岳をアタックするので、雪山に少し慣れておこうと雪の高峰高原を歩いてきた。平地が雨なら山は雪。気温マイナス5度。風さえなければ、そんなに寒くはない。小屋で借りたスノーシューが、固い雪面や新雪をつかみ、なだらかな起伏をグイグイと進む。
まあ、登り始めはこんな感じ〜
途中、シャクナゲの枝が、雪の中からがわずかに顔を出している。きっとかなり積もっているのだろう。誰かが歩いた足跡と、所々の木々に結ばれた赤い布を目印にして、森の中を進む。木立をくぐり抜けるとと、ときおり水墨画のような世界が現れる。
水墨画が、浮き出ては、また遠ざかる・・・
立ち止まっては、身体に感じる自然を声を聞く。降り続く雪と景色を閉ざすガスが、全ての音と匂いを消しさっていく。時間も止まっているような感覚。
風が強くなって来た・・・
雪も深く、トレースも分かりにくくなってきた・・・
風が強く、マイナス15度くらいか・・・これ以上は無理!引き返そう
2014年3月 3日 14:50 | カテゴリー: 歩キ眼デス2
コメント
アルキさま
雪中行ですね。水彩画のような景色も魅力的ですが、くれぐれもご無理をしないように。義弟も山が好きで雪の中でビバークした経験があります。(消防隊員でした)
長編アニメの「風立ちぬ」、アカデミー賞にノミネートはされましたが、部門賞の受賞は逃したようです。宮崎監督としては最後の作品でそれなりの思惑と自信があったのでしょうが、素人から見て、力みが空回りしていたように感じます。自然体で行った「千と千尋の神隠し」のときとは何かが違っていました。中庸という言葉を想起しました。
A)
冬、どこかの雪山で過ごしたい。
雪国育ちは、その厳しさに触れて、故郷の絆を確認していたい。
そんな、感じの雪中行です。
無理をしません。ご心配ありがとうございます。
宮崎監督の「風立ちぬ」と百田晋太郎の「永遠の0」が
良く比較されていますね。
それぞれ、日本の平和を考えて作られた映画だと思うのですが
涙してしまうと、心は簡単に流されるものかもしれませんね。
中庸は、好きな言葉です。
2014年3月 3日 17:29 | ジャムおじさん
雪国育ちだから・・・? やっぱり好きなんですね~
危険な雪山に挑戦ですか?
くれぐれも 無理はされませんように。
4~5年前に 樹氷を見たくて 零下12度の雪山を歩きましたが
鼻がちぎれるのではないかと思う体験をしたことを思い出しています。
A)
冷える順番は、耳→鼻→頬・・・でしょうか。
さて、なぜに寒い雪山か!?
やはり、北国生まれだからかもしれませんが・・・
冬山の美しさと厳しさを感じたい。
この一点だと思います、きっと。
音が全くないという安らぎは、例えようがない至福です。
これも、この時期ならでは体験です。
樹氷の中は、そんな感じですよね〜 (^_-)
2014年3月 3日 19:36 | おかいこさん
星様はやっぱりお山が元気の素ですね。
四季それぞれの味わいを知り尽くしていらっしゃるから
じっとして居られないのでしょうね。
何かわくわくしてくる感じが伝わってきます。
仏語にも「自然のようを知らせんがためなり」とあります。
A)
自然を師として感じられるのが、山。
だから、心地良いのかもしれませんね。
全ての教えは、自然の中にあると思っています。
「自然のようを知らせんがためなり」で思いだしました。
寺田寅彦の言葉に
「・・・科学者になるには、自然を恋人にしなければならない。自然はやはり恋人にのみに真心を打ち明けるものだ」とあります。
科学者ではないけれど、自然を愛する気持ちは同じなので
心を開いて、言葉を待っている・・・
そんな感じで、楽しんでいます〜♬
2014年3月 5日 12:32 | tama
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