2016年2月

キャロル


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エヴェレストよりも高いところからゴジラがニョッコリ。これなら分かりやすい。毎月映画を一本観ようということで、歌舞伎町の映画館へ〜。目印はゴジラだった。

ゴジラと言えば東宝。少年時代はゴジラ映画をよく観た。「ゴジラ対モスラ」は、1964年公開だからオリンピックの年。当時の特撮なんて今観ると笑ってしまうけど、少年は真剣に魅入っていた。あの「ALWAYS 三丁目の夕日」の少年のように。いま思えば、なんと良き時代。

良き時代といえば、この映画「キャロル」も1952年のニューヨークが郷愁のように映っている。上流階級の貴婦人をケイト・ブランシェットが演じ、今回はミステリアスな妖しい女性。
振る舞い、ポツポツとした話し方で内面を語っていく・・・後半は、彼女の大人の魅力に打たれてしまい、席に沈みこんでいた。さて今年のアカデミーは取れるのだろうか!?もうすぐ決まる。

相手役のルーニー・マーラもヘップバーンのように愛らしい。



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また呑もうぜ


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白の中折れハットを冠ってニッコリと微笑んでいる。白いヒゲがよく似合う。エンディングのメドレーは、やはりジョンレノンか。
沁みるぜ・・・Sよ、また呑もうぜ。


また一人


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信号待ちや吊り革を握っているときに、亡くなったSのことを思い浮かべている。18才で知り合って、バカな論議をしながら酒を呑み、いつしか将来の人を紹介されて、結婚式の司会を任された。やがて子どもが誕生して、一緒に名前を考えたり・・・。それぞれに多くの時間が・・・流れたはずだ。
その長男T君が、電話をかけてくれ、明日の葬儀の喪主をするのだという。

人生は意外に短いのかもしれないと思った。初めて会った時のSの笑顔を思いうかべると、それはついさっき見たようなイキイキした表情だ。すぐに熱くなるくせに寂しがりやで、楽天家で優しい男だった。

この時期に、友人や先輩、そして父や弟を亡くしている。もうすぐ桜の季節だというのに、そして悲しみは乗り越えていくものではなく、忘れていくものだとやっと分かってきたのに・・・また一人、友が逝ってしまった。


マンサク


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早春に咲くことから、まず咲くが「まんずさく」。こんな東北弁が訛ってそう呼ばれるようになったらしい。本当だろうか。漢字なら満作、そして万作。枯れてしまうと「バンサク」が尽きた・・・。

椿や梅ばかりでなく、マンサクにも演芸種があり、赤味のかかった種類もチラホラ。ミモザほどではなく、不器用な母さんが作ったボンボンみたいな花弁が、春の陽射しにあったかい。


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2・23


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こちらは291093(ちょっと苦しい)


昨日が猫の日で、今日が富士山の日。なるほど「223」を富士山と読める。
富士山と言えば、以前に比べて東京の空がきれいになったことで、冬、風がある朝は、富士山がよく見えるようになった。これは都条例によりディーゼル車の走行規制が実施されたことによる目に見える効果だ。こうした議会の決断というのは、分かりやすく、嬉しい。

2・22


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今日はネコの日だそうである。「ニャンニャンニャン」。とても分かりやすい。ネコと言えば、今や岩合光昭の「世界ネコ歩き」。ネコで世界を旅する羨ましいカメラマンだ。
岩合さんのお父さんも動物写真家だった。以前四谷に「アニマルフォト」というフォトエージェンシーを構えていて、写真を借りにいくと優しい奥様が対応していた。その頃の光昭さんはまだ若く、無口なお父さんの助手をしていた。
猫や犬ばかりを撮っているわけではないだろうけど、いつのまにか光昭さんはペットカメラマンの第一人者になってしまった。
お父さんが健在なら、なんて言うだろうと思った、猫の日である。


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なんかウメ〜話はあるか?


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ニャイ!

並木道


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プラタナスの下、お洒落な鉄製のベンチが並んでいる。その一つ、外国人カップルが自撮りをして楽しんでいる。なんか映画のワンシーンのようで、絵になるなあ〜。ここのプタタナスは、夏になると日陰を作り、秋はカサカサと風に音をさせる大きな葉を落とす。今度、時間と本を鞄に詰めてまた来よう。

ワンコイン鍋


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年期の入った土鍋を使ってド〜ンと男の料理!「ワンコイン鍋」。三人前でわずか500円だ。事務所のY君が、アマゾンで1円で手に入れた冬の料理のレシピ本から、その一つを伝授してくれた。そのレシピ、すぐに頭に入ったので、先週末に挑戦してみた。とても簡単。こんな感じ。
材料は、大きめの白菜1/4、大根1/3、豚バラ300グラム。基本材料はこれだけ。

準備
・大根を多めにオロしておく。
・白菜の白い部分は、そぎ切りにする。

手順
1)土鍋にサラダオイルを入れて、そぎ切りした白菜だけを良く炒める
2)白菜が透き通ってきたら、火を止めて豚バラを敷きつめ丁寧に覆う
3)豚バラの上に白菜の葉の部分を敷きつめる
4)これを数回繰り返していく(ミルフィーユのように)
5)最後に大根おろしで全体を覆う(写真)
6)この上に麺つゆをかけて、蓋をして煮込む
7)途中、麺つゆ、酒で味を調える(酒をいれたらアルコール分を飛ばす)

蓋をしてじっくり煮込んで出来上がり。
一味唐辛子、柚子ワサビなどなどお好みの味で楽しむ。
・ポイント・・・他の調味料は使わない

今週末にぜひお楽しみください〜♬

河津桜


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事務所のY君が「御苑の河津桜が今満開ですよ」というので、日曜日に観にいった。そうか、あそこの桜だな〜。我が庭のように、御苑内の樹々の位置はだいたい分かる。吟行歌会でもこの河津桜を何人かが詠んでいた。いました〜メジロたちが、河津桜の蜜を狙って慌ただしく飛び交い鳴いている。じっとしていないので撮影が難しい。
仕方がないのでピンを合わせ、ジッと待っていたら一羽がそこにやって来た。それがこの写真だ。

後ろにいたお年寄りが呟いた・・・「梅に鴬とはよく言ったもんだ・・・」
おいそれ、両方とも違うだろう〜


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ここ数年、とくに最近は外国人が多い

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梅はこれからだ


大山詣り(2)


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大山詣りといえば、落語の「大山詣り」を思い出す。志ん生と志ん朝が、江戸っ子たちが参詣に押しかけていた当時の様子を面白おかしく語っていた。

大山詣りは、当時男衆のレジャーだった。参拝というのは表向きで、本来は男たちの羽目を外しての楽しみが主だった。精進落としと称しては、帰りの宿場町でおおいに遊んだらしい。

明治に入るまで、日本には女人禁制の地がいくつかあった。大山のほかにも富士山、立山、白山などの山岳信仰が盛んな霊場がそうだった。四国の石鎚山は、いまでも7月1日だけ女人禁制となっている。ビッリリポンだ。
そんなことはどこ吹く風と、参拝の後、ORMACメンバーはいつもの通り、地元オススメの肴と大山の地酒をおおいに楽しんだ。


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大山詣り


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今シーズン初めてのORMACは一ヵ月遅れの大山詣り。初登りなので、無理をしないコース設計を考えたにも関わらず、なんと!、積雪のために終点の峠までバスが上がれないというアクシデント。つまりショートカットなしに山頂まで正しく登ることになった。
ここで騒がず、不安を与えないのも隊長の仕事。おもむろに古い地図を出してコースの確認。プラス一時間で山頂に着くことを伝える。そして何より、素晴らしいお天気が大丈夫だよと言っていた。


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山頂まで後わずかの階段がキツい・・・


花粉を蓄えている怖い杉木立の中を登っていく。中腹から階段、岩場ありの山道が続き、1000m辺りから雪が現れる。雪が解けた箇所のいくつかはぬかるみ、靴が汚れていく。そして氷に泥がついている箇所では、靴がよく滑った。でもこんな道をいくつか経験していくのも、山登りのいい経験だ。いよいよお腹が空き始めた頃、ようやく山頂(1252m)に到着。休みを入れて約3時間。よく頑張りました。


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大山山頂の阿夫利神社本社


少年力


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図書館で山の資料を探していると、こんなページで釘付けになり、タイムスリップする。子供の頃、雪が溶け始めると山に入り、鹿の足跡や鳥の羽、木屑などを見つけては、あれこれと想像した。そして早く夏にならないものかと、心待ちしたものだ。

尾瀬で見たオコジョ、瑞牆山のテン、八ヶ岳のカモシカ、ヤマネ。そしてコゲラのドラミングを聞いたのは去年の大台ケ原だったなあ〜と動物たちとの出会いはすぐに思い出せる。
大切なことを忘れていくのに、少年のページはいつだってサッと開くのだ。もしかしたら少年力を身につけておくと、記憶は失われないのかもしれない。

高尾山温泉


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週末の混み具合はどんなだろう〜


ついに温泉まで出来てしまった。高尾山をこよなく愛する者としては「こんなの、要らんだろう!」と机を叩きたくなる。とはいえ、少し気になる。
高尾山は「世界一登山客の多い山」であるからして、K電鉄は当然そろばんを弾く。年間の登山者数が約260万人だから、もし100人に一人が温泉に入るとしても〜・・・\^o^/となる。仕方ないか・・・まあ、それにしても駅のすぐ横に温泉の入口だからねえ、これにもビックリ。


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屋上が露天風呂らしく、ホームからその賑わいが聴こえる


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のぶすま(野衾)


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ビジターセンターでのムササビ教室


初めて知った。ムササビの別称が「のぶすま」。高尾山のビジターセンターで教えてもらった。調べてみるとこれが、意外に面白い。

江戸に伝わる妖怪の一種。ムササビのような姿をしていると言われ、実在のムササビやモモンガの異称として野衾の名が用いられることもある。
木の実を食べるほか、火を食べる、人や動物の生き血を吸うともいう。江戸時代の奇談集『梅翁随筆』には、江戸でネコを襲ったり血を吸ったりする獣がおり、その獣を殺したところ、イタチのような姿で左右に羽のようで羽でないものを備えており、ある人が「深山に住む野ぶすまとはこれだ」と教えたとある。空を飛んで来て、人の目や口を覆うともいい、江戸時代の古書『狂歌百物語』には「飛倉」の名で、人の顔を覆う姿が描かれている。


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ちょっとおかしいけれど、この時代は、まだまだ未知なる領域に対して、誰もが謙虚さや信心深さを持っていた。だから創造の羽は今よりずっと広かったに違いない。不思議は不思議のままでも良いのではないか・・・。


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重さと大きさが同じ。意外と重く感じる





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お土産売り場の横で発見したパピヨンの仔


初登り


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こんな事はしてられない!高尾山へ行こう〜と、リュックに読みかけの本と携帯食を放り込み、温々の家を飛び出した。

電車が高尾山口に近づくとあらまあ〜、雪のある風景に変わっていく。前夜に五センチほどの雪が降ったらしく、枝に張りついた雪がクッキリとしたシルエットを作って美しい。日陰の山道は所々凍っていたが、アイゼン装着の必要はなし。ただ陽の当たる斜面では、溶け始めた雪がポタポタと落ちてくるのには閉口した。さながら春の雪山だ。そのせいなのか登山者はいつもの週末よりも少なく、静かな山登りを楽しめた。

白い吐息とキリッとした寒さ。
眠っていた五感が目を覚まし、山へのアイドリングがかかった。


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風も強かったようだ

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山頂から丹沢方面

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その山々を眺める人たち


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なぜか頭の大きい友人が多い。そんな連中が集まると、お互いの大きさを誉めあい、自慢話になる。「俺なんかさ〜****」と、恥ずかしき体験談を言い合って、バカ笑いとなる。この辺が小顔希望の若者とは、ちょっと違う。その友人らに共通しているのは、やたら声が大きく、なんだか生命力が強そうなところ。当然フリーサイズの帽子は、冠れない。

帽子が冠れないといえば、松井君。大リーグ「ヤンキース」に入団した当初、彼が冠れるヘルメットが見つからなかった。頭囲は65センチと聞く。やはりデカイ。そんなわけで、巨人の高橋監督とのツーショットはこうなる。けして遠近法が間違っているのではない。

この写真とは、まったく関係のない歌を年末に作っていた。

そんなとき
人は「逆遠近法」を使う
遠いものを大きく
近いものを小さく
ふぅ〜っと タメ息などついて


立春


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今日は立春。そしてオヤジの命日、娘の誕生日。うまいこと三つが重なっている。図書館にいく途中、公園から歌声が聞こえた。マスクをした高齢の男性が一人、この裸木に向って歌を歌っている。早春賦だ。「春は名のみの 風の寒さや〜」と、まあナイスなタイミング。立春を知っていて歌っているのかな。


干し柿


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長野の知人からズッシリと重いダンボールが届いた。開けると干し柿、クルミ、花豆、他に野沢菜漬けなどが入っている。うれしい。とくに干し柿は大好物だ。さっそく一ついただく。外側の白い粉は天然の砂糖のようだ。噛んでいくと甘味がねっとりと広がっていく。しみじみ美味い・・・ふとある話を思い出した。

昔、山小屋のオヤジさんが薪の燃える色を指差して、ロマンチックなことを言った。この薪は、切られるまでに見た景色の色を再現しているんだ。オレンジ、緑、青・・・なるほど、上手いことを言うもんだ(その後、焚き火のときに何度か使わせてもらった)。干し柿になるのは渋柿と聞くが、四季の厳しい変化のなか、暑さ寒さを越えてきたのだろう。渋々だった干し柿の甘味には、そんな深い味わいがある。

佐藤初女さん


初めて書かれた「おむすびの祈り」と丁寧なサイン


佐藤初女さんが逝去された。享年94才。初女さんを知ったのは、映画「ガイアシンフォニー2」だった。人は人を不思議に結んでくれる。動物写真家の星野道夫→生物物理学者ジェームズ・ラブロック→映画監督龍村仁→佐藤初女とつながっていった。

「ガイアシンフォニー」はオムニバスのドキュメンタリー映画で、初女さんはもんぺ姿で雪の残る山道でフキノトウを採っていた。フキノトウの命を惜しむかのように丁寧に・・・

初女さんは津軽平野の西、岩木山さんの麓に「森のイスキア」という悩みを持つ誰もが自由に駆け込める憩いと安らぎの家をつくって、病んだ人、苦しみを抱えた人たちの相談にのっていた。手づくりの美味しい食事を提供して、命の大切さを説いた。

この映画を観たのは山登りを本格的に始めた頃で、初女さんの生き方や考え方は、大地に雨が染みこむように潤いを与えてくれた。それから何冊かの本を読み、講演を聞きに行った。穏やかでゆっくりと話をされる方で、どんなことにも丁寧に向かいあう。思えば母のような人だった。

合掌。


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両国


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週末は雪模様と予報されたので山登りは中止。では久しくご無沙汰をしている友人Kさんの落語を聞きにいこうと両国亭に向った。両国駅の改札を出ると、国技館では何かのイベントが終わったばかりらしく人の波が続いていた。

じつは二十歳になる前のほんの一年間、この街に住んでいた。アチコチに相撲部屋があり、すれ違う若い衆からはいつも鬢付け油の甘く芳しい香りがした。相撲取りは汗臭い輩だと思っていたが、両国で暮らし始めるとそんなこともなく、いつしか彼らに親近感を覚えていった。

ある夜、小さな食堂で飯を食っていると、浴衣姿の若い衆がゾロゾロとやって来て、カツ丼とカレーライスの大盛りを注文した。体がでかいこともあるが、若い衆は朝まで腹が持たないのだろう。

やがてカツ丼が出てきた。一人が手にすると、それは茶碗の大きさに変わった。そして箸で数回口に運ぶと、ドンブリは瞬く間に空になった。
その後のカレーライスも・・・彼らを感動的に眺めた。喰いっぷりが良いというのは、気分が良いものなんだとそのときに知った。