小糠雨


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傘をさす人、気にせず歩く人。今日の雨は、小糠雨というのだろう。随分昔のこと、誰かから聞いたこの「こぬかあめ」を「来ぬか雨」と解釈して覚えていた。それも随分長い間・・・。「来るのか、来ないのかの雨を、来ぬか雨とは、なかなか乙な表現だ」と感心してインプットしていたから、それが「小糠雨」と知ったときには、静かに衝撃を受けた。
「コヌカ」・・・なんだ?それ!

「玄米を精白するとき、その表皮が細かく砕けてできる粉。ぬか」。
もしかしたら、まだ他にも、記憶違いをして覚えていることがあるのかもしれない。いつ記憶の箱から飛び出すことやら・・・。

それで、ひとつ思い出した。解説者(とくに野球)が時々「それが一番ベストです」なんて言っている。昔机を並べていた先輩から「ベストは一番。言葉が重なっている。それは変」。
そんなことまで思い出させた、今日の小糠雨である・・・。


コメント

漢和辞典で雨部を見ると、あるわあるわ、使ったことない言い方、やはり梅雨があるからだね。

ごく最近聞いた話、イヌイットには雪という言葉はなくて、具体的な雪(ぼた雪こな雪等)という言葉が何百ってあるんですって。それだけ、雪が彼らの世界観の中心にあるってことよね。

言葉って生活の中から自然発生的に生まれるのかしらね。

大きな力で言葉を強制するっていうのは、どんなに苦痛でしょうね。かって、日本語もそうしたことがあるよね。

A)
そのイヌイットの雪の話を誰かとしたかったんだよね〜
北国の人間は、気温や湿度なんかで、下りてくる雪を予想できます。

イヌイットは、その雪の名前を聞くと、猟に出た方が良いか
罠をどうしかけるかと考えるそうです。
生きていくために、暮らしの中から生まれた雪の名前なのです。

言語を使わせない・・・
そうして消えて行った民族、部族がどれほどあったのか、今もあるのだろうね。

方言なんか、本当に温まる〜〜こちらが歳をとったせいもあると思うけど。

2014年7月 4日 20:09 | ~ふぁ~

 僕も星さん同樣、有樂町で待って居るのだから「來るのか來ないのか」の「來ぬか雨」と永らく思ひ込んで居ました。

 小糠の樣に、降って居るか降って居ないか解らない程の小雨と解ったのは、大分後日に成ってからですが、「有樂町で逢いましょう」では「來ぬか雨」でも十分意味が通じる樣な氣がします。

A)
そうです、そうです、「有樂町で逢いましょう」。
僕もこの曲を聴いて、確信したんです。

いやあ〜、嬉しいです。
博識の雅蘭洞さんと同じ勘違いをしていたなんて・・・(^^♪

題詠「熟」を楽しみにしています〜〜

2014年7月 6日 09:22 | 雅蘭洞英齋居士

「こぬか雨降る御堂筋・・・」っていう歌ありましたね~
霧雨のような 雨だと 歌から想像していましたが?

言葉って面白いですね~
ここは 知識の玉手箱!?いつも楽しみにしています。

A)
ひょんなことから、記憶の扉が開きます。
面白いですね。
ぞれが新しいことと繋がっていく・・・・
ブログは旅ですねえ(^^♪

オーヤン・フィフィ。まだ現役で、歌い踊っているようです。
’49年生まれ!(^^;  負けられませんね〜

2014年7月 7日 14:02 | おかいこさん

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