吟行歌会


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小伝馬町牢屋敷跡の公園で、400年前にワープする


一昨日は、歴史・演芸ライターのY師匠の案内で、歌会仲間と人形町界隈を歩いた。まず最初は、小伝馬町牢屋敷跡のあった十思公園からスタート。そこは江戸時代、全国最大の牢屋(2618坪)があり、吉田松陰をはじめ勤王の志士ら96名が処刑された場所。今は子どもたちの公園となり、面影すらない。

250年以上も続いた怖い伝馬町牢屋敷のエピソードを聞いた後は、落語の富くじにも出てくる椙森神社の境内で、Y師匠から「高津の富」の一節を聴く。笑いのツボを抑えた話はいつも可笑しい。


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海も近く、湿地も多かったこの地に、幕府は小伝馬町牢屋敷を移転させた翌年、遊郭(元吉原)を造り、明暦の大火までの約40年、この地で営業を続けた。歩いてみて分かったのだが、牢獄と遊郭は、ほんの少しの距離にあったのだ。

江戸時代、芝居小屋の多かった町には、人形を製作する人、そして修理する人が多く住みついたことから、人形町の名がつけられた。


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Y師匠、後ろ姿も粋ですねえ〜

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今はハサミなどを扱うお店


粋な路地をいくつか抜けて、甘酒横丁に入るとお待ちかねのひと息タイム。人形焼きを買い、甘酒を呑んで、プチ歴史の旅を振り返った。

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最後は歌会会場で一首をひねる


出るに出られぬは
遊女も同じ
よしあしの
揺れる向こうに
小伝馬町牢屋敷   山碧木星



コメント

 小傳馬町から芳町界隈迄、樂しさふな吟行歌會の様子、懐かしく拝讀致しました。芳町には清元の稽古で三十年以上通って居ましたから、懐かしい界隈です。

 小傳馬町の牢屋敷は石出帯刀が代々當番でしたが、牢拂の話なんかも聞かれましたでせう。又、岡本玄冶の玄冶店の與三郎の話なんかも聞かれた事と思ひます。歌舞伎では「源氏店」と成って居ますが。玄冶店には「人形町末廣」と言ふ寄席があって、風呂屋のやうな大きな明かり取りが高い天井に付いて居て、ここの下足番の爺さんが、記憶力抜群で、客の履物を全部暗記して居て、歸りには間違へずに揃へて出して呉れたものです。

 家康入府迄は此處も浅草と同じ、波打際だったせいか、濱町とか牡蠣殻とか葭とか砂濱に關係した地名が多いですね。江戸の南は現在では本當に埋め立て地ばかりです。大森でさへ僕が住み始めた60年前頃、海水浴場だった砂濱の上に今では高層ビルが、にょきにょき建って居るんですから怖いです。

A)
読ませていただくと、ご一緒したかったです。
切られの與三郎から春日八郎の歌までをお喋りし、そして「人形町末廣」に、Y師匠も通っていたので、その当時の芝居などを聞かせてもらいました。
戦争で消えてしまった街、残っていた街も新たなものに変わっていますね。

想像力を多いに働かせて、往時を偲びながら半日を楽しみました。
海のそばの町名、たしかにそれだけが残っていますね。
1月、七福神巡りがあります。
ぜひご一緒しませんか。

2021年10月12日 09:08 | 雅蘭洞英齋居士

一席おめでとうございます。

1~2行目と3~4行目の表現の濃淡、絶妙ですね。
上手いなぁとため息がでました。

1月は参加したいです。

A)
ありがとうございます。
400年前にワープしてイマジネーションを広げました。

1月は是非、正月気分で歩きましょう〜♬


2021年10月12日 15:47 | くらげ

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