ミスター
良い名前をいただいたものだなーと思う。巨人嫌いでも、長嶋が嫌いという人はいなかった。天然の明るさは、図抜けていた。彼は片仮名が好きだった。だからこそミスターの称号は、ピッタリだったと思う。
スポーツ選手が質問に答える時に「そうですね」を云うことがある。クセなのかもしれないが、とても気になってしょうがない。
長嶋は違った。
「どうでしょう〜」で先ずは受ける。その後に生まれてくる言葉への期待感を一気に高めた。
長嶋だからか?勿論そうかもしれない。でも、もしかしたら、語尾のイントネーションにポイントがあるのかもしれない
そうですね↓
どうでしょう↑
落ちるか、上がるか、そして、「どうでしょう↑」には、心を開いていくプロセスとリアリティがあって、質問者だけではなく、見ている一人ひとりにも話しかけているような温かな雰囲気があった。
そんなことを一つ思い浮かべながら、昭和がまた一つ終わってしまったのだと、いま寂しい気持ちになっている。合掌。
2025年6月 4日 18:52 | カテゴリー: 歩キ眼デス4
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