2024年10月

吟行歌会


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持続は力なり、なんて諺を思い浮かべた。年四回の「吟行・四季の歌会」が、50回目を迎えた。コロナ禍の休会もあるから、かれこれ15年間、あちこちを散策して歌を詠んできたのだから、たいしたものである。

この諺には「何ごとも続けることで、成果が得られるものである」とあるから、気がつかぬうちに何かが備わったはずだ。さてそれは何だろう。感性(発見)→言葉→歌という流れから、創造力と技術力の筋肉が少し付いたのかもしれない。

記念歌会、秋を詠もうと選んだのは、杉並の大田黒公園。音楽評論家、大田黒元雄の元お屋敷跡を訪ねる。ところが先週の土曜日は真夏日。晩夏なのか残暑なのか、湿度もあって、蚊に刺されながらの見学は辛いものだった。こんな歌を詠んだ。

終わらない
夏は
始まりを
予感させる
銀杏 碧々の一本道

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入口から真っすぐ続く、緑の銀杏並木は、温暖化への迷宮の入口のように感じた。

コスモス


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揺れるものを眺めていると、心の片隅にある何かが揺れはじめる。ススキ、ハギ、コスモス、揺れる花が、秋を演出する。

一芸


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今年はどうなのだろうと思っていたら、ようやく金木犀の匂い。夕方神田川沿いを歩いていたら、ほんのり甘い香りがしてきた。見上げると、オレンジ色の蕾がちらほら。花芽もたくさん付いている。

思えば、金木犀は地味な木だ。秋、花の香りがなければ、こんもりとした樹形はそれほど目立たず、存在感がない。でも、一芸があればよし。ここに私がいます。

一芸
あればよし
金木犀
ここに
私がいます

秋の味覚


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秋田の友人から、ドーンと嬉しいプレゼント。今この栗と格闘しています。栗ごはん、渋皮煮、きんとん、三種類の料理法をネットで学び、丁寧に剝き?あっています。
が、栗を剝くのは、何と難しく大変なのでしょう。

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下山後の楽しみ



蔵王の紅葉は、もう少し先のようだったが、蔓系の葉だけは真っ赤だった。そしてナナカマドやイチイの実も鳥にその存在を教えているかのように山のあちこちを灯していた。

遠望と樹々の有り様を交互に眺めながら、蔵王温泉に辿り着く。下山後の楽しみは「風呂→ビール→酒→蕎麦」と決めている。すぐに共同浴場が見つかった。200円を箱に入れて男湯へ。脱衣所は狭い。着替え、タオルをリュックから出して湯船の横へ。熱いことは知っている。湯を汲み、エイ!とばかりにかぶる。熱い、が、これならなんとかいけそうだ・・・。

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湯船には、二人だけ。イオウの臭いが心身に沁みる。歩いてきたルートを思い出しながら、お湯に浸かっていま一度山登り。至福の時だ。

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風呂から出ると、②のおじさんとお話をした後、つきたての餅を食べさせてくれるという店に入る。メニューで悩んでいたら、ハーフで注文が出来ますというので、選んだのが、ズンダ、クルミ、そしてオロシ。お腹が空いていたこともあって、どれも美味いのなんの〜。ズンダの大豆の青臭さが特筆すべき味わい。

地のもの、旬のものこそ、旅で味わう幸せ。そして水も美味しかった。

道迷い


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三日目、小さな山を一つ登ってから蔵王温泉に出ようと地図を確かめて出発した。途中ゲレンデを下りてゆくと、ガスってきた。山頂部は晴れているのにその下が見渡せない。道は広いし大丈夫だろうとかなり下って、登山口を探すが見つからない(じつはすでに道を間違えていた)。

地図を注意深く見ると、道迷いしていると気づく。ガスっているし、辛いけどここで無理をすると痛い目にあう。約30分、登り返して、もう一つのルート蔵王温泉への林道を下りることにした。つまらないコースだが仕方なし。

きつい林道を下りてゆくと、黄色のヤッケ姿の人が、ガスの中から現れた。「こんにちは」と声をかけて、おしゃべりをする。ガッチリとした年輩の女性だ。ロープウェイを使わずに登るんですねと聞けば、「いつも歩いて登ってます」「ガスっているので、まあ、適当にお昼食べてから下りて来ます」。

地図を見せて、道迷いの話をすると「そこは晴れていても分かり難いです」と教えてくれた。安心して、山の話をする。アオモリトドマツが殆ど立ち枯れていますが、樹氷は大丈夫ですか?

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「全域に渡って、枯れています。このままだと樹氷はもう無理かもしれません」。原因は、虫による食害か気候変動の影響らしい。八ヶ岳も既にそうであるように、針葉樹は温暖化に弱いのか!?

スノーモンスターと呼ばれる樹氷、見られないのかと寂しくなる。約20分、朝日連峰の紅葉、雪山の話などをして別れる。振りかえるとガスの中に女性は消えていった。女性の単独行か、逞しいな。

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キノコ好い匂い。下の花はミゾソバ

山形の人


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雲海の彼方に月山が見えた


蔵王山縦走から帰ってきました。いま筋肉痛です。紅葉はもう少し先のようでしたが、今回の旅は、想い出深いものになりました。

その一つは、弟から譲り受けた文庫本「ふるさとへ廻る六部は」(藤沢周平)が旅の共になってくれたから。車中、そして宿の夜に沁みるような時間が生まれた。藤沢は、鶴岡出身の作家で、山形ばかりでなく東北全域を愛し、賛美し紹介している。

そのエッセイに出てくるような方たち、大きなリュックを背負っていると、話しかけてくる。

①早朝、仙台駅のバス停で「これから蔵王ですか。いいですねえ、私は65歳から百名山を登ってるのですが、85才を迎えていよいよキツくなりました」。小さなリュックを背負って、今日は日帰りをすると云う。「山はいいよなあ、山はいいよ」。本当ですねえ・・。85歳には見えない方だった。

②蔵王温泉下の湯共同浴場から外に出ると「蔵王を下りて来たの?」。縦走しました。「スゴいなあ、いくつ」「えっ、俺と同じじゃない」「若いなあ」「全然見えない」「90まで登れるんじゃない」と話が始まり、斎藤茂吉、藤沢周平の話になって、庄内藩、政治の話になって、右寄りの首相候補ばかりで危ないと危惧されて・・・実に多岐に渡って見識が広い方だった。

③山形駅のベンチで藤沢を読んで時間をつぶしていたら、ヨチヨチと杖をついて近づいてくる男性。慌ててリュックをずらして椅子を勧める。大丈夫ですかと聞けば「肋骨が四本、折れていますが大丈夫です、腰の骨もやられてしまって、上手く動けません」「顔の絆創膏ですか?これは一昨日バスから降りるときに転びました」。薄いサングラスの顔は、ずっと笑ったまんまだ。

「私は、仙台で通訳のボランティアをしていました。英語と北京語、広東語です」。故郷が山形なので、最近戻ってきました。「ご存知ですかな。私は秘密警察に所属していました」。えっ、そんなの本当にあるのですか?ここから長い話が始まった。ときどき、この方は大丈夫だろうか?と思うような話もあったが、大人しく聞いていた。やがて新幹線の時間が来たので「今日はいいお話を伺えて、ありがとうございました」と礼を言った。すると、英語と中国語で「あなたの健康をお祈りしています」と話されたことを日本語で教えてくれた。

以前の山形山行でもたくさんの方にお世話になった。今回もいい出会いをいただいた。山形は人の国でもあった。


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蕾のままに終わったリンドウ


営み


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来年のカレンダー用の写真を眺めている。リスや鳥たちの生き生きとした生態を見ていると、喧噪の街にいることをつい忘れてしまう。

自然の中では生存のために、常に神経を尖らしていないといけない。けれどもこんなひと時もある。生まれて間もないエゾリスが、春の陽気に誘われてうたた寝をしている。

戦争や政治のキナ臭いニュースが流れてくるたびに、道東の自然の中にいた時間を思い出してしまう。