川辺り
大台ケ原の帰りに鴨川沿いを歩いた。夕方、人は川べりに集まってくる
山を見ると一瞬、幸せになれる。代表的なのは富士山だろう。誰かに「お天気の日、富士山の前を新幹線が走ると、車輌が富士山側にかしがるんだぞ」と冗談を言ったことがある。おらが故郷に「**富士」があるというのは、そういうことだ。
川もそうだ。川の側に住む人は、日に一度は川を見るらしい。「四国の川漁師なんかは、朝昼晩と川を見るんです」とカヌーイストの野田知佑さんが言っていた。そういえば、台風がくると、オジサンが川を見にいって落ちてしまい、行方不明のニュースが流れるが、これは関係ない話か!?(^^;
台風一過の朝、多くの人がウォーキングしていた
今朝、テレビを見ていたら、火野正平さんが我がアルキメコースをツーリングしていた。東中野駅で下車し、神田川沿いを三鷹まで走ったようだ。詳しくは今晩7時からの「日本縦断こころ旅」を。
2015年5月13日 12:32 | カテゴリー: 歩キ眼デス2
コメント
私は物心ついた時から、三方を山で囲まれながら育ったので、山が守ってくれていると思ってました。
夕陽も山に沈むので、海や街や他に沈むという感覚が、不思議でした。
富士山を初めて見た時の感動は、今も忘れません。
正平さん、朝、見ました!思わず、アルキメデスさんがいらしてないか、探してしまいましたよ。
A)
山といえば、城下町に行くと、ここなら住んでも良いかなと思うのです。
回りが山に囲まれていることが多いからね。
京都、松本、仙台、盛岡・・・金沢も。
火野正平が登場したのは、平日午後のようだから、
トーゼンいませんねえ〜 (*_*;
火野正平、なぜだかオバさんたちによくモテる。
彼も少年から卒業していないな。
2015年5月13日 14:00 | かに
川は昔から、人々の生活の眞中を流れて居る。すみだ川、セーヌ川、揚子江(長江)等々で、僕の生まれた浅草駒形の厩橋も、僕が生まれる前の年迄は木の橋で、丁度生まれた年に漸く鐡の橋に成った。其の前迄は渡し船で、厩の渡しと言って居た。祖母などは「おんまや河岸」と言って居た。
鐡の橋になってからでも、明治座で助六の芝居がある時は、浅草の藤浪さんから「助六さん江」と書いた幕で覆はれた助六の芝居の衣裳一式が船で、運ばれるのを見た事がある。
又、夏場所の觸れ太鼓が、橋の上を初夏の風を切って威勢良く渡って居て、愈々相撲が始まる、と言ふ高揚感に浸った。
A)
いつも感心しますが、よく覚えていらっしゃいますね。
見たことがあるような映像が立ち上がりますよ。
触れ太鼓は、叩きながら歩いていたんですよね。
両国に住んでいたときに、年配者が夏場所になると空豆の匂いが
蔵前の中で漂い、夏を感じたと言っていました。
川べりは、高い建物がないので、歩いていても気持ちが良いですね。
そうそう、先日の京都のある店で「水色の地に柳の枝、そこに燕」の柄の額裝を見ました。
空色が際立つ爽やかさでした〜
2015年5月14日 14:24 | 雅蘭洞英齋居士
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