食に思う


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山仲間からいただいた「のらぼう」なる菜
なんでも西多摩地方で栽培されているとか


運動不足を解消〜と、先週のハナキン(古い)、事務所から自宅までの約5キロ歩いて帰った。約一時間の道のりだ。四谷三丁目から荒木町、舟町、富久町という江戸の落語に出てきそうな街を抜けていくと、飲食店の多いことに気付く。新宿までの道沿いに、ほぼ途切れることなく店の灯りが点っている。

いつから日本は、こんなにも飲食店が増えたのだ。ひと気の少ない店を眺めながら、半世紀前の故郷札幌の街を思った。バス停や市電の停留所付近には商店街があり、小さな蕎麦屋、ラーメン屋、寿司屋の暖簾が揺れていた。そこを利用するのは、学生や独身者、営業のサラリーマンだっただろうか。

蕎麦屋、寿司屋は、急な来客があったときのみ出前で利用していた。岡持ちから出てくる蕎麦や鮨に、子どもらは生つばを呑んだ。そして我が家とは違う華やかさとその匂いに、大人との間にある無常を少なからず感じていた。

料理は母親がつくり、家族皆で丸いお膳を囲んで食べるというのが、昭和の正しい食事のあり方だったから、頻繁に出前を頼む家は、まっとうな家ではない、まして玄関先に丼がいつまでも積まれているというのは、恥ずかしいことだと教えられた・・・そんな記憶が蘇った。

好きなものを食べて、食べ過ぎて、心配を抱えるなんて、当時は誰も思わなかった。


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