井上井月(いのうえせいげつ)


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ドキュメントとフィクションによる映画「ほかいびと 伊那の井月(せいげつ)」を観終わってから気がついた。もしかしたら観たかった映画は「おだやかな革命」だったのではないか。

こんなことが数年に一度ある。対象がいつのまにか入れ替わってしまう症候群。カツ丼を食べようと出かけたはずなのに、いつの間にかカキフライ定食を口にしている。ハサミを探していたはずが、爪切りを見つけて爪を切っている・・・。

こんなときは、あまり考えずに流されてしまうのが良い。運命の神様はきっと、俳人「井上井月」の生涯を教えたかったのだ。井月の自由と孤独を演じた田中泯が良かったし、ナレーションの樹木希林の声が沁みた。随所に好きな南や中央アルプスの山々が映っていた。チラシには「芥川龍之介に見いだされ、山頭火に慕われ、つげ義春が漫画に描いた井月」とある。

「ポレポレ座」は、少数派の映画を上演してくれる地域自慢(俺自慢!?)の映画館だ。「ほかいびと」を観終わって出ると、多くの人が行列をつくっていた。次は「人生フルーツ」。アンコール上映がまだ続いていた。


コメント

 僕は餘り井上井月を良く知らない。大地震で故郷に残した妻と娘を一度に失ひ、無常を感じて出世を約束されて居た武士を捨て「自由で孤獨」な俳諧師に成った、と聞いて居る。

 西行法師の樣に裕福で家庭に惠まれた人も、突然家庭を捨てて「自由で孤獨」な僧侶に出家してしまふ人も居る。彼の場合は親友の死に無常を感じた、とか、失戀とか政爭に嫌氣が差した、とかあるが、出家した理由は本人でなければ解らない。今は僧侶も家庭を持って居るが、昔は出家と言ふとあらゆる俗世間との絆を絶って、肉親との情さへ斷ち切らねばならなかった。

 「自由と孤獨」の對極には「束縛と絆」があるが、どちらが良いかは解らない。最近は「きずな」と言ふ言葉がよく見られ、認知症豫防に「絆」が大切(だいじ){大事(おおごとでは無い)最近ダイジを變換するとオオゴトが出て來る}と言はれる。孤獨を愛する自由人は認知症になるのかな?

A)
現代人は「自由と孤独」よりも「不自由と連帯」が心地よいのかもしれませんね。
「不自由と連帯」には、安心も担保されています。

孤独を愛する自由人は、認知症にはならないと思います。
認知症の仙人という話は聞いたことがありませんし・・・

ただし認知症になってから、自由と孤独を得た人は多いかもしれません。
ちょっと、ブラック〜(^^;) 

2018年2月 1日 09:22 | 雅蘭洞英齋居士

シンクロニシティ。昨日 古い俳句誌をインプットのために呼んでいました。”季語探訪・・・井月の評価・・・” そして、
アルキメ。こんな事良く有ります。俳人より共時性のお話ですね。

”人生フルーツ”は 以前、TVで観ました。感動して、友人に伝えた事でした。パートナーとこんな生き方出来たら、本望なのにと自分の足りなさを棚に上げて、ひととき話が弾みました。

A)
シンクロニシティを感じることがあります。
へえ〜って不思議がるのですが、あまり続くとなんか気持ち悪くなりますね。

「人生フルーツ」は、一年前にやはりポレポレ座で観て、五行歌仲間に広げました。
良いもの(本物!?)は、ゆっくり確実に広がっていきます。

いいパートナーの話、今度しましょう。

2018年2月 1日 19:21 | 佐代子

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