けやき
裏高尾のいろはの森の入口に幹廻り4〜5メートルのケヤキ
巨木のある森は、護られているような安心感がある
ケヤキ並木のある街が好きだ。私の街の自慢はケヤキですと、阿佐ヶ谷の中杉通りを教えてもらったのは、もうずいぶん昔のこと。新緑が美しいトンネルをつくって、街の喧噪を鎮めていた。けやきの黒い幹と緑のバランンスは、じつに涼しげな景観をつくる。
ところがケヤキは枝を自在に伸ばし、葉をたくさんつけるために、驚くほどに剪定されてしまうことがある。見上げてガックリ。なんと哀れな姿・・・昨今の庭師というか、剪定する作業者の技術は、愛情がないというか、低くなったような気がしてならない。
2018年5月14日 17:10 | カテゴリー: 歩キ眼デス3
コメント
本当に・本当に‥‥庭師さんには悪いけど
ほとんど丸坊主にされた木、とりわけ欅の可哀そうな姿は
見たくないです。切られていく様子を見ながら猛然と腹を立てています。
夏の厳しい日差しを避けて、ふっさり覆った薄暗い欅の下で
涼む気持ちよさったらないのにね。
A)
「樹木」「酷い剪定」で、日本各地の街路樹の酷い剪定が出てきます。
自治体に余算がないのか、業者センテイ?をしないで、見積り競争だけで
決めて、シロートが剪定をしてしまうのか・・・
無惨な恥ずかしめをうけたようなケヤキを見るたびにやるせない気持ちになります。
自治体はミスを認めず、スルーしているのでしょう。
仙台のケヤキが美しかったなあ〜
2018年5月15日 12:17 | ふあ~い
街路樹を見るにつけ良く思うことです。
風情を楽しめる事はほとんどなくなりましたね。
人間の都合に合わせた街路樹が多くなりました。
経済発展は人間のゆとりを奪っていくように思えてなりません。
得か損か・良いか悪いか分別だけが優先され、
存在そのものに眼が向けられないでね。
A)
たまさんのおっしゃる通りです。
多くは人間の合理性が優先されて決まっていきます。
人が減り、予算が減り、これからの日本社会は、
さまざまな試煉が待ち構えています。
2018年5月20日 14:14 | tama
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