正岡子規記念球場
子規がグランドを駆け回るイメージを重ねた
上野を歩いていたら、おやっという表記が目に入った。「正岡子規記念球場」。子規が野球好きだったことは知っていた。しかし冠になった野球場があったなんて、それも上野公園の中に。子規は日本に野球が導入された頃、熱心な選手でポジションは捕手。喀血して伏せるまで続けていたらしい。
一時期は自身の幼名である「升(のぼる)」にちなんで、「野球(のぼーる)」という雅号を用いた。このユーモアは、彼のイメージをとても明るくしてくれる。倒れるまでは快活な青年だったのだ。
のぼーる・・・これで「野球」の命名者は子規、と云われるようになったのかもしれない。文学を通じて野球の普及に貢献したとして、2002年野球殿堂入りをした。
九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす
2017年10月19日 22:43 | カテゴリー: 歩キ眼デス2
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