2025年10月
五位鷺(ごいさぎ)初めて見ました
公園を歩いた後のランチタイムはイタリアンで。お腹が一杯になると、睡魔が襲って、創作意欲が萎えてしまいます。というわけで、会場の角川庭園まで10分ほど歩いて、戦闘モードになってもらいます。
歌の提出時刻が決まると、集中。心に止めた景色や一瞬、広がる思いなど、言葉を探しながらの旅を楽しみ(苦しみ)ます。
雨を詠んだ歌をご紹介します。
雨 傘をたたく
小川 ゆるく流れる
ここは水の星
遠くでかすかに
ひとの声 Oさん
善福寺
池の面の雨の紋
そう これは
井草の宮の
大正硝子の窓の紋 Sさん
十月の
雨まとわせて
木々は佇む
内にゆかしい
彩りをたたえて Uさん
小生の一首は・・・
不意に が
好き
後ろからの目隠し
曇りの日の初雪
隠れんぼの金木犀
途中、白い萩が散っていました
ギンモクセイも咲いていた
2025年10月17日 13:03
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歩キ眼デス4
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土曜日の吟行歌会は、生憎の雨。ところが井草八幡宮の参道を抜けて善福寺公園に出ると、普段見られないような景色が現れた。人の姿がほとんどない、雲が低いことで池を中心とした景色が、カメラを覗いているような大きくない画角に収まっている。
小糠雨も悪くない。芙蓉やコウホネ、金木犀の花、水鳥たちが雨粒を受けてじっとしている。蜘蛛を撮ると、その細い足にまで滴がある。遠くに聞こえる小さな音が、より静けさを醸しだす。
滅多に出会えない雨の公園。みんなはどんな歌を編みだすのだろう。
ツツジの植込みの蜘蛛の巣には
2025年10月15日 12:54
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歩キ眼デス4
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命の少ないものに、儚さを感じる。例えばカゲロウ。カゲロウの命は、数時間から数日くらいで、口は退化してない。許されるのは生殖活動だけだ。さらに短命なのがウミユスリカ(蚊の仲間)は一時間。生物で最も短い命。
花も一日花とされている種類がある。アサガオやカラスウリ、そしてムクゲ。こんな歌を詠んでいた。
しめやかに
一生の一日(ひとひ)を閉じて
ムクゲ
蕾となって
ほろりと転がる
蕾に戻って
落花する
木槿
空と一日遊んで
空の夢みる
ムクゲから金木犀に心変わりする季節になった。明日は吟行歌会。
2025年10月10日 18:58
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歩キ眼デス4
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こんな商品があると、クスッと笑って、土産話になるので購入することにしている。この写真は、春に福岡空港で見つけたデジタルサイネージの広告。じつに分かりやすい表現だ。
この「むかん」で思い出したシャレたお土産がいくつかある。たくあん用の糠の袋には「ぬかよろこび」。酒のツマミなのか、乾燥小魚と細かな野菜が入った袋には「海千山千」。なるほど、なにかあっても、正直に述べているのだから誰も文句はいわないだろう。
このむかんを頭に乗せて「無冠の帝王」なんて、受けないだろうか。
2025年10月 8日 18:00
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歩キ眼デス4
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それもスーパームーンだそうで、昨夜は信号待ちで、雲間から美しい◯が見えて、息をのんだ。回りの雲まで明るくしている。追われるように過ごしていると、こんな一瞬に心が洗われる。
2025年10月 7日 16:59
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歩キ眼デス4
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伐採された山肌を登っていくような怪しい幟・・・水木しげるの漫画に出てくるキャラクター、一反木綿みたいだ。じつはこれ、鹿からヒノキやクヌギの苗木を守るポリエチレン性の白いカバーだ。
いま日本中、鹿が増えすぎて、山の植物の食害が後を立たない。日本の人口は減っているが、鹿だけではなく熊やイノシシなどの野生動物が、数を増やしている。山の保全を守るために、こうした地味な植林活動が進められている。
温暖化、過疎化が影響しているのか、人間と動物たちの境界線が難しくなっている。
2025年10月 5日 16:35
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歩キ眼デス4
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秋になると、蝶の羽が痛々しい。とくに成虫のまま越冬するタテハチョウやシジミチョウなどは、晩秋まで花に集まっている。やがて枯れ葉や枯れ草、木の洞などに集まってジッと冬を越す。
2025年10月 3日 19:55
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歩キ眼デス4
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曼珠沙華が好き、と云う人は少ないかもしれない。ポツポツと咲き始めると秋を強く感じるけれど、花の枠を超えているような存在感。それは彼岸花、死人花の名前からも来ているのだろう。
光を放っているような朱色は、辺りの静寂を破るようなインパクトがある。
2025年10月 1日 19:17
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歩キ眼デス4
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