2024年6月

雨の日


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この一週間、総武線の遅延に遭うこと4回。事故駅の表示はされるが詳細は分からない。ホームで待つ人は、苦々しく思っているのか、それとも一人の人の不幸を憐れんでいるのか、みんなスマホを手にして佇んでいる。

こんなときは、遠くへ思いを馳せる。かつて雨の日に登った山道とか、モリアオガエルのオタマジャクシたちは、雨粒と一緒に池へ落ちてるのだろうかとか、都会の喧噪からしばしワープする。

新潟地方にも沢山の雨マークが付いた。農家の方々はホッとしていることだろう。

雨の日は


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まもなく6月が終わろうとしている。以前、友人と呑みながら6月に祝日を作るとしたら、何の日がいいだろうとほろ酔いを愉しんでいた。「雨の日」はどうだろうと私が云った。

10年以上も前に詠んだこの歌、この時期になると思い出す。どこのショーウィンドウを眺めていたのだろう。

グレート・ヒマラヤ・トラバース


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お帰りなさい、Iさん

今朝、成田にIさんが帰ってきた。日本山岳会・創立120周年の記念事業「グレート・ヒマラヤ・トラバース」で、4/15にカトマンズへ飛び、4/22からテント泊を続け踏査すること56日、カトマンズへ戻り、73日ぶりの帰国。いの一番に今日の「子どもと登山委員会」に参加してくれるとは嬉しい。

前回の「富士山の洞窟探検」のリーダーは、Iサンだった。「これを読めば大丈夫です、後はよろしく」、バサッとマニュアルを置いて、彼は飛び立った。読めばいかに手強い計画かと思い知った。愚痴は云うまい、すでにIさんがきちんと成し遂げたのだ。後を継いでマニュアルの通り、ひとつ一つ進めた。

細やかな計画書、リスト作り、入山許可を得るための文章に、Iさんの人柄とセンスが見えた。そんな彼だからこそ、無事にヒマラヤを歩き通せたのだろう。
今晩は、トラバースの土産話に盛り上がろう。

森のクラス会


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半世紀を経ても声をかければ、すぐに集まる中学校時代の友人たち。今年も集合は八ヶ岳の森の中にあるレストラン。生憎の雨降りとなったが、360度ほぼガラス張りの室内、雨によって緑は深みを増し、森の水族館にいるような雰囲気になった。

挨拶を交わしたあと、体の不調や老化を嘆き、死生観、散骨、墓じまいなど、いきなり辛気くさい話になった。今後はこんな感じになるのだろうか。ランチが終わると「平山郁夫シルクロード美術館」へ。NHKの懐かしい番組を見ていた世代なので、展示されている絵画や石仏に関心を寄せる。


宿に到着すると、幹事の手違いから本館ではなくロッジでの一泊となった。まあ、仕方がない、それもよかろうとなり、まずはテーブルを囲んで、乾杯となって、和んでいった。

呑んで、歌って、買い物をして、前回、富士山を見られなかったというSのために、甘利山(1671m)まで登って、満足。次は、秋の北海道で会いましょうと解散となった。


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甘利山からの富士山遠望


先日の「富士山の洞窟探検」のレポートを書きました。



スタインウエイ


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BS放送でよく見かける「街角ピアノ」という番組。世界の駅や空港、最近では町の片隅などにも置かれて、通りかかった人、常連の人らが奏でて、ピアノと私を語ってくれる。

再放送であっても楽しく、弾くことはできないけれど、ピアノが好きになった。先週、江口玲さんのピアノコンサートのチケットが手に入って聴いてきた。

そのピアノは19世紀に作られた「スタインウエイ」という名器だそうで、今まで聴いたピアノの音ではなかった。

彼の言葉が面白かった。
自分のやりたいことをこの楽器に押しつけても駄目だ。この楽器から何かをもらうしかないという発想をしました。「この楽器は、ここからどういう音が出るんだろう。こうするとどういう音が出るんだろう」っていうところから始めました。

そうしてようやく「スタインウエイ」によって、身体全体から何かが剥がれ落ちて、なんかもう別人になった。自分の中で別人になりました。

その別人、江口玲さんが奏でたカンパネラは、スゴかった。家で聴いているフジコ・ヘミングのカンパネラが、子守唄のように思えるほど、鮮烈にホールに鳴り響き、ノックアウトされた。

「押しつけても駄目だ。この楽器から何かをもらうしかないという発想を」。喩えるなら歌を詠むことにも繋がるのではないか・・・そんなことを考えながら、あの「スタインウエイ」のピアノ音を思い出している。

路地のトンネル


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郵便局の帰りは、必ずここの路地を通っている。初めて見た時は、オイオイこんなに茂って、許されていいのか?などと思っていたけれど、近くにネコがのんびりと昼寝をする様子を眺めていたら、とても貴重な空間なのではと、気にとめる路地になった。

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ムクゲがこれでもかと生い茂り、小さなトンネルの高さは130㎝くらいか。ヨチヨチと抜けると、コンロンカが待っていた。ネコはどこかへ散歩だろうか。

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モウセンゴケの粘液、雨ではなく虫を待っている


遅うなりました〜(なぜか関西弁)と雨が来た。ようやくの雨。いまごろ列島のあちこちの貯水池を潤しているだろうか。新潟にも降っているだろうかと、天気図を見ると、そこだけが晴れマーク。長野まで雨なのに、なぜか新潟地方まで及んでいない。

だが、週末からは新潟地方にも降りそうだ。農家の方たちは、待ち焦がれているはずだ、雨よ足を伸ばしてくれ〜。
アジサイも菖蒲も、この雨で一息だろうか。

先日の歌会で、この歌に惹かれた。

梅雨時に思い出す
夜更けの居酒屋
いい雨ですなあ
あの穏やかな声
静かだった 昭和の雨

半世紀前、こう呟いたのは、漫画家の滝田ゆうさん。新宿三丁目の居酒屋でポツリと隣りの席の作者に。「いい雨ですなあ」といえる社会は、きっと平和なのではと思う。

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梅雨


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梅雨の頃、アジサイ、菖蒲、トラノオや半夏生が、涼しさを演出してくれる。自然はこの時期、なぜこんな爽やかな配色を施せるのだろう。

猛暑の前、しっとりとした色合いが、目に優しくうれしいが、梅雨入りが遅れているらしく、新潟県のある農家では田植えを断念したと聞く。

世界中で、水の格差社会が始まった。欲しい処には降らず、いらない処に雨が降り続く。


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伊藤若冲


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皇居東御苑、三の丸尚蔵館で若冲の国宝「動植綵絵」4幅が観られると聞いて出かけた。予約制とあって入場者も少なく他の作品も含めてゆっくり鑑賞できた。

若冲は、江戸時代に「神の手を持つ男」と呼ばれた天才絵師。その作品の一つ「動植綵絵」30幅を三の丸尚蔵館がコレクションしている。以前、NHKがその美の極みを高精度カメラで放映すると、若冲の名が一気に知られるようになった。

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「老松孔雀図」は以前と変らず、その見事な彩色を輝かせていた。深緑の松に立つ白い孔雀、赤い牡丹がそれを見上げているような構図。孔雀の羽がどうしたらこんな白に発色するのか、不思議だった。

その他にも白い絹糸で刺繍された描かれた菊の屏風、狩野派の代表作、国宝「唐獅子図屏風」など滅多に観られない作品が展示され、静かなひと時を過ごすことができた。

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溜息がでるほど美しい、白の絹糸で刺繍された菊

ネジバナ


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上手く撮れました。ネジバナはラン科で、花は小さいけれど、よく見るとナルホドのカタチをしています。別名、文字摺(もじずり)、ちょっと文学的で恋の歌に詠まれます。

みちのくのしのぶもじずり
誰故に乱れむと思う我ならなくに   源融

ねじった姿を、身をよじって恋する人を想い苦しむ様に擬えて歌ったのだそうです。


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ウェストン祭の記念切手をデザインしました。
1シート(10枚)特別価格で販売をしています。

梅の実


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沢山の梅の実が落ちたままになって、好い香りが一面に漂っていた。勿体ないなあ〜、いくつか戴こうかと思ったけど、きっと監視カメラが視ていて、警備官が走ってくるに違いない。

ここは皇居東御苑、平川門へ抜ける辺り。数本の梅の木は、どれも豊作だ。この落ちた梅は誰が食べるのだろう。鴉!?

以前、半蔵門から日比谷へ下りていく途中、ワラビがあったので手を伸ばしていたら、あっという間に警備官がやってきて注意された。いいじゃないの少しくらい〜と思ったが、皇居周辺はとても警備が厳しいのだ。

食品価格が上がっている今、こうした風景を見てしまうと、気持ちの落としどころが見つからない。

岡本太郎


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先週末の洞窟探検から戻ると風邪をひいてしまい、体調やや下降気味の中、生田緑地散策の後「岡本太郎美術館」へ。あの岡本の作品を鑑賞する気力・体力が湧いてこないが、約束の企画だから仕方がない。

彼が五年間の軍隊生活をしていたとは知らなかった。パリでの知的で自由な10年の留学生活から、自由と人間性を奪われた想像を絶する苛酷な軍隊生活を体験する。上官の自画像などを描かされていて、それは辛かったことだろう。

反戦への思いは、作品となって現れる。あらゆる表現物において、真に自由で人間として生きることの出来る社会を、芸術を拠点にして伝えていく。それが岡本の作品の原点であり発露となった。

全ての作品からも圧倒する気が迸る。デカイ、強い、眩しい〜。なんとか全作品を鑑賞してヨロヨロと外に出ると、高台の作品「母の塔」が太陽を背に「バクハツダ〜」。

ワア〜〜

葉っぱ


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たまにヤブ漕ぎをすると、棘のある枝で痛い思いをすることがある。たいていノイバラかイチゴの枝だ。同行している人に時々聞かれる、バラですか、イチゴですか、と。

答えは、葉っぱのカタチ。それは大きな木も同じで、以前、山の中で出会った木の先生は、双眼鏡を覗いて、木の種類を教えてくれた。

葉っぱが他の種類と違う場合は、カシワバアジサイとか、マルバウツギといった葉の特長が名前につくので覚えやすい。

祭のあと


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祭り半纏がぶら下がっている。週末、四谷須賀神社の大祭だった。男たちの汗、掛け声、熱気がすべて洗われて、干されている。喧噪までが、逆さになっているようで、なんとも可笑しい。

どろ亀さん


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自然林がそのまま残って、ハルゼミが啼き、フカフカの道を木漏れ日が照らす。ここが自衛隊の演習場だなんて、信じられなかった。特別の許可を受けなければ、入ることができない緑の別天地。

ふと、亡くなったどろ亀さんこと高橋延清さんを思い出した。東京大学生物系研究科の教授でありながら、一度も教壇に立つことなく、「森こそが教室」と現場主義を貫き、北海道の演習林で定年までを過ごした。変わり者に見られていたが、林学の研究者として実践に専念され、多くの人材を育てた方だ。


HPのトップには「森が豊かであれば、人の心も豊かなのだ」とある。その通りだと思う。豊かな森や山を失ってはいけない、焼いてはいけない、砂漠にしてはいけないのだ。

この日、誰もがこの豊かな演習林のなかを、幸せな気分で歩いていたと思う。

富士山の洞窟探検


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いよいよこの日がやって来た。前夜、緊張なのか深く眠ることができず、早くに目が覚める。4家族とスタッフ合わせて20名の「富士山の洞窟探検」。ハルゼミの声を受け、青空の元、富士山麓を目指す。

最初の洞窟は、平安時代、富士山の溶岩流によって出来上がったという「船津胎内樹型」。複数の大木が燃え尽きて、そこが空洞になった不思議な洞窟だ。入場料は200円。
賽銭箱の後ろに入口があるミステリアスでユニークな造り。中は狭く、大人はヨチヨチ、子どもはスイスイと約70メートルを歩いて出口に向う。

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そして次は、森のなかを歩いて「吉田胎内樹型」洞窟へ向う。前日までに許可申請を提出し、事務所で鍵を受け取り入場。鍵を開けたい男の子はドキドキを楽しんでいる。こちらは全長約60メートル、国の天然記念物に指定されている。一家族ずつ、交替でピストンする。

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そして最後が自衛隊の演習林のなかにひっそりと隠れている「雁の穴」。ここも事前に許可を受けることが必須。二度の道迷いをしながら、ようやく到着。デカイ!

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1人が入ると、数匹のコウモリが飛び出し、歓声が上がる。子どもたちは、早く中に入ってコウモリを見たい。ライトを照らしながら、恐る恐る前進すると、数匹のコウモリを発見〜
モゾモゾと動いている。寝込みを襲われてしまったのだ。

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約10キロ、二万歩。子どもたちはよく歩きました。ケガ人も無く終了して、打ち上げのビールの、それは美味しかったこと〜!