会津
会津藩は我がルーツ。血には白虎隊の哀惜が沁みているらしく、ときどきフツフツと音をたてる。会津へ行くのなら雪の冬と決めていた。会津城へ向う。天守閣からの眺望は美しかった。こじんまりとした街が広がり、四方が雪山に囲まれていた。父方の遠戚がもしかしたらどこかに住んでいるのかもしれない。そう思って眺めていると、感慨深かった。歴史が変わっていれば、出生、運命が変わっていたのかもしれないのだ。
広い武家屋敷の中を震えながら見学した
会津若松といえば馬肉らしいが・・・
2018年1月19日 17:55 | カテゴリー: 歩キ眼デス3
コメント
會津は最後迄官軍に抵抗した藩として、尊敬して居ますし、大好きです。僕も随分昔になりますが、若松城や飯盛山に尊敬の念を以てお詣りしました。13歳や15歳で自刃をするなんて凄いなぁと感心しました。
勝てば官軍と言ひますが、明治革命後は薩長が日本を再生した樣な顔をして居ますが、幕府側にも小栗上野介等、優れた人材が多勢居たのに、もっとフランス軍と緊密に手を組んで居れば、イギリス側の官軍なんかに負けて居ないで、今頃は天皇制を倒して、共和國に成って居ただらふに、と残念で溜りません。
今は江戸の大虐殺を行なった長州勢に、いい樣に政治を牛耳られて居るではありませんか。明治の元勲なんて言ふ評價は勝者の論理です。維新では無く、唯、取って替っただけの話です。
A)
寒さの沁みる若松城で、会津の苦難の歴史や優れた人物の略歴を丁寧に読んで
天守閣に上がって城下を眺めると、風景は格別なものでした。
少し前に起きたことが身近に感じたのは、人ごとではないという思いが強くなったからでしょう。
小中高と日本史の授業は、明治以降を駆け足で通り抜けます。
史実を知っていくのは、社会に出てから。
時間が許す限り、学んでいきたいと思います。
親しい友人は山口県出身。
僕に気を使ってか、生まれは山口だけど育ちは郡上八幡だからねと
酔って絡むと、彼はいつもそう言います。
もうそんなことを引きずってはいないのですが、ときどき会津の血が抑えられないんです。
勝てば官軍。
それが歴史に刻まれていくから、文学も育ってきたのかもしれませんね。
会津ファン、嬉しいです。
2018年1月19日 21:39 | 雅蘭洞英齋居士
こんにちは
お約束のコメント少しばかり。
会津城、きれいですね。半世紀以上前、新婚旅行で行きました。強烈に憶えているのは、飯盛山に夫はさっさとひとりで登っていった。私はヒールを履いていたので取り残され唖然
前途多難を感じました。エスコートなんて知らない人だったのですね。
会津藩士の子孫ですか。私の母方の先祖は播州龍野城の家臣とか、赤穂のほうがいいじゃないといったら、そんなら切腹して
あんたも私もうまれていないと祖母に言われ納得、百人一首を教えてくれました。名前は鷹野といいます。さすが武家の娘、町民と遊んではいけないと躾けられたそう。ユニークな祖母でした。
遊
A)
あら、覚えていてくださって嬉しいです。
新婚旅行に会津へ。なんて言ったらいいのでしょう(^^;
なにか縁があったのでしょうか。
エスコートを知らない・・・ギョギョ。。
気をつけなくては。
昔の方たちは、古いことをよく知っていて、楽しみといえばそんな話を聞くことでした。
って言うと、ちょっと古いかな。
旅先でお年寄りに地元の古い話を聞くと、しみじみ遠くへ来たなあと実感します。
囲炉裏などを囲んで一杯呑みながら〜、さぞ沁みるでしょうね。
龍野で武家の娘、そして鷹野さん、厳しそうなイメージです。
ちなみに僕は龍哉ですが (^^ゞ
ひと月に一回くらい、お訪ねください。
2018年1月20日 18:24 | 村岡 遊
コメントの投稿