フキノトウ


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あの花豆を送ってくれた方から、フキノトウが届いた。箱の中には、長野名物オヤキも入っている。すでに調理されているので、温めるだけで食べられるようだ。そして干し柿がまた一袋。頭が下がる。自分が食べるよりも人に送るのが楽しいという・・・。ありがたいことだ。
フキノトウは、今晩早くに帰ることができれば天ぷらに、無理であればフキミソとなる。

五年前の今ごろ、窓の下を帰宅民が絶え間なく新宿に向って歩いていた。
あれから、もう五年か・・・。昨日の歌会に、印象的な二首があった。

数えきれないほどの
最後の「おやすみ」が
交わされていた いまこの時間
冷たく研がれた
三日月が聞いていた


2011・3・10夜は
今夜のように本郷歌会だった
三陸でも
福島でも
誰もがいつもの夜を過ごして...


誰もが いつ何が起きるか分からないなかを 生きているのだ。


コメント

最後の「おやすみ」が
永遠のさよならになるなんて、
あの時は誰も思わなかった。

あの日も11日は金曜日。
被災地となったところの人々も
変わらぬ週末を迎えるはずでした。

いま、このときが永遠に続くということはない。
そんな当たり前のことに、
こんな大惨事が起こらなければ気づかないなんて。
希望と絶望と未来と反省と・・・
いろいろなことをないまぜにして
明日も生きていかなくてはいけないのですね。

A)
ここ1、2週間、震災後の番組を積極的に観ていました。
どうしたら立ち上がって、生きていく術を身につけていけるか。

小学6年生の女の子の悩む姿は、ヒリヒリと心が痛みました。
被災したのは小学校一年のとき。
女の子には、故郷楢葉町を思う気持ちがキッチリ残っていて
春からの中学校選びを悩み苦しみ、一生懸命考えている・・・

津波で家族を失い、生きる力を持てない男性。
何のために生きてるのかときどき分からなくなるよ・・・
なかったことにしたら、家族と過ごしたこと自体が、なかったことになってしまう。

苦しむ人、手を伸ばす人・・・
でも最後は、自ら立ち上がらなければ、いけない・・・。

いろんなことに対処できるよう、毎日を生きていくこと。
準備は怠りなく。


2016年3月11日 21:57 |

私も悲しいけれど 意識して震災の番組を見ていました。
ただただ 涙がこぼれて・・・
15歳の少年は二十歳に。ようやく前をみて進みだしたという言葉に 思わず「頑張れ!」と。
これしか言えない歯がゆさも・・・

A)
画面を見続けるのは辛いけど、目を背けちゃダメですね。
私たちは何が出来るだろう・・・そう思うことが大切なんだと
いくつかの番組から教えられました。

いつ何が起きるか分からない国に生きているわけですから。

2016年3月14日 13:04 | おかいこさん

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