歩キ眼デス4

和食の日


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「11月24日は和食の日」ということで、毎年、和食文化を啓蒙する広告を創らせていただいている。昨日の読売新聞朝刊に、この広告が掲載された。

昨今、出汁の効いた料理を口にする機会が少なくなった。日本人の健康は、和食にあるのではないかという説がある。時間と手間はかかるが、塩分を抑え、出汁でいただく料理の味わいの深さを体験すると、美味しさが分かるし、その先に健康があるのとすれば、ありがたいこと。

食欲の秋、ぜひ出汁で食材の美味しさを味わいましょう。

準備


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交差点で信号待ちしながら、色づく樹々を見ていると、日本の四季の美しさ、季節の節目を、色やカタチ、そして香りで教えてくれていることに気づく。

雪国では、もう冬囲いが終わっているはずだ。手間のかかる準備の中で、厳しい雪への覚悟が生まれてゆく。

遠くの国で、準備もできず、覚悟だけを強いられる人達がいることを思う。

環境ポスター展


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長い旅から帰ってきました。新宿通りのプラタナスが、ここ数日の寒気を受けてか、いい色に染まっています。季節の帳尻が、ここにきてピタッと合ったようです。

環境ポスター展に出した作品です。今年はいつものシビアな表現を抑えて、昨今の世界の情勢をテーマに、分かりやすいモチーフを選びました。

戦争、紛争、分断と、今世界はとても危険水域にあるように思えてなりません。なぜ対立を選んでしまうのか、勝ち負けを求めるのか。認めあう、分け合うことがなぜ出来ないのか。

多くを語らずの作品ですが、そんな思いを込めています。

環境ポスター展


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窓際に置いたアボガドの種から芽が出て、こんなに伸びていた。
たぶん養液を加えなければ、大きく育たないはず。ごめんごめん。


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明後日から、恒例の環境ポスター展です。お時間のある方は、ぜひご来場ください。
16日(土曜日)の15時頃、在廊しております。

大菩薩嶺


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雨マークが晴天に変わり、大菩薩嶺の紅葉マークも赤になっている。これは混むだろうと、バス出発時間より50分早くに甲斐大和駅に到着する。すると既にバス停前には長蛇の列。おいおい・・・

100mくらい歩いて最後尾に並ぶと、後続の人たちが列を長くしていく。聞くと大菩薩をピストンして運ぶという小型のバスは、全員着席厳守らしく、一時間半くらいは待たねばならない。おいおい・・・

ここは隊長の判断「日を改めましょう」。この日の大菩薩嶺を諦める。いつの間にこんな人気になってしまったのだ〜。急遽大月駅まで戻って、岩殿山を目指すことにする。

ここは5回くらい登っただろうか。Iさんは初めてと云うので、まあいいか。山頂からは、眼下に大月市、遠く富士山がクッキリ見えて「こんな日もある」と一日を収めた。

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未来


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今朝、BSの国際報道を見ていたら、2050年、フランスは50度になるだろうと専門家が予測していた。温暖化は予想以上に悪化しているようだ。

40度でも辛いというのに、そんな気温の中でどう生きていくのか。想像を絶する世界が待っている。

温暖化という導火線。いろんなモノを発火させている。様々な事象が不安と憶測を呼ぶ。例えば富士山の冠雪が130年の観測以降もっとも遅いもそのひとつか。とすれば、今日のような寒さを愛おしく思うべきなのかもしれない。

厄介な人


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またこの男か・・・とため息。そして、この顔を見る機会が増えていく憂鬱。自分たちの国さえよければいいのか、そんな人たちを嘆いたら・・・。

その昔、我が田に水を引くばかりか、日本狭しと国中に高速道路や新幹線を延ばしていったあの総理と国民はどうだったのだ、と振りかえる。
インフラを造れば雇用が生まれ、モノとカネが流動し、豊かになる。そんな時代を終わらせなければいけないのではないか(あくまでも個人の見解)。

それにしても厄介な人が決まってしまった。
掘って、掘って、掘りまくって、エネルギーコストを下げろ〜

また地球の寿命が少し短くなっていく予感。

たこ焼き


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すっかり忘れていました。大阪へ行ったら、粉もんのどれかを食べようと思っていました。選んだのは、たこ焼き。いったい、関東とはどう違うのか!?と、偉そうに云えるほど、たこ焼きを食べているわけではないのですが・・・

ミナミの人気店は長蛇の列。空席が見える一軒に飛び込んで、注文。少し待つと、カツオブシを踊らせながら登場〜。むむ、紅生姜、青のりが乗っていない。なるほど、そーゆータイプなのかと、アツアツのたこ焼きを一口放りこむ。

上手い。なにが違うかよく分からないが、広がる口福感。タコが違うようだ。大阪はきっとどこも外れなし。
次回来ることがあれば、お好み焼き、串あげを!

さて、アメリカ大統領選だ。あの人が決まると、温暖化が一気にすすむのだろうか。

ベイスターズ優勝!


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急いで帰らなくては〜試合が始まる

どうしたことでしょう。ベイスターズが優勝してしまいました。昨年、一昨年とKさんと共に横浜、神宮へ応援にいくと、雨に降られ負けることが多く、今年こそと後楽園球場のネット裏へ駆けつければ、またもや敗戦。おまけに後部座席のマナーの悪いジャイアンツファンの罵声と唾をうけて散々な目に遭う。

ヒットを打っても点が入らず、エラーして、押さえが打たれて負けてゆく。はいはい、これがチームカラーなのねと、諦めていたら・・・棚ぼたのリーグ三位、そして別人のようなチームとなって優勝してしまった。

本当にあなたたちなの?あの情けない面々は一体どこに?と、信じられない優勝でした。いまでも実感が沸きません。思えばドジャース、ベイスターズ、太平洋を挟んでの優勝でした。

大阪ミナミ


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大阪で大きな歌会があり参加してきました。会場に入る前に、ミナミと呼ばれる界隈を散策したのですが、驚いたことが2つ。一つは、ド派手で大きな看板が軒を連ねていること。タコ焼き、串あげ、焼肉、ひと目で何の店か分かるキラキラ、ギラギラ。もう一つは、観光客に日本人がほぼいない。

ここはどこだ?外国か?いや、アジアだ。眺める、喋る、撮る、食べる、ほぼこの状況が続き息苦しくなってくる。ここから離れようと、逃げ込んだのが法善寺横丁。地図を頼りにようやく見つけました。半世紀前に流行った曲「月の法善寺横丁」の歌詞が、耳元を流れ始めた(古い)。


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ここの横丁には人が少なく、信心深い人が線香をあげたり、御朱印をもらうために列をつくっていた。角には由緒のある「夫婦善哉」の甘味処があって、ぜんざいの甘い香りを漂わせていた。

選挙戦


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ひっそりとお茶の花が咲いていた

選挙戦、真っただ中、頻繁にオネガイシマスの声が聴こえてくる。彼らの仕事は、当選までなのではないのかと思っている。ある候補者の「お助けください」にはビックリしていたら、突然の電話の主にも驚いた。

「小池です。小池百合子です。今度の選挙には、◯◯さんに投票ください」。一瞬、本人かと思ったが、まさかと電話を切った。他党の候補者に声をかけて・・・それでいいのかね?


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まだ元気なツマグロヒョウモン

電車に乗れば、誰もが座りたいもの。車内にそんな光景が映し出されるときがある。座ろうか否か、悩む。例えば空いている席のどちらかに、あるいはその両方に横幅のある方が座っているときだ。一瞬の躊躇、そして座る、あるいは立ち去る。近くの誰もが、その心の動きを読みとっている(はずだ)。

今日、端の席に座れた。次の駅で、やや強面の人が一つ離れた席に座った。次の駅、そして次の駅、近くまで来て、コンマ何秒か止まって、座らず去ってゆく。

前の席で、居眠りの人が隣りの人に、何度も寄り掛かっている、珍しく三人が本を開いている、そして横幅のある人の間にちょこんと座っている人など・・・そんな車内風景からの一首。

向かいの
三人掛の椅子ったら
まるで栗
真ん中の実が
ぺしゃんこ

金木犀


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今年の金木犀は、香りが少し弱いように思う。咲きはじめも遅かったようだし、これは温暖化の影響ではと睨んでいる。暑さが終わって気温が下がった頃、金木犀の香りに秋の到来を感じたものだ。少しずつ季節感が損なわれていく寂しさと不安を感じている今日この頃・・・。

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吟行歌会


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持続は力なり、なんて諺を思い浮かべた。年四回の「吟行・四季の歌会」が、50回目を迎えた。コロナ禍の休会もあるから、かれこれ15年間、あちこちを散策して歌を詠んできたのだから、たいしたものである。

この諺には「何ごとも続けることで、成果が得られるものである」とあるから、気がつかぬうちに何かが備わったはずだ。さてそれは何だろう。感性(発見)→言葉→歌という流れから、創造力と技術力の筋肉が少し付いたのかもしれない。

記念歌会、秋を詠もうと選んだのは、杉並の大田黒公園。音楽評論家、大田黒元雄の元お屋敷跡を訪ねる。ところが先週の土曜日は真夏日。晩夏なのか残暑なのか、湿度もあって、蚊に刺されながらの見学は辛いものだった。こんな歌を詠んだ。

終わらない
夏は
始まりを
予感させる
銀杏 碧々の一本道

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入口から真っすぐ続く、緑の銀杏並木は、温暖化への迷宮の入口のように感じた。

コスモス


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揺れるものを眺めていると、心の片隅にある何かが揺れはじめる。ススキ、ハギ、コスモス、揺れる花が、秋を演出する。

一芸


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今年はどうなのだろうと思っていたら、ようやく金木犀の匂い。夕方神田川沿いを歩いていたら、ほんのり甘い香りがしてきた。見上げると、オレンジ色の蕾がちらほら。花芽もたくさん付いている。

思えば、金木犀は地味な木だ。秋、花の香りがなければ、こんもりとした樹形はそれほど目立たず、存在感がない。でも、一芸があればよし。ここに私がいます。

一芸
あればよし
金木犀
ここに
私がいます

秋の味覚


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秋田の友人から、ドーンと嬉しいプレゼント。今この栗と格闘しています。栗ごはん、渋皮煮、きんとん、三種類の料理法をネットで学び、丁寧に剝き?あっています。
が、栗を剝くのは、何と難しく大変なのでしょう。

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下山後の楽しみ



蔵王の紅葉は、もう少し先のようだったが、蔓系の葉だけは真っ赤だった。そしてナナカマドやイチイの実も鳥にその存在を教えているかのように山のあちこちを灯していた。

遠望と樹々の有り様を交互に眺めながら、蔵王温泉に辿り着く。下山後の楽しみは「風呂→ビール→酒→蕎麦」と決めている。すぐに共同浴場が見つかった。200円を箱に入れて男湯へ。脱衣所は狭い。着替え、タオルをリュックから出して湯船の横へ。熱いことは知っている。湯を汲み、エイ!とばかりにかぶる。熱い、が、これならなんとかいけそうだ・・・。

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湯船には、二人だけ。イオウの臭いが心身に沁みる。歩いてきたルートを思い出しながら、お湯に浸かっていま一度山登り。至福の時だ。

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風呂から出ると、②のおじさんとお話をした後、つきたての餅を食べさせてくれるという店に入る。メニューで悩んでいたら、ハーフで注文が出来ますというので、選んだのが、ズンダ、クルミ、そしてオロシ。お腹が空いていたこともあって、どれも美味いのなんの〜。ズンダの大豆の青臭さが特筆すべき味わい。

地のもの、旬のものこそ、旅で味わう幸せ。そして水も美味しかった。

道迷い


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三日目、小さな山を一つ登ってから蔵王温泉に出ようと地図を確かめて出発した。途中ゲレンデを下りてゆくと、ガスってきた。山頂部は晴れているのにその下が見渡せない。道は広いし大丈夫だろうとかなり下って、登山口を探すが見つからない(じつはすでに道を間違えていた)。

地図を注意深く見ると、道迷いしていると気づく。ガスっているし、辛いけどここで無理をすると痛い目にあう。約30分、登り返して、もう一つのルート蔵王温泉への林道を下りることにした。つまらないコースだが仕方なし。

きつい林道を下りてゆくと、黄色のヤッケ姿の人が、ガスの中から現れた。「こんにちは」と声をかけて、おしゃべりをする。ガッチリとした年輩の女性だ。ロープウェイを使わずに登るんですねと聞けば、「いつも歩いて登ってます」「ガスっているので、まあ、適当にお昼食べてから下りて来ます」。

地図を見せて、道迷いの話をすると「そこは晴れていても分かり難いです」と教えてくれた。安心して、山の話をする。アオモリトドマツが殆ど立ち枯れていますが、樹氷は大丈夫ですか?

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「全域に渡って、枯れています。このままだと樹氷はもう無理かもしれません」。原因は、虫による食害か気候変動の影響らしい。八ヶ岳も既にそうであるように、針葉樹は温暖化に弱いのか!?

スノーモンスターと呼ばれる樹氷、見られないのかと寂しくなる。約20分、朝日連峰の紅葉、雪山の話などをして別れる。振りかえるとガスの中に女性は消えていった。女性の単独行か、逞しいな。

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キノコ好い匂い。下の花はミゾソバ

山形の人


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雲海の彼方に月山が見えた


蔵王山縦走から帰ってきました。いま筋肉痛です。紅葉はもう少し先のようでしたが、今回の旅は、想い出深いものになりました。

その一つは、弟から譲り受けた文庫本「ふるさとへ廻る六部は」(藤沢周平)が旅の共になってくれたから。車中、そして宿の夜に沁みるような時間が生まれた。藤沢は、鶴岡出身の作家で、山形ばかりでなく東北全域を愛し、賛美し紹介している。

そのエッセイに出てくるような方たち、大きなリュックを背負っていると、話しかけてくる。

①早朝、仙台駅のバス停で「これから蔵王ですか。いいですねえ、私は65歳から百名山を登ってるのですが、85才を迎えていよいよキツくなりました」。小さなリュックを背負って、今日は日帰りをすると云う。「山はいいよなあ、山はいいよ」。本当ですねえ・・。85歳には見えない方だった。

②蔵王温泉下の湯共同浴場から外に出ると「蔵王を下りて来たの?」。縦走しました。「スゴいなあ、いくつ」「えっ、俺と同じじゃない」「若いなあ」「全然見えない」「90まで登れるんじゃない」と話が始まり、斎藤茂吉、藤沢周平の話になって、庄内藩、政治の話になって、右寄りの首相候補ばかりで危ないと危惧されて・・・実に多岐に渡って見識が広い方だった。

③山形駅のベンチで藤沢を読んで時間をつぶしていたら、ヨチヨチと杖をついて近づいてくる男性。慌ててリュックをずらして椅子を勧める。大丈夫ですかと聞けば「肋骨が四本、折れていますが大丈夫です、腰の骨もやられてしまって、上手く動けません」「顔の絆創膏ですか?これは一昨日バスから降りるときに転びました」。薄いサングラスの顔は、ずっと笑ったまんまだ。

「私は、仙台で通訳のボランティアをしていました。英語と北京語、広東語です」。故郷が山形なので、最近戻ってきました。「ご存知ですかな。私は秘密警察に所属していました」。えっ、そんなの本当にあるのですか?ここから長い話が始まった。ときどき、この方は大丈夫だろうか?と思うような話もあったが、大人しく聞いていた。やがて新幹線の時間が来たので「今日はいいお話を伺えて、ありがとうございました」と礼を言った。すると、英語と中国語で「あなたの健康をお祈りしています」と話されたことを日本語で教えてくれた。

以前の山形山行でもたくさんの方にお世話になった。今回もいい出会いをいただいた。山形は人の国でもあった。


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蕾のままに終わったリンドウ


営み


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来年のカレンダー用の写真を眺めている。リスや鳥たちの生き生きとした生態を見ていると、喧噪の街にいることをつい忘れてしまう。

自然の中では生存のために、常に神経を尖らしていないといけない。けれどもこんなひと時もある。生まれて間もないエゾリスが、春の陽気に誘われてうたた寝をしている。

戦争や政治のキナ臭いニュースが流れてくるたびに、道東の自然の中にいた時間を思い出してしまう。

稲穂


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静岡の友人から朝早くに一枚の写真が届いた。時々、散歩コースの風景を送ってくれる。そうか、九月が終わり、稲がすっかり黄金色になっている。

田んぼの実りは、日本人の原風景だと思う。今日、私たちがあるのは、何代にも渡る農家の方達の米づくりによるもの。豊作のニュースは、いつだって嬉しいもの。

早くどの家の米びつにもお米が行き渡ってほしい。


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秋田の友人から送られてきた写真です。お庭で採れたものばかり。アケビ、栗、ヤマボウシの実、赤く小さいのは山椒、白い花はお茶。

アケビは、今年初めて採れたそうで、甘い味噌で炒めると苦さが美味しいとありました。季節を飾り、愛でて、いただく・・・自然に感謝、羨ましく思いました。

静寂


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北海道後半は、中標津の林の中に立つカメラマン事務所にいた。ほぼ48時間、外界からの音が聴こえなかった。外に出ると、林から風を拾うわずかな音が聴こえた。柏と楢の木だろうか。

聴こえないとなると、人は創造力を広げる。ブラックベリー、ヤマハハコの呟きを聴こうとするし、トンボはなぜ首を傾げるのだろうとか、静寂の世界に溶け込もうとする。

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牧草ロール


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ここは北海道、日本ハムファイターズの球場、エスコンフィールド。牧草ロールでいいのだろうか。球場前の芝生で若者たちが刈った草を干し、ロール状にしてからラップしていた。どのようにロールにしたのかは定かではないが、じつにきれいに仕上がっている。

冬場の牧草として、牛や羊たちの飼料になっていく。なんか好いなあと思いながら、黙々と働く若者たちを見ていた。


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大谷、ダルビッシュの壁画前は賑やか

北海道へ


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羊蹄山(蝦夷富士)

一週間ほど北海道へ、行ってまいります。

アササン


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ノウゼンカズラが元気だ

朝晩、少し過ごしやすくなった。もう少し湿度が下がってくれると、秋を感じるはず。そのうち「お待たせ〜」なんて言いながら、どこ吹く風で、カレンダーにスッと収まるのだろう。

もの想う秋


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朝ドラの「原爆裁判」の判決文を聴いているうちに、言葉のもつ力と品性と尊さに胸を打たれた。読まれていく判決文に、日本国憲法が発布された直後の時代であることも伝わってきた。

以下、昭和38年「原爆裁判」の判決主文の前に読みあげられた判決理由の要旨

 当時、広島市には、およそ33万人の一般市民が、長崎市には、およそ27万人の一般市民が住居を構えており、原子爆弾の投下が、仮に軍事目標のみをその攻撃対象としていたとしても、その破壊力から、無差別爆撃であることは明白であり、当時の国際法から見て、違法な戦闘行為である。では、損害を受けた個人が、国際法上、もしくは国内法上において、損害賠償請求権を有するであろうか。残念ながら、個人に国際法上の主体性が認められず、その権利が存在するとする根拠はない

 人類始まって以来の、大規模かつ強力な破壊力を持つ原子爆弾の投下によって、被害を受けた国民に対して、心から同情の念を抱かない者はないであろう

 戦争を廃止、もしくは最小限に制限し、それによる惨禍を最小限にとどめることは、人類共通の希望である。不幸にして戦争が発生した場合、被害を少なくし、国民を保護する必要があることは言うまでもない。国家は、自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである

 原爆被害の甚大なことは、一般災害の比ではない。被告がこれに鑑み、十分な救済策をとるべきことは、多言を要しないであろう。しかしながらそれは、もはや裁判所の職責ではなく、立法府である国会、および行政府である内閣において、果たさなければならない職責である。それでこそ、訴訟当事者だけでなく、原爆被害者全般に対する救済策を講ずることができるのであって、そこに立法、および立法に基づく行政の存在理由がある。終戦後十数年を経て、高度の経済成長を遂げた我が国において、国家財政上、これが不可能であるとは到底考えられない。我々は本訴訟を見るにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられないのである

哀しくなる法の現実、「個人に国際法上の主体性が認められず、その権利が存在するとする根拠はない」。しかしながら、国が「救済策を講ずること」は責務ではなく「職責」であると伝えている。

要旨の最後に「政治の貧困を嘆かずにはおられないのである」とある。首長が変っても、なんら変わっていかないこの国の今を、まるで憂いているかのようだ。


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この夏、4時間37分というドキュメンタリ映画「東京裁判」を観た。この感想は、また時間をおいてしたいと思う。

ムクゲ


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ムクゲは、一日花。萎んで、蕾のカタチのようになって、まもなくポトリと落ちるのだろう。ムクゲの開花期間は長いので、9月一杯は花を咲かせていく。今年の夏は、君たちも大変だね。


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風が好き、風を受けるものが好き、そんな歌を詠んだのか、読んだのか、レースのカーテンを風が撫でている。本来であれば、夏のある日の一コマであるはずが、九月の台風一過の朝に・・・。

風は、まだ秋ではないことを伝えている。もう何年も異常気象と言われているが、あとどれくらい続くと通常気象と呼ばれるのだろう。

早9月


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気がついたら9月。酷暑と台風、そして南海トラフ地震予報、米不足など、慌ただしい8月が終わっていた。そしてオリンピック・パラリンピック、高校野球、敗戦記念日と、行事も目白押しだったこともあり、暑いというよりも熱い8月だった。

山仲間の話では、ヒマラヤの氷河が融けて麓の暮らしに影響が出ている、白馬の大雪渓も雪が少なくなりこの夏は登ることができなかったなど、その影響が現れてきた。

くろしおは海水温を上げて列島の東を北上している。様々な南の魚たちが、東京湾や相模湾に現れている。米の優等生「コシヒカリ」は、温暖化の影響で作付けが減って、暑さに強い品種に変ってきている。

そろそろ、環境ポスター展だと思って、昨年出した作品を見たら、まあなんか予言者みたい。

入道雲


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八ヶ岳の麓に「吐竜の滝」がある。昨年の八月、山の日に子どもたちを連れてJR清里駅から登って、滝を眺め、牧場に出て、清泉寮へ辿り着いた。
ここのソフトクリームを口にしながらの八ヶ岳は素晴らしい!

かき氷


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高尾山、城山茶屋の名物は、かき氷だ。一つお願いすると、おじさんは器を廻しながら、シャキシャキと氷を削って、末広がりに、高く盛り上げていく。思わず声が出た。

あのう〜「小」なんですけど。
これ「小」だよ。シャキシャキとさらに積み上がる。

デカイ。テーブルに運ぶまで、登山客の視線を受ける。シロップはかけ放題なので、つい余計に食べてしまう。半分の高さになった頃、口の中が低温火傷状態になった。ぼんやり氷が融けていくのを眺める。勿体ない、けれど、これ以上は無理だ・・・。 

大量の氷と水分は、下山の汗となって消えていった。

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ノボリの「かき氷」に引かれる

入道雲


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涼しげな影

今月は、酷暑のなかを三週続けて高尾山に登った。クーラーで体調がおかしくなり、汗を流し草いきれを嗅ごう〜!と飛び出した。

緑の多い山は湿度が高い。水分をいくら取っても流れる汗となる。熱中症になりやすい体質なので、頻繁に呑む。そんなとき、沢筋から吹き上がってくる一陣の風のなんと清しいこと。ヒンヤリと全身を冷やす。この至福のために登っているのではないか、とさえ思ってしまう。

人生の幸福の一つは、風を受ける一瞬、と思っている。全てをまっさらにしてしまう風のありがたさよ。

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夏に人気の6号路は水の道

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モンキアゲハは水場に集まる
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2センチくらいの小さな抜け殻
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ヤブミョウガの実

山岳古道


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日本山岳会のNさんが、永く思い続けていたテーマ「山岳古道」。その復興を山岳会120周年記念事業として調査を始めたのが五年前。全国の33支部の会員、研究者、自治体などの協力を仰ぎながら、ようやく半分ほどの調査が完了し、HPで見ることができるようになった。

古の人々を想像しながら、歴史や文化の道を辿っていくのは、新しい楽しみになるはず。下記のアドレスから、調査の終わった古道が見られます。


ムクゲの木の下で


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いつもの路地へ行くと、いつものネコたちが、ムクゲの木の下で居眠り。打ち水の跡が残っていたので、路面はまだヒンヤリしているのだろうか。起こさないよう、そうっと脇を抜けた。

食べる夏


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この夏、小玉スイカをよく食べた


8月に入ってから、朝食に素麵、半田麺、うどんの三種類を続けているが、全く飽きない。ポイントは、つゆ。届いた素麵のつゆに焼いたアゴが使われていたので、試しに煮干しを焼いていつものつゆに加えたところ、麺との相性がグンと良くなった。ネギ、ミョウガ、生姜をお好みに加えると、スルスルと最後まで美味い。

熱中症対策でおやつも水分、塩分のあるものへ。スイカ、アイスキャンディー、水羊羹、そして塩バナナ。冷やしたバナナに塩をかける、ただそれだけ。ナトリウム、カリウム一杯のバナナは消化もいい。

酷暑は、食習慣をも変えていく・・・。

草いきれ


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かつて歩いた山道が背丈の高い草で覆われていた。生い茂った草をストックでかき分けて進んでいくと、はるか向こうからバンザイの格好で向ってくる人がいた。両手しか見えないから、投降してくる兵隊のようで可笑しかった。草の背丈は2メートル以上あり、片側は崖になっているから、要注意だ。この道を選んだその人も、以前ここを歩いたことがあるのだろう。

雨が多かったから伸び放題の草は、蒸されたような匂いがしていた。
草いきれ。子供の頃、この匂いを嗅ぐと、待ち焦がれていた夏を強く感じた。胸一杯に吸い込んでいた少年の夏休みがあった。

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秋を探しに


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上からクズ、キキョウ、ワレモコウ

お盆休み前に地震、そして台風、変らずの酷暑と慌ただしい一週間でした。
その間にオリンピック、高校野球と続き、テレビの前で石地蔵〜。これではいけないと、後半にようやく高尾山を歩きはじめる。

尾根まで登ると気温は5〜6度ほど低く、風が吹けば、あ〜来て良かったと一人ごち。秋はまだかいなのWalkingとWatchingをして、高尾駅で沁みるようなビールを呑めば、至福の時。

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上からツリガネニンジン、ガガイモ、ミズヒキ

夏雲


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少しくらい暑くても、こんな夏雲を見たら、いつだってウキウキしたものだが、感動のボルテージが上がらなくなった。

若い頃は、日焼けが良しとされていたので、日向ばかりを歩いていた。それが、いつの間にやら日影、木蔭を探している。

こんな歌を詠んだときもあった・・・。

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ニッポンの


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オリンピックなんてシラネアオイ


オリンピック中継を観ていると、気になるフレーズが聞こえてくる。それは「ニッポンの***」である。随分前から気になっていた。必ずといっていいほど「ニッポンの」が選手の頭につく。映像に本人が映っているのだから、わざわざ言わなくても分かるのだが、どうもそうはいかないらしい。

「ニッポンの」と云われると、視聴者は、思わず背筋が伸び、拳にも力が入る。そしてなにより、日本人になって、力強く応援をしてしまう。これは国際競技の宿命なのだろうか。応援も、選手の名前だけでなく「USA」「ニッポン」とつい国の連呼になっていく。

ところがである。女子スケートボードの選手同士のハグのシーンを見ていると、十代の若者たちは互いの健闘を讃えあい、競技をおおいに楽しんでいる。
もう国名ではなく、競技名を大声で叫んでいいのではないか。

逝く


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交差点に風が吹いて、見上げると、夏空になっていた。雲は少しずつ立ち上がっていくのだろうか。この空をもう観られない登山家の二人とN兄。週末、鎮魂の山登りをしようかと思った。

連歌


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主催者の思いが伝わるインパク!


日本もパリも熱い!寝不足とこの暑さでフラフラしながら歩いていると、あるビルの玄関前に張られているポスターに、???・・・ 
「photo連歌」の文字が気になって、小さな文字を読んでみる。

一枚目の写真を受けて別の作者が二枚目を撮影する。ほ〜、面白そうじゃないか。
涼みと興味を求めて、五階の会場へ向う。和歌のように、上の句を受けて下の句でお互いを詠みあう形式だな。

それほど広くない会場に、二つ作品がセットされている。なるほど、作者二人の写真のやりとりを、受けては自由に想像して楽しむ。面白い。皆さん、恋歌のように優しい。でもどうなのだ。もっと格闘していいのではないか。みんなまとめようとする意識が強いように感じた。

受付の方に、この企画についていろいろ聞いて、感想を伝えた。試みとして、とても面白いので、ぜひ続けてほしいと結んで。

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K2


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冬の赤岳


東京はこんなに暑いというのに、標高七千mはマイナス40度ぐらいだろうか。二人の日本人登山家、平出和也氏と中島健朗氏が、パキスタンのK2未踏峰ルートで滑落したというニュースが流れた。

二人は世界的なトップクラスの登山家。インスタやテレビで、その人柄とその活躍ぶりを知っていたので、気持ちが落ち込んでしまっている。この一ヵ月、ずっとK2の二人のことを気にかけていたので、ショックが大きい。

なにが原因かは、まだ分かっていない。天候か、何らかのアクシデントか、それとも二人の技術力を持ってしてもK2の西壁は、やはり難関だったのか。

二人の位置は、容易に近づけない難しい箇所だという。捜索を見守りたい。

感染より観戦


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外に出ると、熱中症ばかりかコロナ感染の心配があるということで、週末は、大人しくオリンピックの開会式を観戦しようと決めた。

・・・冷えてます


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ふと、懐かしい広告を思い出した


昨年の新潟の雨不足を心配していたら、なんと秋田、山形に大雨が降り続き、河川の幾つかが氾濫しているという。

酒田、遊佐、由利本荘とかつて訪れた町名が挙がると、こころ穏やかではいられない。憧れの鳥海山を登ったときの記憶と町の景色、それはセットになっている。

猛暑、雷雨、大雨、この夏はお天気に振り回されている。カレンダーを見ると後二ヵ月は、耐えなくてはならない(だろう)。ため息が、出てしまう。

愉しみは、ビール。これに尽きる。

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風と川音とビール〜


川音


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気候変動が、誰の目にもはっきりしてきて、具体的な未来予測は出ていない。でも「地球はこのままだと後30年です」と発表されたら世界は、人は、変わるのだろうか。

そんなことを思いながら、朝、聴いているのは、川の流れのCD。虫や鳥の声が遠くに聴こえる上流から、約一時間かけて、水は波打ち寄せる浜辺に辿り着く。

暑さが増した頃からほぼ毎日、聴いていると、心の温度も下がっていくような感覚がある。都会の中で便利を享受していると、外に向けるべき感覚が閉じ込められている。

作家の椎名誠は、風の中にいることがもっとも幸せなこと、と云っていた。心も身体も、ハコの中に置いてしまってはいけない。

野球観戦


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ちびっ子のマスコットガールが踊る〜


後楽園ドームでの観戦は久しぶりで、ネット裏からは初体験。こんな素晴らしい席に招待してくれたのは、五行歌仲間のIさん。試合前のアトラクションが、実に多く、マスコットガールやキャラクターの踊り、始球式、選手紹介などが終わって、プレイボールとなる。すると外野席から直ぐに応援が始まる(喧しい〜)。

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Iさんとは、今まで横浜、神宮球場に出向いて、ベイスターズを応援して来たが、負けるか、雨が降るか、いい結果になることが少なかった。この日も、読売に押されて、早々に負けが決まった。大リーグで活躍している今永投手が残っていれば〜の、愚痴がつい出てしまう。

今週末から、深夜にパリ・オリンピック、朝方は大リーグ、そして甲子園、涼しいところで熱くなりましょう。

茶臼岳(1935m)


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花はオンタデばかり


三日目、帰りの日に晴れた。一つは登ろうとなって、那須の茶臼岳を選ぶ。途中までロープウェイを使えるので、お昼頃には山頂までいけるはずだ。雲海を下に眺めながら、ガレている斜面登っていく。花はオンタデばかりだ。

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右手にかつて登った朝日岳が現れた

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岩場を登っていると、北アルプスを登っているような高度感がある。空気も少し薄くなっている。一歩一歩、息を切らしながら、整えながら、久しく忘れていた山登りを実感する。約一時間で、茶臼の山頂に到着。

雲海の間から時おり、地上が見える。この達成感があるから、止められない。

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ようやく晴れた〜

雨天結構(2)


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クガイソウ、オカトラノオ、シモツケのお花畑


とは、云ったものの、雨にこれだけ降られるとは思わなかった。自称晴れ男は、今回は雨に祟られた。おまけに登山口に向って、車を走らせて後わずかのところで、通行禁止の看板。モチベーションがポキリと折れ、田代山は遠くに離れていった。今回は諦めよう。

ということで、前日に訪れた日光のキスゲ平の花たちを紹介。人は雨を嘆くが、花たちは、きっと大歓迎なのだろう。恵みの雨を受け入れているかのようだった。

雨の花たちも、それはそれで風情がある。こんな風景を心のどこかに残しておこう。しっとりと覚えているかもしれない。

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クガイソウ
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クルマユリ
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ニッコウキスゲ
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コバギボウシ
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ヤマブキショウマ
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キオン?

雨天結構〜


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叔母の庭に咲いていたカモミール

今日、仕事の提案が一つ終わった。外は雨だけど、爽快感に溢れている。力を出し切ったからか。受かっても落ちても、悔いなし。
週明け、友人と田代山に向う。雨天結構!を合い言葉にしているが、やはりお天気であってほしい。

叔母からの手紙


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ある時、叔母を訪ねたら、庭仕事の最中だった


妹にお願いしていた記念歌集「麹」が、北海道の叔母の手元に渡り、その感想が手紙になって届いた。花好きの叔母とは、あるときから気が合い、帰るたびに訪ねていた。小さな庭はイングリッシュガーデンのようで、お茶を飲みながら話をしているると時間を忘れた。

彼女は短歌を嗜む人で、今も北海道新聞に投稿を重ねている。「あの歌いいわね」と誉められた歌が

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なかなかお目が高い、と云ったらなんて言うだろうか。ふとこんな言葉を思い出した。「ヤマブキは散っても、萼が可愛いでしょ、だからしばらくはそのままにしているの」

アササンでそんなヤマブキを見ると、つい叔母を思い出してしまう。

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ヤマブキの萼は、花のようだ

吟行歌会(夏)


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この暑い中、吟行するのは危険。ということで夏は、涼しい美術館や博物館で展示作品を眺めて、歌を詠むことにしている。先週末、東京都写真美術館に集合し「時間旅行」と「にっぽんの里山」という企画展を鑑賞した。

それぞれ「空間」「時間」ということで、頭を整理して二首を詠まなければならない。「時間旅行」からおもしろい歌がいくつか詠まれた。

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だぶついたブラウスに
長めのスカート
皆同じ制服にガスマスク
一番きれいな時の
女学生の行進

これは、Kさん(一席)の作品。誰もがこの前で足を止めたに違いない。この写真の怖さは、少女たちのガスマスクにもあるが、その背景にある禍々しさが、不気味でならないのである。何の為の行進か、なぜガスマスクなのか。1936年に撮られた写真だから、この後の東京大空襲で女学生の多くが亡くなったかもしれない。

茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」を想起させた。作者は、女性の観点で詠まれた。前三行は、その不気味さを伝え、やり切れなさへと繫げている。

あまやかな
ピントが映しだす
その時代に
クッキリとした
日本人がいた

これは小生の歌。古い写真ほど、露出の関係でピンが緩くなる。いまほど難しい時代背景ではなかったからか、人々の表情は、どれもクッキリしているように感じた。

帽子


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靴磨きが帽子を被って、客は無帽だ

東京都写真美術館の「時間旅行」という企画展で、日本の百年の風景を紹介していた。緩いピントの向こうに見える風景や人物のモノトーン写真にノスタルジーを感じてしまうのはいつものこと。消えていった文化や風物に、哀惜の思いが重なる。

消えていったものに、男の帽子がある。明治以降、帽子はたしなみであり、地位のシンボルの一つでもあった。問屋の丁稚や手代はハンチングと決まっていたし、サラリーマンはソフトを被っていた。

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モボ、モガがカンカン帽を被ってる

昭和に入ってからも帽子は続いたが、世界的な風潮に押されて、ソフトを被る人が消えていった。それは中流階層の台頭と重なった。外を歩く習慣も少なくなり、高温多湿の夏には向かないことで、パナマ帽やカンカン帽に変っていった。

ヤブカンゾウ


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暑い〜〜34度?のなか、この花を見て「破かんぞー」の文字が走った。脳みそが沸騰しそう。このくらいの気温、平気だったはずが、すっかり弱くなった。

四谷の土手にヤブカンゾウが一輪、咲いていた。近似種にはニッコウキスゲがある。今ごろの尾瀬は、さぞ涼しいことだろう。ニッコウキスゲは、鹿にすっかり食い荒らされて、今や見る影もないとか。

都会ではビルが立ち並び、山の花々が消えていく。ポツンと咲いている、こんな花に思いが広がる。

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稜線に笠ヶ岳山荘が見える/2015年7月

剪定


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雨で順延になっていた剪定が始まった。庭の照葉樹の枝が次々に落とされて、室内が明るくなってゆく。とても気持ちがいいのだが、反対側のマンションからも見られてしまうので、ちと恥ずかしい思いもある。

ときおり作業をしている人の声が聞こえてくる。
「これ、お借りします」「どうぞ」
「すいません、大きいのを落としました」「大丈夫です」
声の感じから、師弟に近い二人、若しくは違う業者が入っているのかな、と思ったり・・・

聞き慣れた現場言葉ではなく、気遣いのあるやり取りから、とても丁寧に作業をしている印象があって、なにか心地がいい。二人のやりとりはそんな感じで続いていった。

美しい言葉などというものはない。 言葉が美しくなるのだ。
詩人、田村隆一の言葉を思い出した。

もらい泣き


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縁があるのか、再びのスタンウエイ


そのコンサートのアンコールでもらい泣きをした。「飛澤直子追悼コンサート」。ご本人である直子さんが4月に急逝され、プログラムが変った。ご主人の飛澤浩人さんのヴィオラ、娘さんの絵芽さんはヴァイオリン、そしてご友人お二人がピアノというアンサンブルで、直子さんが愛した音楽世界を奏でた。

絵芽さんはまだ芸大高校の2年生だが、すべての曲に思いを込めて弾いていた。この日のスタインウエイは、お二人の弦楽器を立てていたのか、軽やかだった。プログラムが終わり、アンコール曲は親子での奏楽、モーツァルトを選んだ。直子さんに届けようと二人の音はメッセージを帯びていた。

終わった瞬間、絵芽さんが堪えきれずに泣いた。拍手が響き渡った。亡くなられてまだ二ヵ月も経っていないのだ。笑っては泣いて、そして笑おうとしていた。

よく頑張ったねと、父は娘を優しく見つめていた。ドラマを観ているようなシーンに感動し、お二人に無言のエールを送った。希望が溢れるようないいコンサートだった。

スマホ


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いただいた枝豆、切り落とす幸せ〜

スマホのない時間を体験してしまった。先週金曜日の大雨、小止みになったのを確認して事務所を出ると、再びの雨。やれやれと電車に乗って、忘れたことに気がついた。雨のなか、戻るのもシンドイので、そのまま帰宅した。

あるべきもの無いというのは、心許ないもの。土曜日に予定が一つあったので、もしかしたらなどと心配して、少し落ち着かなかった。

がしかし、あるとき連絡ができなくなる日が、突然来るかもしれない。こうした時間にこそ、想像を広げて覚悟と準備をしておかねばと思うのだった。

雨の日


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この一週間、総武線の遅延に遭うこと4回。事故駅の表示はされるが詳細は分からない。ホームで待つ人は、苦々しく思っているのか、それとも一人の人の不幸を憐れんでいるのか、みんなスマホを手にして佇んでいる。

こんなときは、遠くへ思いを馳せる。かつて雨の日に登った山道とか、モリアオガエルのオタマジャクシたちは、雨粒と一緒に池へ落ちてるのだろうかとか、都会の喧噪からしばしワープする。

新潟地方にも沢山の雨マークが付いた。農家の方々はホッとしていることだろう。

雨の日は


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まもなく6月が終わろうとしている。以前、友人と呑みながら6月に祝日を作るとしたら、何の日がいいだろうとほろ酔いを愉しんでいた。「雨の日」はどうだろうと私が云った。

10年以上も前に詠んだこの歌、この時期になると思い出す。どこのショーウィンドウを眺めていたのだろう。

グレート・ヒマラヤ・トラバース


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お帰りなさい、Iさん

今朝、成田にIさんが帰ってきた。日本山岳会・創立120周年の記念事業「グレート・ヒマラヤ・トラバース」で、4/15にカトマンズへ飛び、4/22からテント泊を続け踏査すること56日、カトマンズへ戻り、73日ぶりの帰国。いの一番に今日の「子どもと登山委員会」に参加してくれるとは嬉しい。

前回の「富士山の洞窟探検」のリーダーは、Iサンだった。「これを読めば大丈夫です、後はよろしく」、バサッとマニュアルを置いて、彼は飛び立った。読めばいかに手強い計画かと思い知った。愚痴は云うまい、すでにIさんがきちんと成し遂げたのだ。後を継いでマニュアルの通り、ひとつ一つ進めた。

細やかな計画書、リスト作り、入山許可を得るための文章に、Iさんの人柄とセンスが見えた。そんな彼だからこそ、無事にヒマラヤを歩き通せたのだろう。
今晩は、トラバースの土産話に盛り上がろう。

森のクラス会


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半世紀を経ても声をかければ、すぐに集まる中学校時代の友人たち。今年も集合は八ヶ岳の森の中にあるレストラン。生憎の雨降りとなったが、360度ほぼガラス張りの室内、雨によって緑は深みを増し、森の水族館にいるような雰囲気になった。

挨拶を交わしたあと、体の不調や老化を嘆き、死生観、散骨、墓じまいなど、いきなり辛気くさい話になった。今後はこんな感じになるのだろうか。ランチが終わると「平山郁夫シルクロード美術館」へ。NHKの懐かしい番組を見ていた世代なので、展示されている絵画や石仏に関心を寄せる。


宿に到着すると、幹事の手違いから本館ではなくロッジでの一泊となった。まあ、仕方がない、それもよかろうとなり、まずはテーブルを囲んで、乾杯となって、和んでいった。

呑んで、歌って、買い物をして、前回、富士山を見られなかったというSのために、甘利山(1671m)まで登って、満足。次は、秋の北海道で会いましょうと解散となった。


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甘利山からの富士山遠望


先日の「富士山の洞窟探検」のレポートを書きました。



スタインウエイ


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BS放送でよく見かける「街角ピアノ」という番組。世界の駅や空港、最近では町の片隅などにも置かれて、通りかかった人、常連の人らが奏でて、ピアノと私を語ってくれる。

再放送であっても楽しく、弾くことはできないけれど、ピアノが好きになった。先週、江口玲さんのピアノコンサートのチケットが手に入って聴いてきた。

そのピアノは19世紀に作られた「スタインウエイ」という名器だそうで、今まで聴いたピアノの音ではなかった。

彼の言葉が面白かった。
自分のやりたいことをこの楽器に押しつけても駄目だ。この楽器から何かをもらうしかないという発想をしました。「この楽器は、ここからどういう音が出るんだろう。こうするとどういう音が出るんだろう」っていうところから始めました。

そうしてようやく「スタインウエイ」によって、身体全体から何かが剥がれ落ちて、なんかもう別人になった。自分の中で別人になりました。

その別人、江口玲さんが奏でたカンパネラは、スゴかった。家で聴いているフジコ・ヘミングのカンパネラが、子守唄のように思えるほど、鮮烈にホールに鳴り響き、ノックアウトされた。

「押しつけても駄目だ。この楽器から何かをもらうしかないという発想を」。喩えるなら歌を詠むことにも繋がるのではないか・・・そんなことを考えながら、あの「スタインウエイ」のピアノ音を思い出している。

路地のトンネル


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郵便局の帰りは、必ずここの路地を通っている。初めて見た時は、オイオイこんなに茂って、許されていいのか?などと思っていたけれど、近くにネコがのんびりと昼寝をする様子を眺めていたら、とても貴重な空間なのではと、気にとめる路地になった。

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ムクゲがこれでもかと生い茂り、小さなトンネルの高さは130㎝くらいか。ヨチヨチと抜けると、コンロンカが待っていた。ネコはどこかへ散歩だろうか。

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モウセンゴケの粘液、雨ではなく虫を待っている


遅うなりました〜(なぜか関西弁)と雨が来た。ようやくの雨。いまごろ列島のあちこちの貯水池を潤しているだろうか。新潟にも降っているだろうかと、天気図を見ると、そこだけが晴れマーク。長野まで雨なのに、なぜか新潟地方まで及んでいない。

だが、週末からは新潟地方にも降りそうだ。農家の方たちは、待ち焦がれているはずだ、雨よ足を伸ばしてくれ〜。
アジサイも菖蒲も、この雨で一息だろうか。

先日の歌会で、この歌に惹かれた。

梅雨時に思い出す
夜更けの居酒屋
いい雨ですなあ
あの穏やかな声
静かだった 昭和の雨

半世紀前、こう呟いたのは、漫画家の滝田ゆうさん。新宿三丁目の居酒屋でポツリと隣りの席の作者に。「いい雨ですなあ」といえる社会は、きっと平和なのではと思う。

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梅雨


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梅雨の頃、アジサイ、菖蒲、トラノオや半夏生が、涼しさを演出してくれる。自然はこの時期、なぜこんな爽やかな配色を施せるのだろう。

猛暑の前、しっとりとした色合いが、目に優しくうれしいが、梅雨入りが遅れているらしく、新潟県のある農家では田植えを断念したと聞く。

世界中で、水の格差社会が始まった。欲しい処には降らず、いらない処に雨が降り続く。


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伊藤若冲


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皇居東御苑、三の丸尚蔵館で若冲の国宝「動植綵絵」4幅が観られると聞いて出かけた。予約制とあって入場者も少なく他の作品も含めてゆっくり鑑賞できた。

若冲は、江戸時代に「神の手を持つ男」と呼ばれた天才絵師。その作品の一つ「動植綵絵」30幅を三の丸尚蔵館がコレクションしている。以前、NHKがその美の極みを高精度カメラで放映すると、若冲の名が一気に知られるようになった。

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「老松孔雀図」は以前と変らず、その見事な彩色を輝かせていた。深緑の松に立つ白い孔雀、赤い牡丹がそれを見上げているような構図。孔雀の羽がどうしたらこんな白に発色するのか、不思議だった。

その他にも白い絹糸で刺繍された描かれた菊の屏風、狩野派の代表作、国宝「唐獅子図屏風」など滅多に観られない作品が展示され、静かなひと時を過ごすことができた。

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溜息がでるほど美しい、白の絹糸で刺繍された菊

ネジバナ


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上手く撮れました。ネジバナはラン科で、花は小さいけれど、よく見るとナルホドのカタチをしています。別名、文字摺(もじずり)、ちょっと文学的で恋の歌に詠まれます。

みちのくのしのぶもじずり
誰故に乱れむと思う我ならなくに   源融

ねじった姿を、身をよじって恋する人を想い苦しむ様に擬えて歌ったのだそうです。


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ウェストン祭の記念切手をデザインしました。
1シート(10枚)特別価格で販売をしています。

梅の実


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沢山の梅の実が落ちたままになって、好い香りが一面に漂っていた。勿体ないなあ〜、いくつか戴こうかと思ったけど、きっと監視カメラが視ていて、警備官が走ってくるに違いない。

ここは皇居東御苑、平川門へ抜ける辺り。数本の梅の木は、どれも豊作だ。この落ちた梅は誰が食べるのだろう。鴉!?

以前、半蔵門から日比谷へ下りていく途中、ワラビがあったので手を伸ばしていたら、あっという間に警備官がやってきて注意された。いいじゃないの少しくらい〜と思ったが、皇居周辺はとても警備が厳しいのだ。

食品価格が上がっている今、こうした風景を見てしまうと、気持ちの落としどころが見つからない。

岡本太郎


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先週末の洞窟探検から戻ると風邪をひいてしまい、体調やや下降気味の中、生田緑地散策の後「岡本太郎美術館」へ。あの岡本の作品を鑑賞する気力・体力が湧いてこないが、約束の企画だから仕方がない。

彼が五年間の軍隊生活をしていたとは知らなかった。パリでの知的で自由な10年の留学生活から、自由と人間性を奪われた想像を絶する苛酷な軍隊生活を体験する。上官の自画像などを描かされていて、それは辛かったことだろう。

反戦への思いは、作品となって現れる。あらゆる表現物において、真に自由で人間として生きることの出来る社会を、芸術を拠点にして伝えていく。それが岡本の作品の原点であり発露となった。

全ての作品からも圧倒する気が迸る。デカイ、強い、眩しい〜。なんとか全作品を鑑賞してヨロヨロと外に出ると、高台の作品「母の塔」が太陽を背に「バクハツダ〜」。

ワア〜〜

葉っぱ


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たまにヤブ漕ぎをすると、棘のある枝で痛い思いをすることがある。たいていノイバラかイチゴの枝だ。同行している人に時々聞かれる、バラですか、イチゴですか、と。

答えは、葉っぱのカタチ。それは大きな木も同じで、以前、山の中で出会った木の先生は、双眼鏡を覗いて、木の種類を教えてくれた。

葉っぱが他の種類と違う場合は、カシワバアジサイとか、マルバウツギといった葉の特長が名前につくので覚えやすい。

祭のあと


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祭り半纏がぶら下がっている。週末、四谷須賀神社の大祭だった。男たちの汗、掛け声、熱気がすべて洗われて、干されている。喧噪までが、逆さになっているようで、なんとも可笑しい。

どろ亀さん


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自然林がそのまま残って、ハルゼミが啼き、フカフカの道を木漏れ日が照らす。ここが自衛隊の演習場だなんて、信じられなかった。特別の許可を受けなければ、入ることができない緑の別天地。

ふと、亡くなったどろ亀さんこと高橋延清さんを思い出した。東京大学生物系研究科の教授でありながら、一度も教壇に立つことなく、「森こそが教室」と現場主義を貫き、北海道の演習林で定年までを過ごした。変わり者に見られていたが、林学の研究者として実践に専念され、多くの人材を育てた方だ。


HPのトップには「森が豊かであれば、人の心も豊かなのだ」とある。その通りだと思う。豊かな森や山を失ってはいけない、焼いてはいけない、砂漠にしてはいけないのだ。

この日、誰もがこの豊かな演習林のなかを、幸せな気分で歩いていたと思う。

富士山の洞窟探検


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いよいよこの日がやって来た。前夜、緊張なのか深く眠ることができず、早くに目が覚める。4家族とスタッフ合わせて20名の「富士山の洞窟探検」。ハルゼミの声を受け、青空の元、富士山麓を目指す。

最初の洞窟は、平安時代、富士山の溶岩流によって出来上がったという「船津胎内樹型」。複数の大木が燃え尽きて、そこが空洞になった不思議な洞窟だ。入場料は200円。
賽銭箱の後ろに入口があるミステリアスでユニークな造り。中は狭く、大人はヨチヨチ、子どもはスイスイと約70メートルを歩いて出口に向う。

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そして次は、森のなかを歩いて「吉田胎内樹型」洞窟へ向う。前日までに許可申請を提出し、事務所で鍵を受け取り入場。鍵を開けたい男の子はドキドキを楽しんでいる。こちらは全長約60メートル、国の天然記念物に指定されている。一家族ずつ、交替でピストンする。

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そして最後が自衛隊の演習林のなかにひっそりと隠れている「雁の穴」。ここも事前に許可を受けることが必須。二度の道迷いをしながら、ようやく到着。デカイ!

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1人が入ると、数匹のコウモリが飛び出し、歓声が上がる。子どもたちは、早く中に入ってコウモリを見たい。ライトを照らしながら、恐る恐る前進すると、数匹のコウモリを発見〜
モゾモゾと動いている。寝込みを襲われてしまったのだ。

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約10キロ、二万歩。子どもたちはよく歩きました。ケガ人も無く終了して、打ち上げのビールの、それは美味しかったこと〜!

未来


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若竹誕生〜


生命の源は海。生物は進化を遂げて陸に上がり、環境に適応しながら繁栄を極めてきた。その生命が、海のさじ加減で脅かされようとしている。

地球の環境を治めているのは海。海は、酸素をつくり、海流、風、気温をつくって、私たちへ届けている。海水温がほんの僅かに上がっても、災害に繋がることも分かってきた。

49.9度って、どんなだ。インドのニューデリーで凄まじい炎暑が続いている。科学者の予測より早く、地球環境が悪化しているのではないか。

彼らは云っている。「C02を減らせば、温暖化のスピードを遅くすることができる」と。もう元へは戻らないのだろうか。

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未来を託す子どもたちと明日は洞窟探検

網棚


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スポットライトが当たっていた

人の少ない電車の座席から、網棚を見ていた。何も載っていない。

まだスマホなんて無かった時代、通勤の男たちは、混んだ車内で、タブロイド判の夕刊や週刊誌をタテに折って読んでいた。

駅の販売店(キオスク)には、トップ記事の見出しが大きく貼られた籠に「夕刊フジ」「ゲンダイ」が高く差し込まれていた。男たちは、次々と小銭を置いて引き抜いてゆく。読み終わった新聞、週刊誌は、網棚に載せられた。

それを次の者が読み、また網棚に・・・最後は回収者?が車内を渡り歩いて、漫画、週刊誌、新聞をす全て持っていく。駅の外で、まだ新しい週刊誌は半額くらいの値がついて並べられていた・・・そんな風景を思い出していたら、到着駅に着いた。

オトシブミ(落し文)


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オトシブミをいただいた。手に載せれば、丸い木漏れ日も一緒。緑が山を覆うと、虫たちがそれを食み、鳥たちがヒナのためにその命をいただく。循環しながら自然のバランスは、保たれてきた。

世界各地の災害のニュースは、ここずっと賑やかしい。2050年までに・・・、なんてニュースを見ながら思ったこと。
はて!? それまでこの星は保つのかい?

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このタイプは、初めて〜。これは落ちずに!?、葉は幼虫に食べられていく

百蔵山(1003m)


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先月の高川山よりも楽なはずが、なかなかどうして、百蔵山は変化にとんだ山だった。とくに山頂直下の約100メートルは、鎖、ロープが連続して気が抜けない。しかしなんとか登り終えると、平坦な山頂が現れて、我らを大いに喜ばしてくれた。

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近づくとそれなりに迫力がある
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登り口は優しげな道だ
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鎖を握ると緊張感が走る


中央線の猿橋駅よりバスに乗って、百蔵山登山口で下車。しばらく勾配のある車道を歩く。ウグイス、ホトトギスの声を聴きながら、五月の緑と風をうけて進む。エゴノキ、テイカカズラ、カメノキの白い花から好い香りが漂う。

富士山は、今月も恥ずかしがってか、雲の中。歓びが半減だよなあ〜と思いながら、暑くも寒くもないお天気に恵まれて「秀麗富嶽十二景・七番山頂」の百蔵山でのんびりの五月の山を楽しんだ。

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下山すると麓にはこんなお出迎え
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猿橋は日本三大奇橋の一つだ

昆虫撮集


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バス停の日影で下りると、川からカジカガエルの涼やかな声が聴こえた。この声が聞こえるということは、カワトンボたちも舞っているはずだ。

春の終わり、カジカガエルが鳴いて、しばらくするとエゾハルゼミが啼き始める。そして花は一気に咲いて、新緑も高みへと登りはじめる。

命が山に増えてゆくと、子どものようになる。光を受ける命たちの輝きだ。

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路地


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路地が好きだ。気がついたらフラフラと入っている。喧噪からひょいと逃れて、とても落ち着く。ストレスが溜ったときは、路地の散歩をすすめたい。

知っている路地であれば、あの花は咲いたかな、ネコは元気でいるかなとか、入っていく楽しみはいくつも浮かぶ。匂いや音、そして季節感も味わえる。

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ネコたちはお昼寝でした

ツレサギソウ


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サギソウには見えないのだけど・・・


ごめんなさいと追い抜いていった女性が、数メートル先のササヤブに入って撮影を始めた。一度通り過ぎたが、気になって戻り「その花は珍しいんですか?」と聞いてみると「***です」と早口に云われて、立ち去った。

初めてみる花だった。近くのプレートには「盗掘は犯罪です・・・」の標識があったので、山の管理者が植えたのだろう。

撮影して山仲間のLINEに載せると、間もなく「ツレサギソウ」の報告がきた。サギソウだから、つまりランの仲間。花のカタチが特徴的だ。横から見ると仔象のようにも見えて可愛い。

木漏れ日


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新緑が終わると、木漏れ日だ。風が少しあると、木々の透き間を通った光は、地面で丸い点滅を繰り返す。
光と影が織りなす悪戯を見ていると、目眩を起こしそうになる。

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リニア


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ゆっくり旅を楽しもうよ
水がないと干上がるぞう


日本も干ばつか?と、ひび割れたため池の底の写真(昨日の朝刊)を見つめた。水位低下は、進められているリニア新幹線のトンネル工事が原因と考えている(JR東海・広報部)のコメントが加えられている。
悲しいかな、反対していた人たちの懸念は的中した。

決まった事だからと工事を進めているが、得るものよりも失うものの大きさに、なぜ気がつかないのか。生活や自然への影響が起き始めても、頑として立ち止まらない(今朝、JR東海社長・工事一時中断の記者発表)。

オリンピックも万博も、そしてリニア新幹線と環境を顧みない無駄遣いを繰り返し、負の遺産を残していく。

因みに「リニア」とは、直線的であることや一直線に進むことを表す言葉らしい。アホらしくて腹立たしくなる。

大吉原展


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辻村寿三郎の花魁道中が想像の世界を広げる


「あでやか」「つややか」と打てば、どちらも「艶やか」と出る。まさに浮世絵師たちがこぞって描きたかっただろう世界「吉原」がそこにあった。

吉原は250年間も続いた幕府公認の遊郭。今では考えられない、許されない制度でありながら、贅沢で非日常で虚構の世界は、最先端の流行発信の場でもあった。

歌麿、北斎、広重など天才絵師たちの作品ほか、世界各地に流失した美術品が集められ、吉原の歴史に合わせて展示されている。

沢山のカンザシを差し、厚ぼったい着物を幾重にも纏って、美を極めていくとこんなファッションになってしまったのかと不思議に思いながらも、外の世界を知らぬままに、命を落としていった遊女たちの生涯を考えずにはいられなかった。

五月の空


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つい見上げてしまうポプラ


五月の空と大谷翔平はよく似合う。抜けるような笑顔で、空に未来を描く。

五月の空は
大谷翔平
抜けるような笑顔で
ありえない未来を
描いてみせる

ポプラは小学校の校歌のなかで歌われていた。大谷翔平を見ていると、このポプラを重ねてしまう。どこまで伸びていくのだろう。
五月の空と大谷翔平を見ていると、この世に哀しみなんてあるのだろうかと思ってしまう。

木漏れ日


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ランチの後、友人Sとテラスのあるカフェで、なぜか老いの話になった。五月の木漏れ日を浴びているというのに・・・。

中学校時代は、恋や音楽の話をあんなにしていたのに、気がついたら「老い」だって。
笑ってしまう。違う世界を歩んできたけれど、流れていった時間だけは同じということ。

ほんの一時間、タイムスリップと柔らかな不安を楽しんで、仕事に戻った。

五月場所


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風下へニオイバンマツリの香りが


お天気がよく変る。大きな雨雲が列島を北へと流れている。五月晴れは、もう五月雨に変ったのかと、五月のつく言葉を思い浮かべた。

そういえば五月場所も荒れている。力士の力が拮抗して、下克上のような勝負が展開され、負けた大関、横綱らが下を向いて土俵を下りていく。

相撲協会はドキドキだろうが、観る側は実に楽しい。千秋楽まで楽しませてもらいたいが、どうなるだろう。

トキワツユクサ


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三つの花びらをもつ花は多くない。だから、見つけるとつい見入ってしまう。
トキワツユクサは、帰化植物。原産地は南アフリカだから、随分遠い国からやって来たものだ。
花言葉は「尊敬」。

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アケビの花も今ごろか

少年


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新緑の季節は、水の季節でもある。山の雪融けが始まり、川音が勢いを増して涼やかに聴こえる。

子どもが川に向って石を投げている。ずっと眺めていたのだが、終わることがない。何がそんなに面白いのか。
いやいや、同じことを一人でしていたことがあったはずだ。

そんなことが面白いのだ。この日を彼は、記憶することだろう。いつかなんかのときに、ポチャンと響く水の音をきっと思い出すはずだ。


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紫陽花の前にカメノキの花が咲き始める

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ハクウンボクの花が愛らしい

トウダイグサ


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新緑に目を奪われていると、足元には珍しいトウダイグサ。まさに諺の通り、灯台下暗し、気がつかなかった。

調べると灯台ではなく「燈台草」となっているので、燈火のカタチを名前にしたことがわかる。辺りの草が、ほぼ鹿に食べられているのに、この草だけが残っているのは、有毒だからだ。

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食害に遭わず群生するトウダイグサ

GW


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水面に映るみどりが眩しい

今年のGWは、お天気に恵まれ、どこの観光地も一安心だったのではないかな。昨年のGW後半はお天気が崩れ、家で大人しくしていたことを覚えている。

毎年GWは、静かな東京を満喫している。道路は車が少なく静かで、高級リゾート地のような佇まいに変る。地図を眺めながら、訪ねたことのない公園や美術館の近くまで行き、すこし歩く。安・近・短。

遠くまで行かなくたって〜なんて、負け惜しみでは、ない。

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珍しいホオノキの花
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いま、バラの香りが芳しい

白い椿


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椿の季語は春。次の季節を暗示させるかのように、箱根の山道に白い椿の花が、点々と散っていた。

昔、日本には白い喪服で送るという風習があり、白は再生、決意や悲しみを表すという。そんなことをふと思い出した。

アオモミジと終わる白い椿、なにか季節の間を歩いているかのような気分になった。

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青紅葉


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青紅葉という言葉は知っていた。知っていたし、見ていたはずだった。けれど、息を呑むほど美しいとは知らなかった。

枝垂れているなかに入って見上げると、若い葉は光を受けて、いくつものシルエットにさまざまな緑色を浮き上がらせていた。

この時期にしか見られない、光と新緑だ。

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高川山(975.7m)


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山梨県の南に位置する高川山、六年ぶりに山仲間と訪れた。晴天なら富士山が眺められるはずだが、生憎の曇り。今回は、谷川の道から山頂を目指した。

登山口に向うまでのある住宅の庭に、珍しい花を発見。絶滅危惧種に指定されているクマガイソウ。ランの仲間で、その姿は実に面白いカタチをしている。

山に入ると、ナルコユリ、イカリソウ、そしてもう卯月の花が咲きはじめていた。コゴメウツギ、ヒメウツギ、そして珍しいオオツクバネウヅキ。今年は、梅雨が早いのだろうか。

そして、登りも下りも新緑がじつに美しかった。


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絶滅危惧種のクマガイソウ
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外来種のナガミヒナゲシ
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ナルコユリ
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イカリソウ
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チゴユリ
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コゴメウツギ
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ヒメウツギ
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珍しいオオツクバネウツギ
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高川山の登山口に辺り
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高くなる程、緑はこれから

ミツバツツジ


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淡い紫とかわいい新緑が、野山を飾るミツバツツジ。枝先には三つの葉っぱ、上手く表現している名前だと思う。
ツツジが終わって、そろそろフジが咲きはじめているに違いない。

白い花


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歳のせいなのか、日本人の声質が高くなったからなのか、人混みや街の喧噪にやや疲れ気味だ。昔、私たちはもっと声が低く、ゆっくりとした話し方だったのではなかろうか。

大リーグ選手のインタビューを聞いていると、声優のような低音で答えている。そしてそこに笑顔が加わると、ユーモアやセンスのある知的なイメージまで重ねている。

黄色の花に疲れてしまたっとき、白い花は心を沈静させてくれる。白いヤマブキが、登山口の近くに咲いていた。

越冬


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GWが近づいている。なのに天気予報めまぐるしく変わり、雨マークが増えていくのが気になる。旅を予定している人は、気を揉んでいることだろう。

お天気だった週末、木道に舞い降りた蝶の羽の片方が失われていることに気がついた。名前の通りの美しいルリタテハは、成虫のまま越冬する。つまり昨年に羽化して、二年に渡って飛び回っているうちに、天敵に襲われるなどして羽の一部を無くしたのだ。

好いお相手を見つけて、次の子孫を残せよとエールを送ったら、元気に飛んでいった。

八王子城址


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週末、快晴。こんなことをしていられないと、立ち上がり、昼過ぎに高尾に向う。この二週間で三回目の高尾山。家人からは、山菜があったら入れるんですよと、ビニールの袋を渡される。

一週間前、一度は諦めたはずなのに、春の縁起物であるワラビを食べたい。北高尾の日当りの良い土手ならあるかもしれないと八王子城に向う。かなりのピッチで歩いていたら、年輩の男性二人に抜かれる。いつの間にやらスピードが遅くなっているのか!?

トーチャコ。長い土手があったので、じっくり探し始めると、長く伸びてしまったものばかりが目につく。やはり時期が過ぎていたのだ。〜〜ザンネン。

仕方がない。城を攻め落としてから帰ろう。標高450m、けっこうキツいけれど、関東平野を一望できる本丸近くまで来ると、気分爽快になった。

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ここで秀吉の軍勢を待ち構えていたのか
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社が覆われて、中尊寺の金色堂みたい
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八王子城本丸址

小田原


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昨日、小田原歌会にKさんと参加した。久しぶりに訪ねた小田原駅そして周辺は、大きく様変わりをしていた。三十年も前、鄙びた駅前辺りでアジの干物など買って、一杯呑んで、新宿駅まで寝て帰った。

それが、すっかりお洒落に変貌。インバウンドの影響もあるのか、高い観光性と収益性を感じさせる建物やショップが増えていた。

駅前の高架から周辺を眺めて、古い街並を重ねようとしたが、思い出せなかった。
変らないのは、遠くに見える小田原城くらいだろうか。

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アライグマくんもMさんの一席歌にシンミリ

能登半島地震


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能登半島では、地震による被災で転出する人たちが多いと知った。家屋の倒壊により住み慣れた土地を去れねばならぬのは、紛争地や戦争地、気候変動による自然災害地だけではなかった。

いままでの時間、これからの時間を失い、新たな土地で生きていかねばならない人たち。その決断を思うと胸が痛む。

毎月送られてくる情報誌で、能登の被災状況を知りました。

長く愛読している月刊フリーWebマガジン
 Colla:J(コラージ)をご覧ください。


ミツバツツジ


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この時期、山では桜とともにツツジが咲き始める。都会の毒々しい色のツツジとはやや色合いの違うミツバツツジだ。この淡い赤紫の色を新緑の中に見つけると、頬が弛んでしまう。

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幸せなランチタイム

ハナイカダ


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高尾山の山道で

水面に浮かぶ花びらに「ハナイカダ」と呟く頃、山ではもう一つの「ハナイカダ」が花をつける。いまは可愛い蕾だが、それがが開くと、宝石のようにも見えて、思わず葉っぱを折りたくなる、が、そこは我慢。

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花が終わると緑色の実に、そして秋に黒い色に変る。

吟行歌会


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ニリンソウが咲き始めました


週末は吟行歌会で、こんな歌を詠みました。

見上げたり
しゃがんだり
春の森に
私の焦点距離は
忙しい

森は、春の大展示会場でした。

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ホウチャクソウ
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???スミレ
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フデリンドウ
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揺れるヤマブキ

少年老い易く


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開花の遅れた桜に比べて、新緑の早さよ。四谷駅の交差点から迎賓館側を眺めると、プラタナスの緑が、日に日に濃くなってゆく。

それにしても時の流れが速い。人生が加速しているのではないかと思う。小学生の頃、夏休みが永遠に続くのではないかと嘆いていた時間と、いま過ぎて行く時間が同じとは思えない。

あるエッセイに、その謎を解くような学説があった。10年しか生きていない少年の人生の一年は1/10。比べて70年も生きてしまった男の一年は1/70。心理的に短く感じるのは仕方のないこと。

なるほどと、納得してしまう。未知の部分も少なくなり、新鮮な感動も少なくなっていることも、影響しているのかもしれない。

であれば、日常性をかなぐり捨て、目新しいことだけをしていく、と云うのはどうだ。
無計画な旅に出る、恋をする。たぶんその間だけは、人生が止まる、、のではないか。

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フィナーレ


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桜のフィナーレは、台風並みの風と雨の中にあった。散り際は美しく、なんて云われるけれど、穏やかに散っていく様子を見られないまま今年も終焉。
待っていた時間が長かったからか、もうすこしゆっくり桜の時間を楽しみたかった。

しかし、新緑が待っている。さあ、山へ行くぞう〜

お花見


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週末、砧公園で久しぶりに友人らとお花見を楽しみました。酒と肴を真ん中に置いて話し混んでいたら、五時間も経っていました。フラフラしながら帰途へ。
早起きしてつくった鯖寿司が好評でした〜

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花吹雪


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一陣の風が、花吹雪をつくり、川面へと散らしてゆく。花びらが舞うたびに、橋の上では歓声とシャッター音が響く。儚きものに、こころ惹かれるのは誰もが同じ。

今年は待たせたのだから、もう少し長く咲いていなさいよと思いつつも、風が起こす風景をしばらく眺めていた。

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花は、やや赤味が増してくると散るらしい。それは蕊の赤味だと云う

ケヤキ


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雨が続き、青空の桜は、今年は無理だろうか。いいだけ待たせておいて、それは無かろうと、都々逸の一つでも捻りたくなる。あちこちで残念がる歌が詠まれているかもしれない。

桜もいいのだが、この時期の新緑の美しさも見逃さない。高き梢に緑を吹出し、揺れるケヤキにどうしても目がいく。なぜに心惹かれるのか。一つにはその美しいコントラストにあるのだろう。

長く裸木だったケヤキの幹、枝の黒色に、柔らかな刷毛で描かれていくような淡い緑色。黒と緑の色合いの絶妙を風が揺らし、日増しにケヤキたる姿に変っていく。爽やかで勇壮たる若者を見ているようだ。

但しその清々しい色合いもわずか10日くらいか。あっという間に枝々が見えなくなってしまう。

雨に想う


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三寒四温、春の嵐が収まったと思ったら、雨が降り始めた。待ってる私たち、待たせる桜たち、気がきでない。一昨日かな、神田川沿いを歩いていたら、なんと蕾のそばから、葉の緑がポツポツと吹出していた。

八重桜か?と勘違いをする。気温の変化と雨続きで起きた珍しい現象と推察した。そしてこの二三年、桜の頃、なぜか雨が多い。気候変動は、いろんなことを伝えてくれる。

記憶


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ヒメオドリコソウのそばが好きなホトケノザ


10年前の再放送がかかっていた。「にっぽん縦断こころ旅」。京都、鴨川のほとりで火野正平が、外国人に「どこから来たの?」と訊ねた。ニコニコ顔の彼が答える前に「スリランカ」と発していた。

まさに、その通りだった。どうしてスリランカを覚えていたのだろう、分からない。記憶しようなんて思ったはずもなく、まして旅先が毎日変る長寿番組で14年も続いている。その日のワンシーンを覚えていた。最近のことなんかすっかり忘れているというのに。

神様〜なんで「スリランカ」が出たんだ〜
「シルモンカ」

難コース


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オオイヌノフグリとミドリハコベ


久しぶりのORMACの山登り。北高尾のマイナーなコースを歩いてみた。最初は、桜、カタクリ、ヤマブキなどを楽しみながらご機嫌に登っていくと、地図に標されていた通り突然、林道の終点・・・。ところがその先にあるはずの山道が、なかなか見つからない。

本来なら、ここでUターンすべきだったかもしれないが、南に向って200m程登ってゆけば、明るい尾根に出るはずと判断し、わずかな踏み跡らしきコースを辿っていくことにした。野バラを掻き分け、岩にや木に手を伸ばしながら急斜面を登る。滑落しないよう、同伴者二人を振り返りながら、細やかな指示をだして、地図で位置を確認する。

あと10mくらいで尾根に出ます、の声をかけてようやく辿り着く。枝に下がっている赤い布をみて、ホッと一息。ORMACスタート以来、初めての難コース&道迷いコースだった。戻ることを視野に入れ、振り返りながら景色を頭に記憶していたが、もうその心配も無し。

遅いランチは、予定していた富士見台のベンチ。期待していた富士山は、残念ながら黄砂が消して、ぼんやり見えるだけ。さあ、最後まで気を抜かずに下山しようと声をかけて、いつもの蕎麦屋に向った。

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ゴール地点にはご褒美のような桜が

春の嵐


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閉じた傘も、風に煽られて持っていかれそう。関東地方は春の嵐か。一足早く咲きはじめた枝垂れ桜はどうなっているだろう。

福岡の大濠公園の池の畔、シダレヤナギはわずかな新緑と淡い黄色の花を風に揺らしていた。春の到来を告げる柳は、いち早く芽吹く。花の多くは雄花だという。

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雨風が通りすぎたら一斉にかな

読むサプリ


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紅麹なる成分含有の健康サプリメントが、有害物質として回収されることになった。一方、こちらの読むサプリ「麹Ⅴ」の効能は、安心安全そのもの。
一読すれば、その楽しさが伝わりきっと元気になってくる(はず)。

創業25年、麹町を拠点に休みなく営業。35人の杜氏による歌の数々は、熟成された旨味たっぷりの記念歌集「麹Ⅴ」となって纏められた。

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こんな名前にも、つい成分表を確認してしまう

春の嵐


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そちらも春の嵐ね〜
紅麹も 機能性表示食品も 大谷ニュースも チューリップは知らない。
ただ雨に打たれ、風に揺られていただけ。


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曇空の下、大きな池の畔のカフェで読書しながら、デッキでお喋りをしている二人を時おり眺めていた。ガラスの向こうで、見つめ合って話す二人の表情が豊かで、じつにいい。中年の日本人女性と外国人男性。どんな会話をしているのだろう。良さげな話題がずっと続いているようだ。

昨日、福岡の大濠公園のカフェで時間をつぶしていたら、友人Sが、昨年に続き青春18切符で九州の指宿に向っているとLINEが来た。もしかしたらニアミスをしている!?。
Sは、20歳前半のときに突然、海外に出てみないかと云った。
「どうやって?」。

青年海外協力隊って知っているか、そんなことを云った。こちらは既に志をもって勉学に励んでいたので、どんなだろうと思いながらもそのままスルーした。彼とはよく旅をしていた。中学のときにはテントを積んで自転車ツーリング、高校時代はヒッチハイクで北海道をほぼ半周した。

20歳になったばかりの時は、太宰の旅と称して冬の津軽に出かけ、太宰の面倒をみていたお手伝いの女性を訪ねたこともあった。
あいつは変らず旅を続けているんだと思っていたら、タイミングのいいページが現れたので

旅はいいものだ、ひとを成長させる、楽しんでほしいと送った。
たしか知覧に向うと云っていた。


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大好きなアップルパイ、ボリュームにビックリ

スポーツバー


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四谷にもようやくスポーツバーが出来ました。ビールと軽いツマミで、贔屓チームや選手を応援で来ます。一人でも退屈しなくて楽しい〜

ゆれる


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カラダも心も揺れた朝

朝に大きな地震、そして大谷選手の相棒、水原一平氏球団から解雇のニュース。背景にあったのは彼の「ギャンブル依存症」が、引き起こした窃盗事件らしい。

お金をかけなければゲーム。かけるとギャンバル、博打となる。ギャンブル依存症に陥った背景に何があったのか。大谷翔平を今日まで支えてきた男の半生を妄想してみた。

こんなアクシデントを背負ても、大谷選手ならきっと乗り超えていくのだろう。これをどうバネにしていくのか、見守りたい。

そして地震。気象庁が、ここ二三日に大きな地震があるかもしれないと発表していた。心の準備をしておかなければならない。

根府川駅


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ある冊子の特集「駅ものがたり」のレトロ駅舎のなかに、かつて下車した駅のいくつかが紹介されていた。門司、旧大社、そして根府川駅。いまから15年ほど前、東海道線の根府川駅で下車したときに閃いたのは、詩人茨城のり子が戦時中、青春期を過ごしたはずの駅という記憶だった。

いま一度、詩「根府川の海」を読み返すと、青春時代を振り返りながら、戦争によって報われなかった日々を悔いを込めて詠んでいることがわかる。

根府川
東海道の小駅
赤いカンナの咲いている駅

・・・・・

ほっそりと
蒼く
国をだきしめて

・・・・・

眉をあげていた
菜ッパ服時代の小さいあたしを
根府川の海よ
忘れはしないだろう?

・・・・・

海よ
あなたのように
あらぬ方を眺めながら・・・・・・。

のり子さんもこの美しい朝日を眺めていたのだろうかと、その日を思い出していた。

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根府川駅は、大正14年に造られた
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根府川駅からすぐ、江の浦湾の朝日

白い花も


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黄色だけじゃないよ〜と、白い花も咲きはじめた。散歩コースにハナニラに覆われる庭があって、ポツポツと顔を出し始めた。この花は、かつて娘の学校の定期刊行物の名称だったので、目にするとふと思い出してしまう。

そしてコブシ、モクレンもグーからパーへ。まもなく蝶か鳥のような賑わいとなる。

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手づくり


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まさに最後まで手作りとなった。五行歌「麹町倶楽部」の記念歌集ができあがり、本誌にカバーをかける作業を始めたのだが、お洒落な防水処理加工を施したため一冊のカバー掛けに意外と時間がかかっている。

パソコンが無かった時代、こうして手を動かして作品を仕上げていた。企画、編集・構成、デザイン、制作、印刷までの流れを思い出しながら、モノづくりの至福をひとつ一つに込めている。

日本丸


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みなと横浜に、美しい帆船、日本丸が係留されている。いつか見学をしたいと思いながら、時間が経ってしまったがようやくチャンスが訪れた。

1930年に建造というからもう100年近くの歴史が刻まれているはずなのに、それを感じさせないのは、どこも美しく磨き上げられているからだろう。

船のことは知らないけれど、中に展示されている様々な道具や工夫から、海の日々が見えてきた。船室には制服が掛けられ、階級により部屋のレベルが違う。練習生は、八人部屋でベッドと二人用の椅子があるだけ。船長をはじめ一等航海士、通信室長、船医らの部屋は広く、設備もグレードアップ。

階級差こそが全ての業務や流れをスムースにさせているとしても、狭い船内、上意下達の人間関係、気持ちを切らすことなく、任務に向き合っていなければ、ノイローゼになるのではと心配した。

船は狭いが、海は広い。
辛いときは、きっと海と空が支えてくれるのかもしれない。

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高所恐怖症にはこのマストに登るのは無理だ

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豪華客船「飛鳥Ⅱ」が停泊していた

メイストーム


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この春のお天気は目まぐるしい。雨がどんどん強くなっていく。命あるものは、時候に合わせるしかなく、この風雨にただ耐え抜くしかない。
この春の暴挙をメイストームという。台風並みの強さになることも。

蕾だった桜が、もう白い花を咲かせていた。今日の雨でどうなったことか。

お花屋さん


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お花屋さんに黄色の花が並んでいた。バラにチューリップ、奥には菜の花も見える。黄色は、春の喜びを演出する色だなあと、眺めていた。
お花屋さんは、季節とその日を教えてくれる。

くだらない


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毎年、すぐに名前が出てこなくなった、大丈夫か?


ヘタな洒落やつまらないテレビ番組には「くだらないねえ」などと揶揄しているが、この語源を知って、驚いた。

昔、江戸は上方に比べて、後発の都市だった。政治の中心であっても文化が追いつかず、酒や醤油といった嗜好品は上方から下ってくる製品に、関東モノはかなわなかった。
上方からの高級品「くだりもの」を良しとして、関東モノを「くだらない」と呼び、それが語源になったという。

くだると云えば「お下がり」のイメージしかないが、昔は「これはくだりものだよ〜」と自慢したのだろう。

映画の寅さんは、万年筆を手に取って「これは舶来モノだ」と、鮮やかな口上でセールストークを展開していたが、庶民は舶来モノに「くだりもの」と同じような評価をしていたのだろうねえ。


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コブシも紫陽花も春をはじめた

熱燗


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河津ザクラが先陣を切っている


ようやく一仕事を終えた。集中してなんとか登りきった。疲労感を達成感が包みこんでいる。頑張った自分へのご褒美は、一人熱燗。あさ開の純米を東北の旅で見つけた小さな鉄瓶で、ゆっくりと燗にする。ひと肌となった酒は、心に身体にジンワリと沁みた。

川柳


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ユキヤナギが咲きはじめました

友人でもあり仕事の先輩のYさん。彼の川柳が先週末の新聞に掲載されていて、ビックリ。よく読めば、意味は広くて深い。

大谷君に云っているようだけれど、うるさいマスコミや私たちにも届いてくる。「おめでとう、それだけで、もういいじゃないか」と。

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一席、おめでとうございます〜


さて今日の朝刊に「10年間でこさえた裏金3.2億円を別の政治団体に資金移動」。読んでいくうちに頭に血が上った。ここはYさんのように一つ川柳でも捻って新聞社に送ろうと決めて、2句作って送付した。

つくりながら思った。抗議、怒り、がそのまま出てはいけない。時事川柳も詩歌の一つ。捻りやエスピリの効いた表現が求められるはず。一手間を考えていくうちに怒りは、鎮まっていった。

五七五の17文字から生まれる呟きは、意外にレベルが高い。どんなかって?教えたいけれど、明日の発表までは内緒。

開花予想


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神田川沿いで一番脹らんでいた蕾


ひな飾りは、終わるとさっさと片付けないといけない。我が家は、いつまでも居てもらおうと、そのままにしておいたら、ある時、娘から抗議を受けた。お雛様を見るとそんなことを思い出す。

天気予報士の南さんが、今年の開花を3月18日と予想していた。つまり再来週にはもう桜が咲きはじめるという。昨年もわずかに外しただけだったから、ウ〜ム、早いなあ。

沈丁花の香り、紫陽花の緑が、春を知らせていた。

弥生


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いよいよ、三月に突入〜。あっという間に、二ヵ月が終わりました。振り返ってみると、私の廻りで起きたこと。日本の社会で起きたこと。そして今地球で起きていること。3つのベクトルが、動いていることに気づきます。

地球のあちこちで起きている天変地異は、もはやこの星の未来を諭すかのように私たちに伝えてきます。東京23区と変らぬ森林が消失したとか、河や湖の水が減って地域経済が麻痺しているとか、起きうるべきことが始まって、今年の夏はどんなことが待っているのか。

東京、初の40度超え。これかなあ〜

そういえば昨日
二十九歳、二十九日の閏日に、二九(にく)い発表をしましたね。

100円ショップ


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意気揚々と我が家へ帰って、家人に自慢をする。
「今日はいい買い物してしまった。これ10本で、100円、スゴいだろう」。
世の中には一杯、一万円以上もする「?丼」もあるらしいが、100円ショップには、こんな掘り出し物もある。どうしたら1本10円のボールペンができるのだ?

しばらくして家人から、「100円ショップで買ってはいけない文具に、メーカー品ではない10本セットのボールペンとある」・・・慌てて袋を空けて1本を取りだし、クルクルと描いてみる。この1本は大丈夫〜。

100円ショップは、堅調に店舗を増やしているという。たまに入って見ていると、ここだけは時間が止まっているような昭和の価格、心が安らかになる理由がわかる。

寅さん


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映画「男はつらいよ」全50作、全部は観ていないけれど、テレビ放映も含めるとかなり観ているかもしれない。日本の美人女優をマドンナにして、寅さんは振られ続けた。

しかし、その中にあって浅丘ルリ子演じる放浪の歌手、リリーとは相性もよく、上手くいきそうだった。こんなシーンが、忘れられない。

「あらー寅さん、どうしてたのよ〜」
『俺かい、俺は、恋をしていたのよ』

こんなこと、いつか云ってみたいものだと、ニヤニヤして思った。

女が幸せになるには、
男の力を借りなきゃ
いけないとでも
思ってんのかい?
笑わせないでよ

リリーはこんなことも言った。結局、二人は、似すぎていたのかもしれない。強くて可愛い人だった。

昭和


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下町を歩いていると、印刷機の音が聞こえてくることがある。ガチャンガチャンとリズミカルに聞こえるのは、活版印刷機だろうか。

久しぶりに訪れた柴又の寅さん記念館、たこ社長が経営する「朝日印刷所」のコーナーでその音を聞いた。
寅さん映画のワンシーン、印刷会社で働く若者たちは東北地方の出身者ばかりだ。寅さんは、汗して働く若者に余計なことを言っては、たこ社長と揉める。

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そんなことを思い出しながら、活字の組まれた見本を眺めた。学生時代、活字を組む授業があって「さ」と「ち」をよく間違えた。ようやく組んだ版で、自分の名刺をテフート(たしか)という印刷機で刷ってみると、自分の名前が小さな紙に浮かび上がっている。活字の文字の美しいこと〜、そのときの小さな感動が蘇った。

世の中は便利になり、様々な昭和が消えてゆく。モノだけでなく、習慣、もしかしたら人情まで・・・居間や小物を眺めて、ふと思った。

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歩きスマホ


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スマホを見ながら近づいてくる人がいる。そんな時、こちらの存在を気づかせようと、軽く咳をすると、相手は上手く交わすので、まあ良いかと思っていたが、頻繁になってくると気になってしょうがない。

なんとも腹立たしい。何か妙案はないかといくつか考えてみた。

①山用の小さな「熊鈴」があるので、近づいてきたら鳴らす
②口にくわえ吹くとヒュルヒュルと伸びて音がする「吹き戻し」を使う
③指パッチンをする

②は、近づくまで相手に悟られないようにして、至近距離に入った時に、相手のスマホに向けて、ヒュルヒュルとやってみたい。ドキドキする。しかし顔などに当たると、喧嘩になるかもしれない。であれば小さな音の熊鈴だろうか。
今日も横断歩道で、歩きスマホの人たちとすれ違った。

コヌカアメ


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スマホに夢中だったのか、今日も一つ


人は勘違いに気づかずに、生きている。お恥ずかしい話を一つ。
随分昔、「あら、コヌカアメだね」といわれて、空を見上げた。

ほんとだ、「来ぬか雨だ」。降るのか降らないのか、来るのか来ないのか、はっきりしない雨。「来ぬか雨」・・・と、何十年もそう思っていた。

ある時、新聞に「小糠雨」の表記を見て、愕然とした。もしかして、コヌカアメって、こう書くのか?「小糠」。聞いただけでこの漢字なんか出てこない。まして「小糠」なぞ知る由もない。

今朝、出掛けに小糠雨を見て、なんとも恥ずかしい「小糠エピソード」を思い出してしまった。

夏日!?


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例年であればかなりの雪が積もるという
湯沢駅前に菅元総理の雪囲いが可笑しい


今日、夏日の地域があったとか。2月だよ。ゆっくり、ジンワリすすんでいるのだろうか。気象庁の長期予報では、4月から気温が上がり、この夏は猛暑とか。
やはり「ホットハウス・アース」に向っていくのか。

政治家は


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何をやっているんだ

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政治家たちは何をやっているんだ
中学生にこんなことを云わせてしまう社会が、今の日本だ。恥ずかしい。
中学生が、謝罪の相手が間違えているだろうと指摘し、自分の意志をキチンと新聞投稿している。
しかしながら、この姿が日本の政治家のレベルなのだから、この国は一生救われない。

それにしても、一行目の「何をやっているんだ。」この入りは、いい。

話を戻すと、「親分、すいません。バレてしまいました」とでも謝ったのだろうか。キックバックが世間に公表された日の記事を読み、その代議士の本心が垣間見えた。

どっちに向いて謝っているんだ。内輪しか見えていない、外(社会)がまったく見えていない。「政治には金がかかる」と云った代議士もいたが「違うだろう、政治家になるには金がかかる」だろう。・・・止めよう、キリがない。


枝垂れる


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枝垂桜の枝ぶりを眺めながら、満開になったときの桜をイメージする。吹出し、注いでくるような花びら、もしかしたら剪定の技に全てがかかっているのではないかと見た。

まず幹から伸びる基本の枝を決め、そこからの細い枝をバランスよく全ての方向にいき渡るよう計算し、垂れ下がる枝を上手く残してゆく。咲いたときの姿を想像して、伐る、残すを繰り返していく・・・。

一ヵ月先には、満開の花びらが覆うのだろう。見たいけれど、人の頭も満開になるはず。ここでゆっくり仮想の枝垂桜をイメージして帰途についた。

醍醐寺


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醍醐寺、ここを訪れるのは半世紀振り。京都で五行歌の大きな歌会があった翌日、人の多い市内を避けて選んだのが山科にある醍醐寺だった。駅前でバス地図を見ていたら、ポツンと離れたところに醍醐寺の文字を見つけた。懐かしい、ここへ行こう。

帰りの新幹線までは、かなりあるしここ一本に絞ってじっくり観て、歩こうと決めた。乗客はわずか三人。約30分、高速にも乗ってのバス料金はわずか250円。終点の醍醐寺前で降りるとすぐに境内の絵地図があった。お〜かなり広い。

受付を済ませ大門へ向っていくと、右手に現れた霊宝館の前に「冬の特別公開」の表記。これ、先日のNHKで紹介されていた企画展ではないか。偶然というか、なんというタイミングだろう。拝観料は別で、五百円を払って入館。渡り廊下を歩いてゆくと、窓の向こうに枝垂れ桜が・・・

ちょっと待てよ・・・と戻って、しばし眺める。もしかしたら奥村土牛が描いた「醍醐」ではないか?近くにいた学芸員の方にそっと訊ねると「似ていますが、それはこの先の三宝院のお庭にあります」とのこと。とりあえずは、撮っておこう。

醍醐寺の境内には、見事な枝垂がいくつもある。開花したころを想像すれば、それは吹き出してくるような桜の滝そのものだろう。日本画家がこぞって描きたくなるのも分かるような気がする。でもその頃は、人も満開だろう。

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奥村土牛「醍醐」

ミツマタ


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冬だというのに、蕾を見せてくれるのはミツマタ。日増しに大きくなって、暖かくなるといっせいに開花。枯れ枝に明るいオレンジのポンポンが、パッと広がる。

それにしても不思議だ。名前のように、枝は三つに分かれながら伸びて、それを繰り返してゆく。実に面白い。どこかで二つとか四つとかに別れているのではないかと探すが、すべて三つだ。

大野山(723m)


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先週末、ORMACのメンバーと神奈川県の大野山に登った。快晴、風はほとんどなかったが、花粉はもう舞っていたようだ。JR御殿場線の谷峨と云う、聞き慣れない駅に集合して、なだらかな山道を約二時間歩くと山頂に到着する(はずだった)。

ところが頻繁に休憩をとり、富士山や花の写真を撮っていたら、約40分送れの山頂となり、すぐに昼食。牧草地として使われていた頂は、広く穏やかな360度を見渡せるビューポイント。桜が植樹されていて、富士も見えるとなると、春には大勢の人がやって来るだろう。

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しばらく滞在して、下山を開始。長い急斜面を下っていくと、つづら折りが延々と続いて、ようやく車道に出る。この頃になると「二次会はどこですか?」の声が上がる。
「ご心配なく、10名が座れるテーブルを用意しています」の一言で、一同疲れはどこへやら。二万歩のハイキング登山は、こうして無事に終わった。

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山頂付近は背の高いススキの群落を登っていく

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目白が数羽やって来て、花の密を吸っていた

雪の日


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眺めるのはいいが、移動するとなると厄介なのが、雪の日。とくに東京の街は尚更で、僅かな雪でも直ぐに電車が止まる。昨日もさっさと帰れば良いのに、つい仕事に集中していたら、歩道が白くなり始めた。

早い。さっきまで皆、濡れた歩道を歩いていたのに、もう数える程しかいない。慌てて仕度をして駅まで急ぐと、すでに電車が止まっていた。

動くのを待つより地下鉄で行こうと決める。なんとか乗り継いで地元の駅に着くと、街はすでに北国の風景。

ぼんやりと眺めていれば、沁みる寒さも懐かしい。ライトに舞う雪、人の少ないロータリーが、旅先のようだ。さあ、おでんの待つ我が家へ。。


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いま横殴りの雪が降っている。あの桜は、蕾は、この雪を受けているのだろうか。久しぶりに遠征をして、神奈川県の大野山にORMAC(登山クラブ)のメンバーらと登った。
日当りのいい斜面では、桜がもう開花の準備を始めていた。

気候変動の中、以前、東京でもこんな雪がよく降っていたので、これはこれでいいのではないかと、むしろ安心する。桜だって冷え込みや雪を受けて、いい花色になれるはずだし。
遅い春を待ちたい。

コメント


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メールを開いてみると、もう一つのブログ「五行はこべば」に一人の歌友からコメントが入っていた。滅多にコメントなど貰っていないものだから、とても嬉しくなった。

明日は節分、これからもマメにブログを続けていこうと決意するのだった。

テレビ放送記念日


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早二月、そして今日はテレビ放送記念日。というわけで、我が家にテレビがやって来た日を思い出してみた。たしか東京オリンピックの前年の秋だったと思う。子どもがチェンネルを回すと壊れるという父の一言で、最初の頃、触ることが許されなかった。

今でもしっかり覚えている番組は「チロリン村とくるみの木」。見ている間に台所から夕餉の匂いがして、番組が終わると丸いお膳を出し、箸、茶碗を並べ、家族での食事となった。そして夜は、弟との寝室。

思い出せば、昭和そのものの暮らしがあった。
テレビの上の熊の彫り物は、友人からからのプレゼントだろうか。カゴに入っていたミカンは皆で食べてしまったのか。柱時計のネジはきちんと巻かれているだろうか。テレビに映っている番組は、ジェスチャーだろうか。興味が尽きない。

NHK放送博物館は、昭和を取り戻せるタイムカプセルです。


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口癖


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誰にでも癖はあるもの。でも本人は気づいていないことが多い。とくに口癖となると、知らないうちに何度も繰り返されている。

例えばスポーツ選手たちが、つい口にする「本当に」。真意を伝えたくて言っているのだろうけど、余りにも繰り返されると、「誰も嘘だとは思ってないぞ〜」と云いたくなるし、語彙が少ないんだろうなあ、と思われてしまう?

最近は言葉を探しながらゆっくりと話す選手が増えてきた。「本当に」を使わなくても、思いや真意が充分に伝わってくる。そんな姿を見ていると、競技の深さばかりでなく、その人の全体がよく見えてきて、好感を持つ。

今日の新聞の「天声人語」に紹介されていた首相の「しっかり」は、口癖なのだろうか?。なんでも就任以来、2500回位以上、繰り返し使っているというから、便利な言葉なのだろう。
・・・ため息・・・「しっかり しろー」とゲキを入れたくなった。

東京タワー


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東京タワーは、眺めるもの、見上げるものだった。それがいつしか見下ろされる時代になるとは、昭和の頃、誰も想像していなかったはずだ。

映画「モスラ」では、ここで蛹になり、ザ・ピーナッツが歌い続けると蛹から孵化して蛾(モスラ)となった。「ALWAYS三丁目の夕日」では、少しずつ出来上がっていく東京タワーが後方に映しだされていた。そして「オカンとボクと、時々、オトン」のラストシーンもこの東京タワーだった。

戦後の復興のシンボルとして、昭和以降の東京を見つめ、誰かを支え、励ましてきた。大きくなってしまったこの街を、東京タワーはどんな思いで見つめているのだろう。

舟歌


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流しのギターの上には、アイパッドがあった

カラオケに行くと、かならず八代亜紀さんの「舟歌」を歌った。日本で、彼女の次にこの歌を歌っているのは、俺に違いないと思うくらいよく歌ってきた。

八代亜紀さんの訃報が入ったときは、信じられなかった。歌のイメージとは重ならない、明るい苦労人で人柄もよく、絵の才能があり、きっと感性も優れた人なのだろうと思っていた。

昭和のいい歌手が亡くなっていく・・・

舟歌といえば、映画「駅・ステーション」。大晦日、雪の降る炭坑街の居酒屋で、倍賞千恵子と高倉健が二人、「舟歌」を静かに聴いているシーンが、浮かぶ。そのシーンに、この歌は、必要だった。

そんなことを思い出しながら、舟歌を歌っていくのだろう。

舟歌

目が点


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雪道を歩いていたら、こんな模様が浮かび上がっているところがあった。きれいだなと思い、しばらく見ていた。そうか、これは融雪剤か。道を凍結や積雪から守るため冬場に蒔かれる薬剤。

二つが並んでいると、顔みたいで面白い。だけど人工的なものだから、何らかの負荷が道路や車に残るはず。便利には、きまって何らかの代償が伴うんだよね。

常念岳


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松本市街から歩く(登る)と約一時間、市民の公園として人気のアルプス公園に行った。低い雲が切れて、遠くにアルプの山々が見えた。その中でひときわ峻烈な頂を誇っている山があった。

確信は持てなかったが、たぶん常念岳だろう。冬はこんなに美しくなるんだ・・・。昔、燕岳から大天井岳(オテンショウダケ)を抜けて常念岳を登った。表銀座と呼ばれるこのコースはいつも人気で、槍や穂高が間近に見える。誰もがその勇姿を見ると、次は槍、穂高を目指したくなるはずだ。

夏の暑い日で、汗を吹きながらアルプスの山々をしばらく眺めていた。槍の姿とお別れするのは、辛いもので、何度も振り返りながら山を下りた。

下山後、穂高駅近くの店で食べた馬刺の美味さを思い出した。腹を空かしてフラフラになって下りてきたのだから、たぶん何を口にしても美味かったのかもしれない。

登ってきた山を眺めると、想い出まで見えてくるのは、その頃、山以外何も見えていなかったからだろうと思う。

木の先生


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雑木林を登ってゆくと、小高い丘に出た。360度、見晴らしがいい。樹々はすべての葉を落としているので、樹形や樹皮までが分かる。もし木の種類が分かれば、もっと面白い見方ができるのかもしれない、なんて思いながら寛ぐ。

以前、高尾山の山中で、双眼鏡で木の上を見ている人がいた。不思議に思って「鳥がいますか」と訊ねると「葉っぱを見ているんです」「見るとだいたい木の種類が分かるんです」。

話し込むと、植物学の先生だった。樹皮や樹形だけでは木の種類が分かり難いので、葉っぱを見るのだという。優しい話し方に惹かれて、しばらく一緒に歩いた。

あの先生、葉が落ちてしまったここの木々は分からないだろうなあ。

冬鳥観察


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冬鳥たちの写真を今一度、眺めていると、思いがけないことに気づく。たとえばカモの羽の美しさ。オナガガモの雌の羽は、雄に比べると地味な茶褐色なのだが、流体を包むかのように一つひとつの羽が、堅実な美しさを編んでいる。

雄は白い優美なマフラーを巻いて、雌にアピールをするのだろう。ひときわその姿を強調しているように見える。

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よく冬の使者と喩えられるハクチョウは、あらゆる所作が優雅で美しい。訪れを心待ちする人たちの気持ちが分かる。冬景色のなか白い曲線美は、寒さと日常を忘れさせてくれた。

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そしてコイツ、と言いたくなるのはキンクロハジロ。金色の目と短くて幅広の嘴と頭部の冠羽が見事に決まっている。動きが機敏、大きな鳥にも攻撃的で、気性は荒いと見た。

冬鳥観察は、寒さを防ぐ重装備をして出かけるのが肝心だと分かった。

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カモカモ・・・


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陸地から沼からカモ達がやってくる

湖や近くの河川には、ハクチョウのほかにも沢山のカモがいた。無人のエサ販売所があったので、箱に200円を投入し、エサ(麦)の入った小さなバケツをもって水場に向うと・・・

カモたちが、いっせいに近寄ってくる。青いバケツ=エサだと知っているのだろう。声を上げながら付いて来た。なにか起きるのではないかと、不安になる。

グルリ見渡すと、様々なカモがいる。尾が尖っているオナガガモ、頭部に黄色のスジがあるヒドリガモ、全身真っ黒で嘴だけが白いオオバン、そして可愛いキンクロハジロ。だいたいがこの4種類なのだが、もしかして他の種類もいたのかもしれない。

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▼エサを蒔くと
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パニック状態に
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飛び込むもの、上がってくるもの


さて、堰堤に立って、最初の一蒔き。その瞬間、声を上げたカモたちに取り囲まれた。パニック状態に陥ったのではと思うくらいのエサの奪い合い。足元までカモだらけで、その喧しいこと。こんな僅かなエサでなにか申し訳ないなと思う。

人生、初体験。アイドルになったようなカモに囲まれたエサやり体験でした。

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麦のエサには見向きもしない、カワウやハクチョウたち

ハクチョウ


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親子はいつも一緒、仲がいい


友人Sに、飛来しているハクチョウを見た後、雪があればスノーシューを楽しまないかと誘われ、安曇野へ向った。ところが日本海側の大雪は、どうやら白馬辺りまで。松本、安曇野はまったくの雪なしで、白い景色を見ることができなかった。

雪は諦め、ハクチョウを見にいこうとなり、毎年飛来するという湖に向った。ところがその数は、気候変動の影響があるのか例年より少なめという。

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幼鳥はグレーで、嘴にはまだ黄色がない

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水深が浅いので、水底での食事が見える

風が吹くとたぶん氷点下、凍えそうになりながら、仲の良い親子のハクチョウを観察した。この寒さのなか、ハクチョウはなぜ平気で泳いでいられるのだろう。ガタガタ震えながら、穏やかな顔を見て思うのだった。

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冬の朝


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今朝は寒かった。氷点下に近かったかもしれない。六時過ぎ、アササンコースを軽いジョギング。寒いからではなく、ここ数日、肩の廻りの筋肉が強ばって苦しんでいたので解してみようと、肩の上げ下げをしながらゆったり走った。

おかしな走り方をしていたのではないかと思う。暗い早朝、すれ違う人は少ないし、すれ違ったとしても同じような輩の人なのだろうと思って続けた。

東の空が明るくなってくる頃、ようやく体が温まり、肩の廻りが動き始めた。無理に動かすと、強烈な痛みが襲うので、少しずつ広げていく。

3キロくらい走って、終了。吐く息は白い。呼吸が落ち着くと、ずいぶん楽になった。

PERFECT DAYS


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劇場は東宝、というわけでゴジラがお出迎え


「こんなふうに 生きていけたら」のコピーが、俯せで文庫本を読む役所広司の上部にレイアウトされている。そんなポスターに、こころが動いた。

「PERFECT DAYS」は、カンヌ映画祭で役所広司が男優賞を受賞した映画。その影響なのか、ネット予約では封切りの日はほぼ満席、日をずらしてようやく席を取った。

公共トイレの清掃員として働く主人公の平山(役所広司)は、淡々とした毎日を送っているが、彼の日々は、新鮮な喜びに満ちているらしい。木を愛し、毎夜、読書をする、そんな決まった日常をきちんと過ごすことが、あたかも贅沢な時間であるかのように、役所広司が演じている。

同じような毎日であっても、わずかに違う日が繰り返されているのだよ、そんなメッセージをこの映画は伝えようとしているのだろうか。脚本も素晴らしいのだが、役所広司でなければ、成立しない映画だった。
おススメです。

おめでとうございます


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能岳からの富士はくっきりと見えた

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高尾山の頂からもこんなに大きく

今年は、山登りをすでに二回、高尾山と山梨県の能岳を歩いた。いずれもお天気に恵まれ、雪を被った富士山を眺められたことで、気持ちがすこし、温かになった。正月開けの空気は心なしか澄んでいて、眺望が効き、能岳からははるか房総半島までが見えた。

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すでに一週間が過ぎて、時の早さを今年も痛感するのだろうか。
冬至にカボチャを食べたと思ったら、七草でお粥をいただき、明後日は鏡開きのお汁粉。気候変動のなか、暮らしの行事は続いていく。

今年も「歩キ眼デス」へのご贔屓をよろしくお願いいたします。

よいお年を〜


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今年もKさんから干支の辰をいただいた

今年も残すところ後三日。早かった。昨年にも増して、一年が加速しているように感じる。コロナは収束したけど、戦争は終わらない、どころか、世界のあちこちで紛争が勃発し始めている。

気候変動、戦争・紛争、貧困問題、食糧問題、AIの暴走など、未来を予測するのが難しい時代。何が起きてもおかしくないのかもしれない。

それでも希望をもって、新しい年に向かいましょう。

年賀状


年賀状の印刷が上がってきた。
今回は、アイデアがなかなか浮かばず、時間がかかった。
その訳をこの三年間からお察し願いたい。

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ミカン


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毎日のように、それも朝晩ミカンを食べるものだから、家人がいつのまにか箱で買っていた。こちらの方がおトクだという。

ミカンといえば、先日「和食と健康シンポジウム」の講演で、ある大学教授が「健康に良い食べ物の一番は日本茶、そして次がミカン」という説を、データを示しながら話をされていた。豆や茸が上位にくるのかと思ったら、まさかのミカン・・・。静岡県人は、恵まれているなあ〜。

そんなミカンを悪くしてはいけないとググってみると、布や新聞紙の上に乗せて、5〜10度の温度・湿度管理の元、風通しの良いところに置く。そして肝心なのは、ヘタを下にすることだという。

なるほど〜と、ザルに布を敷いて並べたミカンたち。・・・ところで、風通しのいいところって、どこだ。

絞められて


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これは、蔓ではなく、蔓に絞められていた木。樹皮を見ると桜かもしれない。長い間、絞められたまま成長を続け、心在る人に蔓の根元を切ってもらい解放されたのだろう。

痛々しい姿になってしまったこの木を見て思ったことは、自然のなかではこうしたせめぎ合いがアチコチにあり、そこにはきっと勝者も敗者もなく、大きな営みのなかに組み込まれているだけなのかもしれないということだった。

それにしてもこの木は、長い間よく耐えたものだ。

ホシくらげノ會


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五行歌の友人、いわさきくらげさんと作った「ホシくらげノ會」。今年は、会員が入って六名になった。隔月の詩歌の勉強会を続けて来たが、毎年創っているカレンダーに、四名の歌を加えようとなり、2024年のカレンダーを創った。

それぞれが二つの月を担当し、12ヵ月が繋がった。小生の担当月は、6月と12月。すでに作った歌を懐かしみながら選んで、二つの月を埋めた。

来年、六人が毎月の歌を眺めていく・・・きっと会への思いが深くなるかもしれない。出来上がりを手にして入ると、なにか充たされていくものがあった。

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二季


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日本文学の研究者、ロバートキャンベルさんが、四季が薄れて「二季化」していく心配を新聞のエッセイに綴っていた。

和歌にも歌われているように、日本人が季節に感じる意識を身体に働きかけ、人間の喜怒哀楽を呼び起こしている。とくに春と秋は、自分の限りある人生を認識するほか、他者と向き合い、心を通わせ、喜怒哀楽を共感しながら分け合ってきた。

途絶えることのなかった季節と人々の営み、言語的表現との深い関係が、「二季化」で無になるのではと不安であるとも語っていた。

日本人の心を知り尽しているロバートさんらしい、感じ方です。四季が薄れてゆくと、詩歌はどうなっていくのか、そんな心配をしてしまいます。

見ていたのか


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見られていたのか・・・


伊集院静


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友人に貸していた本が、半年ぶりに還ってきた。貸した本は、いつのまにか忘れてしまうことが常だが、この本もその一冊だった。

「別れる力」、先日亡くなった伊集院静のベストセラー「大人の流儀」の三作目。タイトルをあらためて見ると、絶妙なタイミングに戻って来たものだが、Eさん、これはいけないと思ったのかもしれない。
無頼派の彼を惜しみ、再読していると、ある一文に目が止まった。

「政治家とは国を平気でこわす職業なのである」。なんとこの絶妙なタイミング・・・役人と政治家の多い国は、傾いていくとも言っている。まさにまさに・・・。

マナーの悪い人間、品性の良くない人間、楽をして生きる人間には、厳しかった。反面、不器用な人間や弱者への眼差しは温かだった。

伊集院静、カッコイイ人生だったなあ〜

星空


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小淵沢駅から八ヶ岳眺望

週末は、日本山岳会「子どもと登山委員会」の次年度の計画を兼ねた忘年会だった。メンバーは、二ヵ月間のヒマラヤ遠征から帰ってきたばかりのIさん。日本山岳会・120周年企画「日本の古道120選」のプロジェクトリーダーで副会長のNさん。そして委員会のメンバーのAさん。

常宿にしている八ヶ岳の施設内にあるロッジを今回初めて利用した。ログキャビンの造りで、山小屋風の室内。これなら遅くまで呑めるな〜と楽しみにしていたのに、お疲れモードや長いテント生活の日々もあってか、皆さん九時過ぎには就寝・・・。

「おいおい、なら、ここまで来て打ち合わせする必要ないじゃないの」とブツブツ言いながら、独りワインを呑んで、外に出ると、満天の星空。

星座には詳しくないので、よくは分からないが、こんな沢山の星は久しぶりだった。数日前なら双子座流星群が見られたかもしれない。

まあ、この星空に出会えたのだから、良しとするかと納得し、凍てつく中、星を見ていた。


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南には甲斐駒ケ岳、昨晩の雨は雪となっていた

山岳古道120


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ロゴタイプを作りました

日本山岳会は創立120周年を迎えるにあたり、記念事業として、古道、特に山岳古道の調査をすすめています。
これから少しずつですが、HPでも公開されてゆきます。

 ↓

流れていった時間


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動いていく景色を見るのが好きだ。じっと眺めていると、時空の中を生きていることが分かる。それも移動スピードによって、見えてくる景色によって、湧き上がる感覚が変わってくる。

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釣り人の時間、刻々と変わる天空の光、高度によって広がりを見せる俯瞰、そして流れていく灯火の下には、哀しみや幸せがあるのかもしれないとか、記録映画を見ているような気持ちになっていく。
写真を見ながら、今年、流れていった日々を思い出している。


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アワテズ


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サワガニ(騒がず)

高尾山新コース


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こんなこと、してられないと立ち上がり、週末、久しぶりに一人で高尾山の新しいルートを探して歩く。いくつものルートを上手く繋ぐと100以上のコースが生まれるはず。そのくらい高尾山の懐は広い。

コロナ開けから高尾山には、どっと人が来るようになった(と思う)。高尾駅、高尾山口駅は週末ともなると、ホームに改札は人だかりだ。とくに多いのが外国人。諦めて、帰ろうかなと思うが、混むのは主にロープウェイ、リフト、高尾山神社に集中するので、そこへは近づかないようにする。これが肝心。

今回も、昭文社の地図にはおそらく出ていない、林業に携わる人の山道を下りた。これがなかなか好いのだ。いきなり眺望が現れて、ビックリ。登りから人気の少ないコースの組み合わせが出来たので、新緑の頃、皆を連れて来よう。

大竹英洋さん


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この本を携えて、自然写真家の大竹英洋(おおたけひでひろ)さんに会いにいった。大竹さんは、テレビの「ワイルドライフ」にときどき出演されているカメラマンで、彼もまた、星野道夫さんの写真に憧れた一人。

夢の中に現れたオオカミによって、写真人生のスタートを切ったという。200人ほどが集まった小さな会場で、スライド・トークショーが始まった。北米大陸のノースウッズという地をフィールドにして自然や動物たちを撮っていて、その作品集「ノースウッズ 生命を与える大地」は一昨年度の土門拳賞を受賞している。

動物たちの命溢れる写真はもちろん素晴らしいのだが、彼の人柄を伝える言葉には、自然や生き物に対する謙虚さが溢れ出ていた。自然と対峙し、ただ待つという時間をどう過ごしているか、自分に向ける生き物たちの眼差しに、どんな意味があるのか。

心の温まる彼の話を聞き終えてから、「いまの環境への思いと地球の寿命は、後どれほどでしょうか」と質問した。アメリカやカナダで出会った山火事、洪水、氷河の融解などから地球環境の危機を覚えていて、個人的には、地球は厳しい状況にあると思っています、と語られた。

いつかどこかで、もっと話をしてみたいなと思う人だった。
最新の著書「もりはみている」に、彼のもう一つの視線を感じ取った。


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12・8


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82年前の今日、日本中でバンザイが響き渡った。日本が、真珠湾を攻撃してアメリカに宣戦布告、国民は勝利を信じて疑わなかったからだ。日本はどの国にも負けないというアホな神話が、多くの国民を洗脳していた。そして若い命を失い、惨めな敗戦へと向かっていった。

最近、ある書評で「幸福な無自覚」という言葉に出会った。知らない、自覚のない人間は、不幸なのではなく幸せなのかもしれない、ということか。

歴史家トーマス・カーライルの言葉にも「人生の悲劇は、苦しむことではなく、見過ごしてしまうことだ」とある。悲劇というのは、気づきのないところから始まる。

落葉


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この秋、ホオノキの下を随分歩きました

まるで、今日が約束の日だったのかのように、プラタナスの葉が次々に舞い落ちて、まるで外国にいるかのような風景を創っていた。四谷交差点から新宿通り、そして外堀通りにかけてプラタナスが主人公の風景である。

落ちた葉は、路上で舞い、車の後を追い、急ぎ足に踏まれて、千々に細かくなってゆく。土に戻ることも叶わず、欠片となったモノたちは、次の命の糧となれるのだろうか。

余りの美しさと街の変容に、詩人になってしまった。

プラタナス


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新宿通りのプラタナスが、空の青と澄んだ光を受けて、色づいた葉をヒラヒラさせて揺れている。いくつかの茶褐色が混ざりあい、ため息が出るほど美しい。

陽が当たる場所、建物の影になる場所で樹の色づき方が大きく違う。大きなビルの影となる樹は、まだ緑を残している。人も同じなのかもしれない、なんて思って見上げている。

健康


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帝国ホテルのロビーのバラに圧倒された


昨日「和食セッション〜次世代に繫げる和食の集い〜」の講演を聞いた。興味深かったのは、医学系の大学教授が健康に効果のある食物に、緑茶、ミカン、キノコの三つをあげていたこと。

お茶は、循環器疾患の死亡リスクを抑え、要介護・認知症のリスクの低下に効果があるという話だった。緑茶は、中学生の頃からほぼ毎朝、食後に二杯ずつ飲んでいる。健康の源は、緑茶であると知り、密かに嬉しくなった。

講演の最後に面白い言葉が出た。ピンピンコロリの反対は「ネンネンコロリ」。可笑しくて声を出しそうになった。眠ったままあの世かなとも思ったが、そうではないと云う。

今日、撮影の仕事の後に、友人カメラマンと健康談義。彼は奥さんと共に二年前からビーガンになったと告白した。肉、魚だけでなく、卵や乳製品も口にしない。玄米、豆、キノコ、海藻などを中心とした食事。一番の驚きは、大好きな酒も止めたということ。これは寂しかった。

肉食で96才のベースマン、はたまたビーガンのカメラマン、対極の二人がテーブルを共にすることはありえない。ビーガンのカメラマンは、ジャズが好きなのになあ〜。

BS


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サクラサク

今日から12月。NHKのBSがチャンネル101だけにまとめられた。それに伴う、NHKのアナウンスが実にわかり難いものだった。なんでだろうと思ったら、簡単なことだった。

「BSの103が無くなります」。こんな一言が言えなかったからだ。なぜか!?
無くしてしまうことへの視聴者からの問合せが怖かったからだろう。「なぜ無くす」「なぜ番組を減らす」「視聴料を半額にしろ」、そんな声を危惧したからに違いない。

「時間帯が変ります」として、BS101へと誘う。これを回りくどい言い方で、伝える。現場からは、分かりやすくの声があったはずだが、上層部は頑として、「時間帯が変ります」を押し通したのだろう。

こんな説明にときどき出くわすことがある。「させていただいています」の謙譲的丁寧語もそうかもしれない。「しています」で、いいではないか。

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もう一週間


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最後のブログから一週間が経っていた。早くアップしなければと思いながらも、慌ただしさに押されて、怠ってしまった。馬力が無くなったのだ。

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いい夫婦(11・22)の翌日23日に、友人で敬愛するジャズベーシスト、秋山幸男さんが今年度のジャズ大賞を受賞された。過去の受賞者には、クラリネットの北村英治、サックスの原信夫などの蒼々たる演奏者がいる。
御歳96才、いつまでも現役、あやかりたい。


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そして翌日は、和食の日。制作した広告「人生100年の時代に向けて」が、新聞に掲載された。「和食で長生き」と思い、ランチ会で秋山さんにお聞きすると、「いや〜僕は肉が好きで、野菜は殆ど食べません」とおっしゃった。肉食、といえば瀬戸内寂聴さん。長生きの秘訣は、和食より肉食なのだろうか。

そして週末、見納めの紅葉を追いかけて山登り。落ち葉がくるぶしまで敷きつめられた山道をカサコソ音を立てながら、紅葉を楽しんだ。二日間、殆ど人に会うことなく、枯れ葉のK音を聞きながら、秋の匂いを嗅ぎ続けた。

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早足


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何十年も同じ道を歩いていると、気づくことがある。一区間歩いて、信号待ちしていたポイントが、すでに青に変っている。歩くスピードが落ちているのだ。

街路樹のプラタナスの黄葉に目を奪われてはいるが、それは言い訳。心の状態が歩くスピードに反映されている。つまり緊張感まるで無し。

先日の新聞のコラムに、早足の人ほど、年収が高いという驚きのデータがあった。なるほど・・・・と納得。老化ばかりではないようだ。

が、しかし「貧乏暇なし」という諺がある。懐の寂しい人の足は速いのではないか!?なんて考えながら歩くものだから、次の信号もすでに青に変っている。

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「今日は、良いフーフの日だって」と呟けば、「そうなの」の一言が、新聞の向うから聞こえた。

自由学園明日館


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週末、環境ポスター展の前に、羽仁もと子、吉一夫妻が創立した自由学園の校舎「明日館」を訪ねた。校舎は、アメリカが生んだ巨匠フランク・ロイド・ライトの設計により大正14年に建設されたもので、今はセミナーやコンサート、勉強会など様々に利用されている。

幾何学的な建具の装飾は、外装、内装全てに活かされ、その斬新な美しさと自由さは、「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たしめたい」 という夫妻の思いが表現されている。

戦争の被害にも遭わず、よくぞ残ってくれたものだ。木の香り、穏やかな光が室内を包む。こんな環境で学びたかったな〜。

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環境ポスター展(2)


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一昨日、歌会の友人らを誘って環境ポスター展へ。若い人たちの表現は、瑞々しい。描くことの楽しさが伝わってくる。こちらはと云うと、もう伝えるべきことが少なくなり、どうしても愚痴っぽくなってしまう。
展示は、明日の四時までです。


環境ポスター展


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毎年恒例の環境ポスター展が、一昨日から池袋の画廊で始まった。
目に見えて、気候変動、温暖化がはっきりして、いま私たちの暮らしが脅かされている。

わかっていてもなにも是正できない歯痒さ。メッセージは、誰に何を送ればいいのだろうと考えこむ。「もう戻れない」をなんとかして、変えなければならない。

力作の数々をぜひご覧ください。
カレンダーの売上の一部は、東北3県(岩手、宮城、福島)に寄付されます。

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森林環境税


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山で収穫したムカゴにも税金がかかる?

国会では、税金の問題で担当の副大臣が更迭され、紛糾している。笑いたくても笑えない話だ。とにかく税金は重い。なにかを始めようとすると、税金が必ず追いかけてくる。

山へでも逃げるか、と思ったところ、来年度から森林環境税(国民一人年額1,000円)が徴収されることが分かった。なんやねん、それ〜

なんでも温室効果ガス排出削減の達成、災害防止、森林整備のための財源だという。目的のための税金が、どんどん増えていく。ため息、吐息が出る・・・・ゼイゼイと。

もの想う・・・


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カモ〜ん


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と、一声あげると、多くのカモがやってきた。短い秋が終わる頃、北国から鳥たちが、日本のあちこちの水辺に飛来してくる。人は季節の変化を教えてもらい、冬支度を始める。

すでに始まっている気候変動は、渡り鳥たちにどんな影響を与えるのだろうか。

新蕎麦


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新蕎麦の文字を見ると、嬉しくなる。ただ美味しい蕎麦になるまでには、蕎麦の実の種類や鮮度、そして打つ職人の腕がかかっているので、けっして油断はならない。

義兄から送られてくる蕎麦粉が届くと、まずは蕎麦がきをつくる。練り上げていくにはパワーがいるが、粘りが出てくるまで辛抱も美味しさの一つ。待ち遠しい。

人鈴


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熊鈴のお話の続き。函館の山で熊の被害にあった大学生と消防士ら三人のニュースを聞いて驚いた。人を確認をして襲ってきているのではないかという不安。つまり鈴の音は、熊にとって人鈴になっている!?

鈴の音を怖がらない熊が襲ってきたら、防御方法は熊除けスプレーしかない。高価な熊スプレーで熊の顔面を一発で狙えることはできるか。その距離は3〜5m。

話せばわかる!と言っても、応じるような輩ではない。ツキノワグマなら、なんとかストックで応戦できるかもしれないが、ヒグマは無理だろう。

熊を捕獲、補食してきた人たち(狩人、マタギ)が少なくなったことが、被害を大きくしている要因とも言われている。

温暖化がすすみ、熊が冬眠しなくなったら・・・そんな日も遠くはないかもしれない。


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黙々と歩く


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秋を感じさせるのは、やはりススキだろうか。週末は、全国的に夏日となったが、山の上はヒンヤリしていた。風と光を受けて揺れるススキは、季節の移ろいを強く感じさせる。

紅葉もいいけど、侘び寂び的なこんな風景も好きだ。

奥多摩の地図を見ると、日の出山から日向和田駅までの山道、すでに歩いた赤色のラインが入っていたのだが、まったく記憶がなかった。久しぶりに人のいない道を約二時間半、黙々と歩いた。

歌友の嵐太さんからメールが来た。今年もNHK長野局で撮るしんカレンダーの投票が始まったのだ。下のアドレスから「7月・55番の滝の光芒」に清き一票を投じてください。
かなりの確立で、カレンダーが送られてきます。

・作品
・投票


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杉林がバッサリ、喜んでいいのだろうか

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モミジは透かしてみると美しい

斑尾山(1382m)


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友人のS夫婦に誘われて、紅葉が進んでいる斑尾山へ。リフトを使わず、スキー場入口から紅葉を愛でて登ろうとなったが、如何せん、久しぶりの山、前半はどうしても荒い息と重い足だ。

紅葉、落葉のなかを登っていくと、眼下の野尻湖がどんどん大きさを増していく。これを励みにグイグイ高度を上げてゆく。遠くの妙高、黒姫、戸隠は雲に被われてまったく見えない。

山頂直下で女子3人のパーティと会う。斑尾山から少し先の大明神山からの展望の方が全然いいと云う。そこまで云うのなら、行こうではないかとなり、気合いを入れ直して一歩き。

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大明神山に着くと声が出てしまうほどの大きな野尻湖が見えた。今年は長い夏だったが、日本の秋はきちんとありました。

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アーティストの仕業だ

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頭上の樹が分かってしまう

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ネコに見えた

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秋を探しに


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突然、夏子が消えてしまい、秋はあるんかい?と、高尾山へ登った。数日前に、熊、町田に現わるのニュースを受け、山道には熊鈴がなっている。まあ、仕方ないか。

今年は、ドングリなどの木の実が不作だという。よくよく考えると、熊は被害者。食べるモノがなく、里へ下りると撃ち殺されてしまうのだから。


熊鈴


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明日は久しぶりの高尾山。メンバーの一人から、熊鈴を付けなくても大丈夫でしょうかとメールが入った。突然になんだ?と思っていたら、ニュースで町田市街に熊が現れたという記事が出ていた。

今年はドングリをはじめとした木の実が不作で、山から熊が下りてきているという話は聞いていたが、まさか東京の市街に熊が出没するとは思わなかった。

ではでは、熊鈴を大量に仕入れて、高尾山口駅前で販売しようかなと考えた。もしかしたら、土産物店でもう販売しているかもしれない。明日の山はうるさいだろうなあ。

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出たといえば、故郷札幌に大量の雪虫。ふんわり飛んでいると、そろそろ雪も近いかなと、思うのだが、前が見えないくらいの大発生らしい。これは、猛暑の影響だという。色んな生き物が出てくるなあ〜。

キミは誰?


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二日が一日のようにして過ぎてゆく。日常がアップテンポだ。私が遅いのか、時間が早いのかと思ってしまう。たぶん余裕がないのだろうな。

人と森のかかわり


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週末、山岳会の自然保護委員会で「人と森のかかわり」という基調講演を聞いた。講演者は、哲学者の内山節氏。久々に学生のような気分で、大切なことはメモったりしていると、哲学と云う観点からの自然の話は、穏やかに心に沁みた。

自然との関係が人間をつくり、人間との関係が自然をつくる。自然は人間の道具ではなく、人間の存在自体が自然との関係によってつくられているという思想。つまり自然や森の生命力が、人間の生命力をつくっているという。

そのなかで「気」という、自然の中の流れが、人間の「気力」をつくりだしているという話に惹かれた。私たちのカラダの中には、自然や森の生命力や気の流れが存在しているという。

山々や神社、仏閣に手を合わせて気を送り、暮らしの中で多くの気を受け取っているという自然信仰。純粋で清浄な関係こそが真理であるという思想。森は神仏の世界でもあり、その許しを得て利用させてもらっているという考え方。

聞き終わった後、先人たちの知恵や教えを私たちは、守っていないのではと思った。そして「祟り」と云う字は、「宗」の上に山とあることに気づく。山頂には祠や神社が多い。好き勝手をして自然への敬いを忘れ、荒らし続けていると、祟りが起きるのは当然なのかもしれない。

山火事、氷河・永久凍土の融解、海水温の上昇、メタンの流出、そして気温上昇と・・・

歳は


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歳は頭の上を通過していく数字だと、ずっと思っていたが、長いコロナによる自粛もあってか、この一年で、その数字を意識するようになった。体調に変化がはじまっている。

山登りにおいては、疲れやすくなった。たぶん血管が細くなって、酸素が上手く運ばれていないのではないかと思っている。そして荷物が重く感じるのは、足腰の筋肉の衰え。

大きなリュックをガッチリ担いでしまうとカラダの一部になっていたのが、重さを感じるようになった。この辺で意識改革をしなければ、大きな事故を起こすかもしれない。

しかし、失っていくものがあれば、得ていくものもきっとあるはず。それは何だろうと、考えている今日この頃。

太田和彦さん


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好きなものがある、というのは幸せなことだと思う。Facebookのトップ画面にも、そんな一行を入れている。「山と酒と歌と」。後半の人生は、まさにこの3つに集約されているかもしれない。

酒の心の師匠と崇めている太田和彦氏。彼の言葉を拾いながら、それをアテにして一人呑む時間は至極の時。作り手と酒を愛する人たちの関わりが温かく伝わってくる。

思えば、氏のお気に入りの居酒屋に、アチコチと足を延ばした。長崎の居酒屋では、太田氏が焼いたというぐい呑みを傾けて、女将から人柄を聞いた。東京下町の居酒屋でも彼の人柄は、同じ。酒を愛し、人を愛し、料理を誉める。あの温かい笑顔が浮かんでくる。

一昨日、この二冊を並べたくなるようなメールが、「海、はじまる」の著者、宇佐美さんから届いた。ご友人の太田和彦氏にこの歌集を贈ったところ、「素敵な装丁ですね・・・」の言葉をいただいたという。

もうこれは、呑まずにはいられない。縁とは不思議な力を持っているんだなあと、独り酔いしれた。

ラグビー


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寡黙なまでにスクラムを押す。ステップを刻みながら駆ける。それを食い止めるためにタックルする。防具を付けず生身のカラダとカラダが炸裂するこのスポーツに魅了されたら、もう戻れない。

ラグビーワールドカップの準々決勝の4試合を全て観た。どの試合も最後まで勝負の行方が分からない展開となり、トライ間近になると、深夜だというのについ大声を上げてしまった。ご近所の皆さん、すいません。

100キロもある大男たちによる肉弾戦が80分間、続く。熱く、けれど冷静に試合展開を読み、チームプレーに徹して、相手陣内へボールを運ぶ。

一つのボールに、勇気と献身と団結とを込めて、懸命に戦う。そしてノーサイドのホイッスルが鳴れば、お互いの健闘を称えあって、試合は終わる。その美しいこと。ラグビーは、つくづく紳士のスポーツだと思う。

セイタカアワダチソウ


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長いけれど、覚えやすい名前だ。みんな「背高泡立草」と覚えているはず。外来植物で繁殖力が強く、丈もグングン伸びる。まさに背高ノッポで秋に野原などで目立つ。

ススキなどの在来種をアレロパシーという成分を分泌して駆逐しいく厄介者。花言葉を調べると「唯我独尊」。そうなんだねえ、キミは〜と、見つめてしまう。

干し柿


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吟行歌会で訪ねたのは「江戸東京たてもの園」。古い日本家屋がいくつも並び、ちょっとした異次元の世界を体験できる。

一軒の古民家の軒先に、干し柿がぶら下がっていた。一本の紐にいくつもの小さな柿が、均等に吊るされている。実りの秋、好いなあと眺めていたら、急にお腹が鳴った。


秋日


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やや二日酔いながら、スッキリ目が覚めた。ヨシッと飛び起き、いつものアササンコースを歩いていると、ほのかな甘い匂いがした。なんかこの匂い、嗅いだことがあるなと思っていたら、足が止まった。

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目を上げると、キンモクセイの小さな蕾。まだ開花していないのに香りを発している。涼風、鱗雲、そして金木犀。秋は順番にやってくるんだ。嬉しいプレゼントをもらったようで、目が一気に覚めた。


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では以上ですと、二人の若い女性行員がニーサの話を終えようとした。
「ではこちらから」とおもむろにバッグから『海、はじまる』を出し、「詩歌には興味をお持ちでしょうか」と云いながら手渡した。

「きれいな表紙ですね」と見つめ、二人は顔を合わせるようにしてページを括りはじめた。「それ、僕が装丁したんです」「数字ばかり見つめていると疲れます。お茶の時間にこんな五行の詩を読んで、リラックスしてはいかがでしょう」
「アマゾンからも買えますよ・・・」

おじさんは、こんなセールスができるようになったんだ、と意気揚々と銀行を後にした。

アイロン掛け


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今月の初めまでアロハシャツを着ていたのが、嘘のようなお天気の変貌ぶりだ。朝晩の気温はすでに晩秋を思わせる。高い山では、あちこちに雪が降ったようだし。

今シーズンはもう着ることがないだろうと、半袖のシャツ全てにアイロンを掛けた。家事は余り好きではないが、アイロン掛けだけは苦にならない。蒸気の音とともに皺が消え、仕上がっていく爽快さは、職人になったような気分にさせてくれる。さっと十枚が仕上がった。

銭湯


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ちょうど番台の裏、忘れ物が置かれている

小さい頃は、家に風呂がなかったので銭湯に通っていた。弟を連れて、木工細工の船やキューピー人形を持って、湯船で遊んだ。注意する大人もいなくて、銭湯は遊園地のように思えた。

真冬、濡れたタオルはすぐに凍るので、それでチャンバラなどしながら帰ったことを覚えている。寒さなんか感じなかったのだろう。

当時の料金はいくらだったのか調べてみると、子どもは12円。わずかなお金を握って、通っていたのだ。今は520円だから、毎日通うと一ヵ月15,600円にもなる。銭湯はなんと贅沢なアミューズメントだろう。

海、はじまる


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歌友よりデザインを頼まれていた五行歌集がようやく出来上がりました。「海、はじまる」全272ページ。手にした時の至福感は、長い海路を旅してきた時間でもありました。

ちょっと格好いいことを云うと、この歌集作りは、僕をどんな旅へ連れていってくれるのだろうと、期待してのスタートでした。

いろんな寄港地で213首を入れ替えたり、エッセイを積み込んだりして、船と荷はしっくり、しっかりとバランスを保ち、目指す島へ向いました。

朝焼けの浜に佇む、一本のボトルレター。波間に揺られてきた時間とこれからはじまるであろう時間。このボトルは、新たな手紙を携えて、もう一度旅をはじめるのだろう。

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杜の歌(3)


憩える森を残したい


帰途の新宿通りを照らすように、月がすっかり丸くなって、南の空に浮かんでいた。今日は月齢14.1。なのに中秋の名月だという。明日が月齢15.1だから、より満月に近いと思うのだけど不思議。

丸い月は、未明のラグビー・サモア戦を白星に照らしてくれた。次のアルゼンチン戦に勝利すれば、決勝リーグ。楽しみに待ちたい。

昨日、作家の村上春樹さんが、早稲田大学大隈記念講堂で開かれたイベントで、約1000人の聴衆を前に、神宮外苑の再開発に反対の意を表明した。

「何が言いたいかというと、ずっと走っていた神宮外苑は僕にとっては大切な土地。今は再開発して古い木を1000本切るというので、僕としても再開発反対の声を出し続けたいと思っています。もし賛同してくださる方は支持してください」と話し、ほぼ満員の聴衆から大きな拍手を浴びた。

桑田佳祐氏が、外苑は僕の仕事場所。村上氏は、僕が走っている大切な土地。ひとり一人が自分の価値としての神宮外苑を見つめ「これ、なんか変」を感じたら、知って、反対の意を唱えることが大切なんだと分かってきた。神宮外苑は、コモン(社会の富、共有財産)であり、私たちの手で守るべきもの。

日々、おかしいの声が上がり始めている。次の世代に残していく者の責任として、この街を恥ずかしい街にしないためにも、同じような思いを持つ人たちと出会って、問題を共有し、警鐘を鳴らし続けていきたい。

ラグビー


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こんな歌を詠んだ。

胸の厚い男に
尻のデカイ大男に
俄然
タックルしたくなる
週末 試練のサモア戦

いよいよ明日未明、ラグビーワールドカップのサモア戦だ。両国の力は、ほぼ拮抗していると聞く。どんな展開になっていくのか、不安と期待が入り交じり、キックオフが待ち遠しい。

コロナが収束したのか、街には外国人旅行客が目立つようになってきた。そのなかにカラダの大きい男を見つけると、やおらタックルを掛けたくなる今日この頃。まあ弾き飛ばされてしまうのだろうが、心は熱い。

もう40年も前、雪の早明戦を見た時から、ラグビーに惹かれた。真冬のスクラム、男たちのカラダから湯気が上がっていた。雨が降ろうが、雪が降ろうが、ボールを繋いで相手陣へ攻め込む。そんな粗野なスポーツの魅力に取り憑かれた年の暮れだった。

なのにだ。屋根付きのラグビー場が神宮外苑に生まれようとしている。だれがそんな球場を望んだのだ。関係者だって驚いているらしい。

とこんな話をしたくない。早寝早起きして、娘からプレゼントされたボールか抱えて、魂を込めて応援しよう。

杜の歌(2)


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サザンオールスターズの「Relay〜杜の歌」の詩が、山の手線、中央線、総武線の17駅に貼り出されている。17の駅の歌をつなげると「杜の歌」になるという仕組みだ。信濃町、四谷駅で確認をした。

このアイデア、企画は、面白い。17駅で神宮外苑を囲っている。つまり杜の歌は、神宮外苑に向って歌われているのだ。こんなカタチで思いを主張できるんだと感心した。

であれば、都庁に繋がる通路に「緑化をすすめている世界の主な都市」の写真とスローガンの入ったポスターを貼るとか、小生の五行歌のポスターを貼るとか、できないだろうか。

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神宮外苑の開発、工事が進むと、イヤでも大量のCO2が13年間排出され続ける。13年の先の地球は、東京は大丈夫なのか?



斎藤幸平


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「明治神宮外苑と気候変動」をテーマにしたシンポジウムに斎藤幸平氏が登壇するというので、講演を聞きにいった。自分の考え、立ち位置、神宮外苑、気候変動の現状と将来、それを是正して行くための道筋、活動など、彼の持ち時間は少なかったけれど、通る声でテンポもよく、パネルに沿った分かりやすい内容で話がすすんだ。

政治家や資本家による資本主義活動に対して、市民による自治で地域社会を守り、創り上げていく。そのためにも個人の主張や一つひとつの活動が大切であるというものだった。

ベランダから見える神宮外苑の空に巨大なビルがいくつも建つ・・・。空だって皆のもののはずだ、と昨日の斎藤氏の言葉が忘れられない。

このユーチューブで、斎藤幸平氏の話が聞けます。



新宿御苑


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ラクウショウの気根、観音様にも見える

週末、すっかり涼しくなったので、新宿御苑をふらりと歩いてみた。前日の雨がすっかり収まったこともあり、大勢の人が来ていて、賑やかな御苑だった。

花は少なく、ようやく見つけたのは曼珠沙華とわずかな種類だけ。それでも久しぶりに森のなかを歩いて、気分が良くなった。


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ヤブミョウガの実が黒くなりはじめた

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ホトトスギスをようやく見つける

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一輪咲いていたノカンゾウ

曼珠沙華


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30度を切ると、こんなにも涼しいんだ・・・。朝、窓を開けると、空気に秋を感じました。のど元過ぎればといいますが、猛暑、地球沸騰なる言葉を、忘れてしまうのではと思ってしまいます。

山梨の酒蔵メーカーの庭に咲いていた曼珠沙華。そこにだけ陽が当たっていて、ポンと火花が飛んでいるようでした。

一つの茎から、6つの花、そこから放射線状に蕊が7本。数えれば42の蕊があるはず。どれが雌蕊なのかは分からないけれど。

お彼岸にあわせて、秋がやってきたのかな。


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この高度感はどうだろう。日向山の頂に立っていたら、八ヶ岳にかかっている大きな雲に、小さな雲の影が映り、カタチを変えながら流れてゆく。それを間近に、真横に見ていた。

こんな発見も山の楽しさの一つだ。

日向山(1660m)


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に隠れた八ヶ岳と広がる北杜市


天空にビーチがある、何じゃそりゃ?、ということで、ORMACメンバー4人と南アルプスの麓に聳える日向山を登った。久しぶりの往復6時間の山行、猛暑続きの運動不足には、堪えました。

ハイキングコースと表示されているが、急な登りとほぼ樹林帯の中を歩くので、景色が少なく、おまけにかなりの湿度、滴る汗が止まらない。

なかなか到着しない山頂に業を煮やし、思わず下りてくる登山者に「この山に山頂は、ありますか?」と聞いたりする始末。しかし、白い雲と青い空が近づいて、一気に画面が広がった。

全員が声を上げる。なななんと〜これは凄い、まさに天空のビーチだ。それまでの苦しみが霧散〜。みんなのテンションが上がった。

下りて来る誰もが「ガスっていて何も見えない」と言っていたのに、はるか遠くまでの眺望、そして誰もいない貸切状態〜、久しぶりの達成感と爽快感を味わいました。

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雲の向うには、甲斐駒ケ岳だ

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花崗岩とその白い砂で覆われる山頂

美味い


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北海道といえば、美味しいの産地。道北を旅すると田畑の広さと空の大きさに、なぜか安心してしまう。ここだけは、いつか来るだろう食糧危機とは無縁ではないかと思うからだ。

温暖化のせいなのか、品種改良の努力なのか、いつの間にか美味しい米が採れるようになった。一昔、道内米といえば、不味いの代名詞だったから、北海道の食事情が変ってきたようだ。

美味しかったものをいま振りかえると、一位は弟の畠で採れた枝豆が忘れられない。枝豆好きな私ではあるが、採れたてを直ぐに茹でると、旨さが違う。野趣溢れた甘みというか、口に運ぶ手が止まらなかった。
そして寅さん好きの弟は、他にも虎豆とともにさくら豆も一緒に育てていた(笑えた)。

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二位は、ニシンの切り込み。中学時代の友人、Tのお気に入りの居酒屋にあった一品。秋田のハタハタの飯寿司、鮭の飯寿しと共に、低温発酵で仕上がった魚の旨さは、呑み助を唸らせる。何度もため息ついて酒と共にいただいた。

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そして三位は、スープカレー。地元の人は、この美味さを知らない。バカにする者もいる。カレーの海に浮かぶ、大地の恵みを愛でながら、舌鼓を打つ。ワイルドだが、それぞれの味がそのまま楽しめるのがいい。

秋の風も吹きはじめた。買い物かごを持って、美味しいを探しにいこう。

風のガーデン


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富良野に行きたいと言う声を受けて、「風のガーデン」を訪れた。もう秋の様相の北海道、バラはほとんど終わり、見られる花は少なかったけれど、初秋の風と揺れる花々は、北の装いそのものだった。

ここを舞台にしたテレビドラマ、倉本聰脚本の「風のガーデン」はもう15年前。心の病を持つ少年が、なんと朝ドラ「らんまん」の主人公、神木隆之介だとを今回知った。花がとりもつ縁なのか、花の名前をスラスラと言っていた幼な顔の神木少年を思い出した。

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シュウメイギクが咲きはじめていた
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ホコガタハナガサ

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旭川動物園


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道北の旅の楽しみの一つは、旭川動物園だった。日本で一番北にある動物園で、動物たちの生き生きとした生態をユニークに観せる「行動展示」で有名になった。

例えばアザラシやペンギン、ホッキョクグマを水中から眺められる工夫は、動物たちの生態を間近に感じさせ、その迫力を十分に伝える。

好きな猫の種類のマヌルネコとしばしニラメッコしたり、水から顔の一部を出していたカバのひょうきんさに笑い、虎や狼を広い敷地に探しては、その大きさに驚いたりと、旭川動物園のさまざまな試みに納得の半日でした。


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杜の歌


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北海道から帰ってきました。土産話は沢山あるのですが、旅先で桑田佳祐が坂本龍一の想いを新曲「Relay〜杜の歌」に込めてリリースしたことに感動。詩を読んで、さらに瞼が熱くなりました。こんなことしてられない!という心持ちになり、しばらく落ち着かない状態に・・・。

夕食事に、旅の仲間の一人と神宮外苑の伐採に話が盛り上がってしまい、なにを食べているのか分からなくなるほど熱くなりました。こんな歌を詠んだことを話すと、こんどは小池都知事という人物批評へ。

であれば
党名を変えよ
デベロッパーファーストと
党のカラー 緑も
止めよ

そして今日の朝刊には、国際NGOイコモスが「ヘリテージアラート」を出して事業者に計画撤回を求めた。どんどん騒ぎを大きくして、アホな事業をなんとか食い止めたい。

北海道のお話は、来週に。

水の地域格差


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新潟の水不足は、農業に大きな影響を与えている。農家の方達の落胆ぶりを思うと胸が痛む。天気予報を見るたびに、新潟って雨が多いと思っていた。なのに干ばつと聞いて、これも気候変動の影響なのかと思う。当たり前が、少しずつ壊れてきている。

欲しい所には降らず、要らないと云う所にしつこく降り続ける。水の地域格差。これは世界的にその兆候が見られて、干ばつ地帯が広がっている。

いずれ、食糧危機が来るのだろうと想像する。それは、いつか。いや、もう始まっているのかもしれない。

*明日から、一週間、北海道です〜♬

車窓にて


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チョロキューのような小さなミニカーを取りだして、両面テープで車窓に貼る。電車が加速すると、この小さなトラックが走り出す。

景色にあわせてカメラを上下させ、欄干に、道路に乗せ、あたかも走っているように映す。新幹線であればこのトラック、200キロ超えとなって疾走する。

スマホのビデオでも撮って、編集し、時おり笑いながら見ている。

晩夏


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暦では、今ごろの季節を晩夏とよぶ。がしかし酷暑、猛暑が続き、残暑どころでもない。
思えば風鈴の音が涼しく感じるような日は、一日もなかったな・・・

鳥海山


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Sから送られてきた鳥海山


この山に登ったのは、いつだっただろう。もう四半世紀前か。夜行バスで羽後本荘へ行き、早朝に由利鉃道に乗り換え、矢島という小さな駅で下りた。

初夏、水田の緑が美しく、鳥海山の半分は雪で覆われていた。矢島駅前バス停の表示を見ると、五合目までのバスは、まだ運行していなかった。

小さな駅でタクシーもなく、途方にくれていると、一台の車が止まった。「もしよければ、これから五合目の小屋まで行くので、乗ってください」という申し出。市の職員の方で、まさに天の助けだった。

鳥海山五合目の小屋の管理人、佐藤康さんが書いた本「ひとりぼっちの鳥海山」を読んでいた。佐藤さんに会えると思っていたら、すでに亡くなっていて、新しい管理人が迎えてくれた。

そこで生前の佐藤さんの話を聞き、管理人と犬と一緒に途中まで登った。六合目辺りに分岐があって、その日の宿へと続く山道があった。ところが数日前に、雪渓を踏み抜いたのか、一人行方不明になり、通行止めになっていた。今日中に辿り着けない・・・。

どうする。宿にキャンセルを入れて、五合目の小屋に泊めてもらおうか。

山頂への大雪原は、最高だった。一歩一歩、キックステップしながら登った。雲ひとつない快晴の鳥海山。山頂からは日本海と小さな島が見えた。

オニギリを食べていると、男性一人と女性二人のパーティが上がってきた。挨拶をして、世間話をして、故郷は札幌だと伝えると、その男性は山形大学病院の医者で「札幌医大時代、心臓移植手術をした和田医師の元にいた」という話になった。

「これも縁です。宿まで送りましょう」と云う。いくらなんでも車で片道、40分はかかるので、丁寧にお断りをしたが、「先生がこうおっしゃっているので甘えてください」と看護士の女性が笑いながらすすめた。

車は生まれて初めて乗るジャガーだった。宿に着いて、夕暮れの鳥海山を仰ぎ、奇跡のような一日を振り返った。そして翌朝、さあどう帰ろうかなと思っていたら、宿の方が、これから酒田まで行きますから、乗りませんかと云う。

それ以来、秋田県人には感謝の気持ちを抱いている。鳥海山をテレビで観るたびに、お世話になったその二日間を思うのである。

青春18切符


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秋田県の深浦

夫婦揃って旅好きな友人がいて、暇ができるとどこかに出かけている。昨日「これから夜行バスで青森へ行き、翌朝から青春18切符で下関へ向う」という。日本海側を南下し、下関までの五日間の旅。

う〜む、尻が痛くなるのではと心配するが、本人はいたって上機嫌。

昼すぎ、深浦の海と海鮮丼の写真が送られてきた。そして絶品だという稲庭うどんの写真も。羨ましすぎる〜こんなことしていられない!と立ち上がっても、座り直すしかない現実が悔しい。

かみさんは?と聞くと、谷川岳三泊と云って出かけたという。それぞれが別々の旅、これも羨むばかり。五日間、こちらは地図の旅を楽しもう。

オニヤンマ


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安達太良山に雨が降りはじめた。スッと追い抜いていったヤンマが、ハイマツの枝に止まったのを見た。ウエアを装着して、見上げるとオニヤンマがカラダを垂直にしている。

雨の流れをスムースに受け流す効率的なカタチなのだろう。しかしもろに水滴が目に当たり、そのショッックは大きいはずだ。痛みはないのだろうか。人であれば瞼が滲むし。

もしかしたら奥にもう一つ瞼があるのかもしれない。雨があがり、カラダが乾いて、また悠々と飛んでいったか。


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右側が鉄山の頂き、左の小ピークが安達太良山

週末、全国的に山は雷雨が発生したようだ。安達太良山の頂きまで後一時間くらいのところで、豪雨に遭った。雨具を装着するのも遅れるほど、一気に叩き付けるような雨となり、山道は川となった。

もう登る気力もなく、すごすごと撤退。この判断はよかった。この日、何度か晴れたのだが、断続的に雨雲が通過して、ときどき雷鳴が響く。

楽しむどころではない。生きて帰ろうと、滑らないよう麓まで戻る。もうグショグショ。久しぶりの雨で、まあこんな日もあるかと、さばさば。一昨年も安達太良山の下で雨のお天気となり、諦めたから、相性が悪いのかもしれない。

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が、翌朝のご来光は、素晴らしかった。思わず行くか迷ったが、雷予報が出ていたので、止めようと決めた。


38度


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朝ドラ「らんまん」で、キレンゲショウマが紹介されていた。昨日、レンゲショウマをアップしたばかりだったので、なんという奇遇。

科、属も違うし、レンゲショウマに似ていないのに、その名前を使っている不思議!?。調べると、紀伊半島、四国産地、九州産地にだけ自制し、絶滅危惧種になっていた。

絶滅危惧種といえば、花だけでなく、人ももうすぐ絶滅危惧種になるかもしれない。世界的な猛暑。アメリカフロリダ州の海水温が38度を記録した(らしい)。これは風呂の温度。生態系が脅かされていく深刻な危機だ。

「前例のない熱波」と表現するのは、控え目過ぎる、とある学者が言っている。

レンゲショウマ


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吐竜の滝から川沿いを上がっていくと、珍しい花につい足を止める。30人が一列になって歩くので止まってはいけないのだが、そうはいかない。先を譲って、花を鑑賞し、カメラに収める。

レンゲショウマが一輪咲いていた。御岳山でも、今ごろ咲き誇っているだろうか。ランプのような花のカタチについ見とれてしまう。

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可憐なヒメジャジン

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タマアジサイも咲きはじめていた


これは、シャジンでしょうか?と口にすると、「ヒメシャジンでしょう」の声が後ろから聞こえた。ツリガネニンジンを少しスリムにしたカタチは、どことなく涼しげだ。

急斜面の道もこんな花たちが咲いていると、苦にならない。登っているのではなく、探しているという感覚になっているからだ。

登り切ると、草原が広がり、ルドベキア、カノコユリ、デージーが咲いていた。夏だなあ〜。

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吐竜の滝


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お盆に台風直撃。キャンセルや中止が相次いで、行楽地、観光地は大きな打撃だったことだろう。山の日、子どもたちを連れてのハイキング企画もドキドキだったが、無事に終わった。

日本山岳会の山梨支部のイベント、「吐竜の滝」の家族登山に参加した。7家族、総勢約30名で、山梨県清里駅から草原、森を抜けて吐竜の滝、川筋を登って辿り着くのはソフトクリームで有名な「清泉寮」、そんなコースだ。

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吐竜の滝は見事だった。小高い山を抜けた水の流れは、幾筋もの滝となって川へ落ちていく。音と小さな水しぶきは気温を一気に下げる。汗が引いていく。しばしの休憩とランチタイム。子どもたちは、川へと入っていく。水が好きなのだ。

休憩後、川の上流を目指す。子どもたちは、ハシゴとロープの急斜面も何のその、むしろ喜んで登っていく。急に空が現れる。清泉寮に着いた。広い草原の風を浴びながら、山並を見つめて、ソフトクリームに癒される。

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突然、空が現れた

このコースいいなあ、いつかORMACで訪れよう。

シシウド


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このシシウドが、青空に向っているのを見ると「夏だ〜」と声を上げたくなる。高いものは、背丈2㍍を超える。山道に、草原に、尺玉の花火のように咲き、たくさんの虫たちを呼ぶ。
青い空に、白い花火、夏空に似合う花だ。

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オニヤンマ
山道で息絶えたオニヤンマを見つけた。オニヤンマは、子供の頃、畏敬の存在だった。羽をほとんど動かさず、目の前を颯爽と飛んでいく。捕虫網で捕ってはいけない王者の空気を纏っていた。飛んでいく姿を見つめていると時間が止まった。

立秋


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暑さに慣れたのか、暑さが少し引いたのか、風があるからか、少し楽になったなと思えば、今日は立秋。

週末に登った高尾山のお話を少し。

危険な暑さだと気象庁は云う。たしかに都会は猛暑だが、山の中は意外に涼しい。登りでは大汗をかくが、ときおり沢を上がってくる風は、最高のご馳走だ。気化熱効果もあって、全身がヒンヤリし、思わず歓喜の声が出る。

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待ちきれないハギが咲きはじめていた

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ミズヒキもチラホラと

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キンミズヒキ、好きな花だ

目的の日影沢小屋には、名物のかき氷がある。これを思い浮かべながら登ってきたのだろう。高さ約30センチのかき氷に、たっぷりのシロップをかけて、美味そうに食べている人たちがいた。

かき氷に心惹かれたが、いつものナメコ汁を選ぶ。汗をかいたカラダには、ナメコ汁が沁みるのだ。ここの茶屋のナメコは大きく量も多い。握り飯とはベストマッチだ。

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七味をかけすぎたナメコ汁

八王子方面に目を向けると、にわか雨が降っているのか、雨雲から白いスジが下りている。あの辺り、少し涼しくなっているのだろうと想像する。


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光が当たっているのに雨!?

自然の営みの中に私たちはいる。大きければ振り回され、小さければ感謝をし、風情を楽しむことができる。

立秋の
温かな風が
呟く
モーショっとの
我慢です

葉っぱの切り絵展


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週末、一度オリジナルを見てみたいと思っていたリトさんの「葉っぱの切り絵展」が八重洲「丸善」で開催されているというので、呑み会前に立ち寄った。

リトさんは、サラリーマン時代にADHDと診断され、退職をして、好きなアーティストの道を選んだ。葉っぱの切り絵が、あっという間に話題になり、作品集が出て、個展を次々に開催し、多くの人に知られるようになった。

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どの作品も、物語性があって、温かく癒される。そんなせいもあって会場は女性ばかり。童話なんかが好きな方たちかもしれない。

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作品のオリジナルと販売用のプレートが掲載されている。拡大鏡で見なければ、その精密さが分からないほど、丁寧にイキイキとキャラたちが輝いていた。


二季


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サルスベリの花が散りはじめた


朝、BSでイ・ムジチ合奏団が「四季」を演奏していた。弦楽器だけの美しい調べにしばらく聴き入っていた。気分よく家を出て、アササンコースを歩いていると、今度は蝉の合唱団だ。アブラゼミ、ミンミンゼミ、クマゼミが、競い合って啼いている。暑い熱いと嘆いているかのように。

そうだよねえ〜、どうなるんだろうねえと思いながら、家に戻ってスマホのニュースを見ると「異常気象が普通に、四季は二季に」の表示。夏が長くなって、春と秋が縮まり、冬が寒くなる。つまり夏と冬の二季か。

二季になってしまうと、「四季」の「春」と「秋」はどうなるのだ。一番好きなのが「春」なのにと、朝の演奏を思い出していた。

命名


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散歩コースに蔓延っているワルナスビ

「ワルナスビ」を調べると、やっぱり、牧野富太郎先生。なんかそうではないかと思った。

こんな命名のいきさつが残っていた。

 下総の印旛郡に三里塚というところがある。私は今からおよそ十数年ほど前に植物採集のために、知人達と一緒にそこへ行ったことがある。ここは広い牧場で外国から来たいろいろの草が生えていた。そのとき同地の畑や荒れ地にこのワルナスビが繁殖していた。
私は見逃さずこの草を珍らしいと思って、その生根を採って来て、現住所東京豊島郡大泉村(今は東京都板橋区東大泉町となっている)の我が圃中に植えた。

 さあ事だ。それは見かけによらず悪草で、それからというものは、年を逐うてその強力な地下茎が土中深く四方に蔓こり始末におえないので、その後はこの草に愛想を尽かして根絶させようとして、その地下茎を引き除いても引き除いても切れて残り、それからまた盛んに芽出って来て今日でもまだ取り切れなく、隣りの農家の畑へも侵入するという有様。イヤハヤ困ったもんである。それでも綺麗な花が咲くとか見事な実がなるとかすればともかくだが、花も実もなんら観るに足らないヤクザものだから仕方ない、こんな草を負い込んだら災難だ。

 茎は二尺内外に成長し頑丈でなく撓みやすく、それに葉とともに刺がある。互生せる葉は薄質で細毛があり、卵形あるいは楕円形で波状裂縁をなしている。花は白色微紫でジャガイモの花に似通っている一日花である。実は小さく穂になって着き、あまり冴えない柑黄色を呈してすこぶる下品に感ずる。
 この始末の悪い草、何にも利用のない害草に悪るナスビとは打ってつけた佳名であると思っている。そしてその名がすこぶる奇抜だから一度聞いたら忘れっこがない。

牧野先生は、その他にも「ハキダメギク」「ヘクソカズラ」と、ちょっと可哀相な名前をつけている。

そういえば、ビートたけしも、いろんな名前をつけていた・・・。

脳天暑い


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見上げれば、ノウゼンカズラ


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夕立


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午後、八丁堀の地下鉄出口を上がっていくと、多勢の人が立っていた。突然の土砂降りに、傘を持たない人が出るに出られない状態だった。

あの暑さはどこへやら、ヒンヤリとした空気が肌に心地良い。雨が地上の暑気払いをしている。こんな夕立が昔はよくあって、軒のあるところで雨宿りをしている人を見かけた。

涼しさの工夫


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オオバギボウシ


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この時期、低山で花を探してもなかなか見つからない。そんな中で、このギボウシが、暑さに参ったように高尾山中に咲いていた。

春、この若葉は「うるい」と呼ばれ、天ぷらやお浸しなどで食べていた。ぬめりがあって、すこし苦い味がする。

ヤマユリとギボウシが、夏の高尾山の代表的な花かもしれない。

北上


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高尾山中で見つけた一円玉の大きさの抜け殻


この夏蝉は啼くのだろうかの心配が吹き飛んだ。アササンで、ミンミンゼミの声がかき消されるほどのクマゼミの啼き声を聞いた。シャンシャンとその声のけたたましいこと。

少しずつ増えてきたとは聞いていたが、都内で当たり前に聞けるようになった。魚も虫も花もみんな北上し、農作物も北へと向っているという。

気候変動で避難しなければならない人が、やがて2億人を超すだろうと予想されている。人はどこへ向うのだろう。

出会い


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山道で黒い甲虫が飛んできたので、叩いて落とした。触覚が長く黒い輝きを放つのは・・・ノコギリカミキリ。子ども頃に覚えた名前を忘れることはない。小学校の夏休みに標本の一つになったカミキリムシ。半世紀を超えた再会で、なにか懐かしくなった。

少年の頃、甲虫の美しさ、不思議さにハマった。布団に入っても今ごろ水銀灯に飛んできているかもしれないと思うと胸が高鳴り、眠れなくなった。

夏休みは、ほぼ山の中にいた。図鑑と同じ虫を見つけるたびに、成長していく自分を感じた。やがてオオルリオサムシという、美しい甲虫を知って、夢中になったが、出会うことがなかった。たまに標本の中に、それを見つけると、少年時代にスッと戻る。

香り


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高尾山で杉が伐採されていて、その香りが森に漂っていた。檜の香りに似ているが、やや弱いかもしれない。もしかして桜の木を伐ると桜の香りがして、ケヤキからは当然ケヤキの香りがする?林業従事者なら分かるのだろうか。

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そしてもう一つは、この時期のヤマユリ。これも強い芳香を放つ。山中でこの香りに気がつき、どこだろうと、見上げると、斜面に大きなヤマユリが数本、重たげに咲いている・・・なんてよくある光景だ。
一節によると、夜の方が香りが強くなるとも言われ、なんだかモーソーが湧いてしまう。

おっさん登山


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登り口の水音の近く、タマアジサイが咲きはじめた

この時期、登山を誘っても参加者は少ない。低山であればなおさらで、皆さん尻込みをされる。先週の土曜日、高尾山の気温は30度、湿度50%の予想がでたので、おっさん二人を誘って相模湖までのコースを歩いた。

午前中は、陣馬山登山口の横から、陽の当たらない北側斜面を約一時間半ほど登る。尾根沿いに出たら、明王峠で昼飯。西から吹き上げてくる風は、汗をかいたカラダに涼しさを呼ぶ。なによりの至福。

登りで一緒のご夫婦が、いいコースですねと言った。もう何十回と歩いているコースなので、嬉しくなる。「このコース、高尾山の中でも一番好きなんです」と答える。

登山者が少なく、広葉樹の美しい森を上がっていくと、広い杉林が眺望できるポイントに着く。ここで一休みして、ヤマザクラの森を愛でながら、尾根を目指せるのだ。

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ど根性一本杉と命名

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春には、ヤマザクラの花びらがそよぐ

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山頂部とは思えないような穏やかな道が続く


明王峠で小屋を修理している男性がいた。週末だけ登ってきて、一人で来年までに仕上げるという。なんと時間のかかる作業だろう。しばらく話し込み、完成を楽しみにしていると告げて、相模湖へと出発した。

最初と最後にやや急な下りはあるが、広く穏やかな山道が続き、山歩きが愉しくなる。痩せた尾根を歩いていると、下からの風が、三人に声を上げさせる。ビールの前のサイコーのご馳走だ。

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相模湖が見えてくると、コースも後半

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休憩を何回か入れて、無事に相模湖の与瀬神社に到着。参拝をしてから、相模湖駅前のお決まりの居酒屋へ予約の電話を入れる。

さあ、生ビールと丹沢誉が待っている。

梅雨明け


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昨年、梅雨明けの頃、仙台にいた


36度、37度を体験すると、今日の30度くらいがやや涼しく感じてしまう。とすれば、やがてくるだろう40度超えの日々も、慣れていくのだろうか。

そんなことを思いながら、梅雨明けを待っていたら、今日は四国、北陸までだそうだ。梅雨前線が北上することで、梅雨明けとなるので、ジメジメからは解放される。

がしかし、移動性の高気圧が、ドンと列島を覆う。果たして40度超えは、いつどこに来るのか。戦々恐々だ。

N君


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四国の友人N君から、素麵が届いた。今年もまた夏が来た、と思う。彼と出会ってから半世紀近くが過ぎている。二十代に、銭湯で声を掛けられてからの縁をしみじみ不思議に思う。

背中を流してもらったこともあった。二十代の若者は、いろんなことを語り合いながら、まさに裸の付き合いをしていた。

彼は、四才年上だった。高校時代陸上部だった彼と、週末は近所をランニングをしたり、本の貸し借りをした。お互い忙しくなり、ゆっくり話すことが少なくなったが、たまに会うとなぜか感謝された。なぜか分からなかった。

ときは流れ、彼は故郷の高松に戻り、四国一のデザイン会社を立ち上げ、順風満帆の人生をスタートさせた。還暦まで仕事を務めあげ、会社を社員たちに任せ、海辺の自宅を改装して、週末だけのレストランを始めた。

それから10年が過ぎたと云う。立派だよと誉めると「なに云うとる、ワシはもうええ歳やで〜」と電話口からの声は、若々しい。負けてられないなと、いつも思う。

鳥と蝉


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このムクドリは花を食べていた


朝のウォーキング中にムクドリが大きなものをくわえているのを見かけた。口元がバタバタと動いている。もしかしたら蝉だろうか。くわえたまま飛び去っていった。その後、同じようなシーンを二度ほど見かけた。

もしかしてと、モーソーが働く。昨年、セミの鳴き声が少なかったのは、鳥たちが蝉を捕食していたからではないのか。暑さと鳥と蝉には、なんらかの因果関係があるのかもしれない。この夏の蝉の声を要チェック。


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きみは無事に飛び回っているだろうか

すみだ北斎美術館


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日本山岳会は、創立120周年を記念し「日本の古道120選」を事業の柱とし、全国の支部がいま古道調査にあたっている。そんな背景もあって、この「北斎おおいなる山岳」の企画展に惹かれて出かけた。

富士山をはじめ日本の山々は、山岳信仰によって開かれていった。とくに江戸時代は信仰のひとつとなった「講」がブームとなり、多くの庶民が山に詣でた。そんな山との関わりを北斎らの絵師によって、山の暮らしや風景、伝説として描かれ、多くの作品が残された。

猛暑の日、涼しい部屋で学芸員さんによるスライドトークを聞いてから、ゆっくり見学。約一時間半、日本各地の山々を目で登らせてもらいました。
観終わったら、ビールで心身を冷やす。
あ〜幸せ。


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学芸員さんによるスライドトークもよかった

久保敬親写真展


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動物写真家、久保さんの写真展が、明日から旭川市博物館で始まります。約一ヵ月半の長丁場。北海道の皆さま、ぜひ久保さんの迫力ある動物写真に魅せられてください。全50点以上の作品に出会えます。

・久保敬親写真展


路地


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路地の入口に立つと、吸い込まれていきたい気持ちになる。人の往来を想像し、五感が働きだす。走る子どもたちの声。自転車のチリンが響く。テレビの音と一緒に夕食の匂いが漂ってくる。

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呑み屋街、もうすぐ喧噪の世界になるのだろうか。

人手不足


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炎天燃ゆるばかりの新宿通りは、すでに37度を超えていた。吹く風が熱い。何か冷たいモノをと逃げ込んだ先の店にいたのは、ニャンとも珍しいお運びのロボット。

どこも人手不足らしく、いまは売り手市場と聞く。コンビニや居酒屋には高齢者がいるし、友人の話だと客室乗務員にもOBらしき人がいたという。

このニャンロボット、いろんなことを喋りながら、席席の間を縫っていく。人は気を使って、道を空け、届けられた料理をとってあげる。

こんな社会が始まっていく。

辛口


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キンピラゴボウから取りだしたトウガラシ

最近の酒は甘いとお嘆きの貴兄に辛口の・・・という広告コピーを思い出した。酒は辛口の方が好きなのに、辛い食べ物は苦手だ。我慢して食べていた時代があったが、辛いものが体質に合わない、よくないと分かってから、控えるようにしている。

辛口といえば、辛口で話す人が最近少なくなった。上京したばかりの頃、下町の年寄りは、居酒屋や縁台などで、小言や説教じみた話し方をしていたように思う。辛口だけれど嫌味はなくて、笑いながら聞いていた。年寄りは、どこでも同じだなあと思っていた。

辛口で話ができると云うのは、個性であり才能でありセンスなのかもしれない。誰だったろうか・・・「なに言ってやがる」と口癖だった人。

二つの写真展


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暑いこの時期、出かけるなら涼しいところがいい。というわけで、夏の吟行歌会はここ数年、東京写真美術館に足を運んでいる。今開催されているのは、田沼武能の「人間讃歌」と本橋成一とロベール・ドアノーの「交差する物語」。

どちらの写真展も、戦前から昭和の後半まで、市井の人たちの日常を活写している作品が並ぶ。瞬間を永遠に替えてしまう写真を見ていると、簡単に加工してしまう今の時代は、なんとも怪しい。

この瞬間の写真を   渡辺加代子(一席)
撮るために
かけた時間を思う
今は指先ひとつで
修正可

鉱山、サーカス、演芸場、劇場、プロレス場、キャバレー、駅など、そこに生きたエネルギッシュな人たちとそんな時代に、懐かしさと温もりを感じた。

象の額に触る    かおる(一席)
サーカスの少女
人差し指から溢れる信頼
どちらの瞳にも
宿る慈愛

ロマ こびと ストリッパー  
食べていける
受け入れてくれる
時代が
そこにあった   山碧木星(二席)

子どもたちは、いつの時代もイキイキして逞しい。炭坑で、路地で、街角で、その笑顔は未来に向けられている。

この一枚は   宇佐美友見(一席)
私の物語
なくした蝋石を
ここで
見つけた


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ロベルト・ドアノーの「パリ市庁舎前のキス」の前で


負けに不思議の負けなし


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銘酒「北雪」の三段重ね、店長エライ!


この名言を贔屓野球チームの情けない負けに重ねて、深く納得をする。おいおい、そんなミスをしていたら、この裏に失点するぞぉ〜・・・あ〜やっぱり・・・。

ため息をついて、酒がすすむ。野球に限らず、ゲームや勝負の流れには、法則がある。ミスをしたほうが負ける。

負けに不思議の負けなし。この後に、こんな言葉が続く。
勝ちに不思議の勝ちあり。

相手が勝手に転けて、勝ちが転がり込むということだろう。ミスに学ぶことは多いが、ミスを重ねてばかりいると気分は落ち、メートルが上がる(今は使わないか?)。

ベイスターズ、エンゼルス、分かってるんかい!

日傘


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シルバーシートに日傘が一本


新宿通り、大きな日傘の人が追い抜いていった。チェックの素敵な柄だ。見ると男性だった。いまや日傘は夏の必需品。だけど男性がさしているのを見かけることは少ない。後ろ姿が、なんか不思議な空気を醸し出していた。

じつは一つ持っているのだが、少し重いのと、上手にさして歩けない、の理由から、傘立てに入ったままだ。モッタイナイ。

熱射病になりやすくなったし、あの男性のように、もう一度広げて歩いてみようか。

エコ不安


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仙台市郊外の山、泉ヶ岳中腹で出会った峠

人はいつか死ぬ、けれど平気で生きていけるのはなぜだろう。
不安を抱えたところで、いつか死ぬのであれば、生きている間を一所懸命に生きるしかないじゃないか。そう思って人は生きているのだ。そう思っていたら・・・

今、若い人たちに「エコ不安」なるものが広がっているという。エコ不安とは、環境問題に悩み気持ちが沈んでしまうことで、不安や罪悪感が募って、こころ病む人が多いという。

知らなかった。やはり、ちゃんと地球を思って、暮らしている人がいるのだ。森林火災や大雨、猛暑など毎年、起きている気候変動に対して、誰もが不安をもっていたのだ。

自分が死んでいくのは
怖くないけれど
地球が病んでいくのは
哀しく、切ない
なぜだろう

私もエコ不安という病を抱えている一人なのだと思った。

清流


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四万十の川床にディレクターチェアを出して座り、ビーサンの素足は川の流れにまかせ、缶ビールを呑みながら、好きな本を読んでいると、川音も涼しげに聴こえる。

汗を流して働いているオトッツァンたちよ、申し訳ない、と、そんなことを昔、椎名誠がエッセイに綴っていたのを思い出した。

たしかに呑んでいる間は、充分に幸せだけど、森を抜け、歩きはじめると、真夏の倍返しが待っていた。

中野サンプラザ


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中野サンプラザが昨日、閉館した。思い出の多い建物が、また一つ消えていく。社会人一年目のときに住んだ街が、中野だった。喰えないカメラマンとアパートの一室(二間)を借りて、暮らし始めた。毎日のように遅くまでの仕事が続き、銭湯に行くといつも掃除が始まっていた。

その落ち着かない銭湯で、何度も顔を合わせる男がいた。生涯の友になるとは、そのとき想像すらできなかった。田舎から出た者同士、銭湯で夢を語り合っては、友情を育んだ(この男とのそれからはいつか)。

それから中野を出て、中央線の街を点々とする。通勤途中の車窓からは、いつもサンプラザが見えた。ただボーッと見つめているうちに時間が流れていった。

中野サンプラザといえば、加山雄三ショー、娘を連れてのボーリング、上層階でのテニス教室、たまに待ち合わせ。無くなると分かって、記憶はポツンポツンと繋がっていく。


芙蓉


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ここの路地をつい覗きたくなる。やっぱり、芙蓉の枝が伸びて、覆い被さって、しなっていた。腰を屈めなければ、通り抜けられないのだが、一日花の芙蓉は、蕾のように落花させ、足元を覚束なくさせる。

なぜ、蕾のようになって一生を終えるのだろうと、聖女のような芙蓉に想いを募らせる梅雨の一日。

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花を詠む


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秋か?と勘違いしてしまう。マツムシソウが咲いていた。山では秋の花だが、巷ではスカビオサと呼ばれ、演芸用としてポピュラーな花になっている。

野の花が、交配されてその種類を広げていく。紫陽花もその一つだ。一昨日の歌会で紫陽花を詠んだ素晴らしい歌があった。

夕暮れの道
希望の色ではなく
滅びの色でもない
紫陽花が
重い

かつて、紫陽花をこんな風に詠まれたことはなかった(のではないか)。作者は、花色を詠んだと言っていたが、心象を伝える歌がいくつかあったなかで、「紫陽花が重い」と決めたのは、見事だった。

お願いとお礼


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この絵馬を見て、4月の区議会選挙が終わった翌々日、当選した議員が駅前でお礼をしていた姿を思い出した。「お願いがあれば、お礼がある」。父がよく口にしていた言葉だ。

楽々さんは、元旦に誓いのお願いを書き込み、合格後の三月、お礼にやって来たのだ。嬉しかったことが伝わってくる。コロナもやや落ち着き、愉しい学生生活が始まっていることだろう。(向島白鬚神社にて)

揺れる


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日曜日、鎌倉より古い友人が訪ねて来ると云うので、玄関に花が飾られた。よく見ると、トラノオの花。この時期、涼しげでいいなあと思って眺めていたら、前日、向島百花園にもトラノオの花が咲いていたのを思い出した。

それは「オカトラノオ」。梅雨の頃、こうした細く揺れやすい花を眺めていると、こころの温度がいくぶん下がるような気がする。他にも、アバカンサス、サギソウ、ニゲラなども、出会えると嬉しくなる。


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ハギのトンネル、白い花が咲く頃、歩いてみたい。

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シモツケソウも雨のイメージだ。

向島百花園


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母鴨の廻りを泳ぐ三羽の小鴨。親はそれぞれに目を配っている。春には十羽近くいたのかもしれないが、天敵に襲われるなどして、この三羽が残ったのだ。

親は疲れて、草むらで昼寝を始めると、小鴨たちもいつのまにか、そこへ潜り込んでいった。親も仔もきっと幸せな微睡みの時間。こちらまで心が弛んでくる。

そんな姿を見守るかのように、半夏生と紫陽花が涼しげに淵を彩っていた。


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コンロンカ


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別名、ハンカチの花。白い部分が、ハンカチのようだからと云うのだが、そうなのかなあと思う。

丸みのある白い萼と、星形をした鋭角な黄色の組み合わせが、ファンタスティックなイメージをつくっている。星空が見えないこの時期の贈り物には、いいかもしれない。

雨の日


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昨日の夕刊に、六月に休日がないのはなぜか、というような記事があった。海の日が七月、山の日が八月に決まって、六月だけがポカンと空いた。

取り残された六月のために「雨の日」はどうだろう、と誰かが言っていた。「雨の日」、いいじゃないか。しかし祝日を決める国会議員は「!?」と、思うかもしれない、経済効果がないと跳ねるかもしれない。

時雨、樹雨、涙雨など、並ぶ雨の言葉を見ていると、いかに日本人が、情緒的であるかが分かる。こんな美しい言葉たちを想いながら、降りそそぐ雨を眺めて祝日を過ごすのもいいと思うのだが。

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ハルゼミ


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この写真を見ていると、ハルゼミの声が聴こえてくる。涼やかで、ひと呼吸を入れてから、透き通るような声で、カラマツの森に静けさを広げる。初夏、一番待ち遠しい音色だ。

子供の頃、こんなに早い時期から鳴くセミがいるんだと、感心したことをよく覚えているのだから、ハルゼミへの想いは随分と長い。

自然の中に身を置いていると、世の中、難しいことはないのでは、と思えてくる。
こんな歌を詠んだ。

静けさにも
深さが
あるのだろうか
カラマツの森の奥から
ハルゼミの声

花の名前


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覚えにくい名前があるものだ。朝ドラ「らんまん」には、知っている花が多く出てくるのだが、写真だけを出されると、直ぐにでてこない場合が多い。

先日の山登りでも、カラマツに垂れ下がる地衣類の名前がでてこなくて、喉を掻きむしりながら歩いていた。ようやく出てきたのは一時間を過ぎてから。「サルオガセだ!」。

すっきりしたのだが、きっとまた忘れてゆく。
人の名前を忘れ、花の名前を忘れ、食事をしたのを忘れて、歩いてゆくのだろう。

地球の裏側


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ずっと早起きをしていた。地球の裏側、プエルトリコでテニスの錦織が、復活の試合を勝ち上がっていたからだ。今朝五時、決勝の試合があった。

しかし大谷翔平とも被ってしまうので、忙しい。大谷の打席のときだけ、優先して応援する。

そんな慌ただしいなか、錦織は変らぬプレースメントで、勝ち切った。ギアを上げたときの姿が昔と変わらない。なんて華のある選手なのだろうと思った。

33才になったオジさん錦織をまた応援しよう。

晴れ間


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風が強かったせいか、青空が広がった。この時期特有の湿度のある、やや重い風が肌に触れて行く。

今日から山を計画して、準備をしている者、もう登り始めている者、下界を眺めている者がいるのだろうなあ。

初夏の花たちも、お花畑のなかで、彩りの仕度を始めているはずだ。

月たち


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雨垂れが
弾け
拡散し
波紋に揺れる
月たちよ

昨日は歌会だった。こんな歌があって、作者は若い男性。コメントに「じつは映っていたのは、月ではなくライトで、それを月に置き換えてみました」と云われた。

すっきりとした歌、作者の映しとるセンスと表現力に惹かれた。そういえば、水たまりに映るライトが、月に似ているなと思って、撮影したばかりだったので、そのことを彼に伝えた。

若い人から、こんな歌が生まれて、なんか嬉しくなった。


梅雨入り


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台風が連れてきたのだろうか。梅雨に入ってしまった。雨が暑さを抑えてくれるといいのだが、晴れ間には、夏日、真夏日になる。猛暑の準備を促しているのだろう。

この夏、東京の40度超えはあるのか。戦々恐々の思いだ。昔、東京にも霧がかかったり、夕方には、海からの涼しい風が吹いたり、夏の風情がまだあった。

いまは乱立する高層ビルの森が、気温を上昇させている。ニューヨークでは、2022年までに100万本の植樹を行った。さらに2030年までさらに100万本の樹を植えるという。気候変動に向けての対策だ。

ボストンやデンバー、ロスでも植樹を進めて、ヒートアイランド現象を軽減する試みを始めている。なのに東京は、高層ビルの森だ。

いつか、だれも外に出られない、「ヒートアイランド東京」が出来上がる!?


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長く雨が降るのだから、樹を育ててほしいものだ


熊野古道(2)


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教えていただいた「コガクウツギ」

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これは、ウツギ

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気がついたら、標識や石仏やお地蔵さんより、自然に目がいってしまう。

アジアンタム


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新宿御苑の側に「玉川上水・内藤新宿分水散歩道」がある。そこに沿って流れている小川は、玉川上水を経由してきた水と思っていたら、どうやら今は地下水らしく、その流れは大木戸辺りで暗渠の中に消えていく。

そこにアジアンタムが、水を求めるように群生し、育っていた。上京してすぐの頃、部屋があまりにも寂しいので、小さな鉢のアジアンタムを買った。

窓辺において欠かさず水を上げていたのだが、いつしか枯れてしまった。水の上げ過ぎだったのかもしれない。枯れても、捨てられずにそのままの姿を眺めていた。

それから月日が流れ、本屋である表紙に目を止めた。小説「アジアンタムブルー(大崎善生著)」。タイトルに心惹かれ、買って読んでみると、哀しく切ない恋愛小説だった。
この植物には、そんな想い出がある。

銀座百点


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珍しい小冊子を貰った。銀座百点。歴史のあるタウン誌で、創刊は1955年(昭和30年)。この表紙を見てすぐに思い浮かべたのは、向田邦子さんだった。脚本家、作歌として活躍される前、この冊子に書いていた「父の詫び状」が、後に出版され、テレビドラマとなった。

その後、池波正太郎の「銀座日記」、和田誠「銀座界隈ドキドキの日々」など、ベストセラーがたくさん生まれた。いまならSNSが発表の場となり、作歌としてデビューしていくのだろうか。

実力さえあれば、いずれ人の目に止まるわけだが、連載小説を小さなタウン誌で読めるという幸せな時代があったのだ。現在も100社以上の店舗と全国4000人以上の愛読者が、この小さな冊子を支えている。

寝違える


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二度寝したのが、悪かったのか。寝違えてしまい、首が上手く回らない(トホホ)。横を向くにも、見上げるにもカラダの支点を使わなければならない。情けなや〜。それをあざ笑うかのように強い風が、新緑を揺るがして美しい光を放っている。


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春のリンドウって珍しい。フデリンドウ、わずか1センチくらいなので、見つけにくい花。蕾が筆の穂先のように見えるので、その名がついたのだと思う。


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バイカオウレンに似ている。でも葉っぱが違う、詳しくは分からない。

甘利山


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週末、山の会ORMACのメンバーらと山梨県の甘利山、奥甘利山を登った。中腹まで車で上がることができ、富士山の眺望も良いということで人気のある山だ。

気温18度、快晴、微風という最高のコンディションのなか、ハルゼミの声を聴きながら、ミツバツツジと白樺を眺め、山裾から上がってくる涼風を浴びて、全員登頂を果たした。

登山口近くで、草履履き姿の女性が下りてきた。なんと93才だという。一同ビックリ。「疲れたとか、あそこが痛いなんて云ってられないね」と、強靭なその足腰にただ驚くばかり。スーパーなおばあちゃんだ。

先日の95才のベーシストに続いての鉄人。続けていくことが大切だと知った。


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いまカラマツの新緑が美しい

紙くずとならなかった紙くず


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チリチリの紙くずをボーゼンと見つめ、浮かんできた言葉が、酒上綾街(さけのうえのあやまち)。狂歌を嗜む友人の雅号である。

歌会の後の二次会が終わり、Kさんから受けとった横浜ベイスターズ戦のチケット(19日)をヒョイと胸のポケットに仕舞い込んだまま、気づかずに洗濯をしてしまったのだ。

紙幣とは違い、再生紙なので繊維も脆く触るだけで粉々、印刷インクの痕も残っていない。

再発行はできないということなので、透明人間が観にいくことになるかなと、案じていたら、雨が降り始めて中止となった。つまり紙くずとならなかった「紙くず」というわけだ。

これも一つの酒上綾街(さけのうえのあやまち)。気を付けよう・・・。

言葉


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ふと目を止めた。しばらく眺めて、いい広告だなと思った。なんだろう、石川さんの笑顔と左上のコピーのフィット感が、とても温かい。

そして右下の二行、選手とさん、今までとこれから、人と人の繋がりはこうでありたい。コピーを読んでいたら、目頭がちょっと熱くなった。

石川さん、いいスポンサーに応援してもらって良かったね。全農さん、いい選手を見つけ、応援してきた甲斐があったね。

先日紹介した、怪しい神宮外苑の広告とは、天と地ほどの違い。言葉は、どこで温かくなるのだろう。

発信〜


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と、掲載されるはずだった・・・


一昨日、朝日新聞の「かたえくぼ」に投稿しました。
神宮外苑の再開発のことが、頭から離れません。なにが「都民ファースト」だ!あれこれとモーソーが脹らみ、こんな風に採用されるはずと信じて送ったのですが、どうやらボツ。


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これは今日の「かたえくぼ」。るーちゃんに負けてしまいました。ヒネリが足りなかったのか、笑いを取らねばいけないのか。「モリは簡単に切れないだろう」、こうきたか・・・でも、捻り過ぎではないのか。
いずれにしても、これに懲りずに、発信をしていこう。

真夏日


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さわやかな風〜なんて思っていたら、今日はいきなりの真夏日。早くも体験してしまった。これから、どれだけ暑くなるのかと思うと、憂鬱になる。

四谷の土手からグルリと眺めると、年を追うごとに、東京の街がビルの森になっていく。海からの風は、ビル群に遮断され、東京の気温は上がっていくばかり。

「ヒートアイランドシティー東京」。この街の首長が好きな横文字、これからは、これを自虐的に掲げるといいのではないか?

100年後のビルより、100年後の森でしょう。
電気を消費し、CO2を多く排出し、世界の流れと逆行していく街・・・分からない。

オトシブミ(落し文)


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春の終わり頃、山道で不思議な葉っぱを見つける。葉っぱの半分がクルクルと巻かれた状態の不思議なカタチは、オトシブミという甲虫がつくった代物。

この葉っぱのなかに卵が産みつけられて、孵化した幼虫は、葉っぱを食べて成長する。つまり命のゆりかご。いろんな子育てがあるものだ。

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95歳のベーシスト


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土曜日、新宿JAZZ祭に出かけて、最年長の友人、秋山さんに久しぶりにお会いした。現役ベーシスト、95歳。てっきり90を過ぎたくらいかなと思っていたら、随分と時間が流れていたのだ。

テニスコートで知りあったのは、もう40年も前。それからコートで約20年、週末に数えきれないほどの試合を重ねた。お一人でサーブの練習をされている姿、ドロップショットやポーチなど歳を重ねても積極的なプレーをしては、廻りを驚かせて、思い出は尽きない。

郊外のコート、泊まりでのコート、終わってからのカラオケ(英語)、そしてビリヤードなど、昔の話を聞きながら、その人柄、センスに魅了された。何をしても超一流なのだ。

ジャズは、戦後間もない頃、サッチモとセッションをしたり、世界的なピアニスト秋吉敏子と駐留軍で一緒に演奏をしていたという。ビリヤードでは、大きな大会で優勝を重ねて、お洒落でもの知りで、とにかくカッコいい。

演奏が終わってから、挨拶をして、ハグをして、ジーンと温かくなった。こんな奇跡の人になるなんて、テニスコートでは、想像もつかなかった。
いまも都内のライブハウスなどで定期的に演奏されている。時間を見て聴きにいこう〜♬


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若き日、サッチモことルイ・アームストロングさんと

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駐留軍クラブでJAZZを演奏していた頃

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ビリヤードは駐留軍の頃から凄腕!?

白い花


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クワガタソウ(鍬形草)
上の花びらにスジが入って、なんかスミレみたいだ。

山も春の花が咲きはじめた。お馴染みの花もあれば、見逃していた花もあった。初めてみる花は、いつだってときめく。黄色い花が終わると、しばらく白い花が続く。

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ナツドウダイ(夏燈台)
幾何学模様がスッと目に入る。春に咲くのに夏の字が入るのは、なぜ?と思ったら蕊が伸びて、果実を付けるからか?葉は秋に美しく紅葉する。

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コゴメウツギ(小米卯木)
名の通り、わずか二ミリくらいの蕾から、こんな花を咲かせるなんて、不思議だ。

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ホウチャクソウ(宝鐸草)
チゴユリが咲く頃、近くにこの花が咲いていることが多い。アマドコロ、ナルコユリに似ている。

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チゴユリ(稚児百合)

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イカリソウ(錨草)
神宮外苑のときに紹介すればよかった。
淡いピンクの花で目につきやすい。錨の形に似ていることから命名された。

キンラン


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なんだあの花は?? 目が光る〜キンランと。
こんな山奥に、場違いのもしかしたらキンラン?

誰かが植えたのだろうか。いや、違う種類かもしれない。目にすることが少ないので下山後に調べてみると、やはりキンランだった。

なぜあんなところに、二カ所で見つけた。もし牧野博士と一緒だったら、きっと盛り上がっただろう。盗掘されないだろうかと、心配になった。

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歩いたその先に


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連休の後半、山に分け入って、とにかく歩こう

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それも人の来ないような山道をと

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杉林のなかを抜けて行くと

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山桜の巨樹が次々に現れてくる

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縦横無尽に枝を伸ばして、そこに光がそそがれている。しばし立ち止まる。

そして、その先に驚く花を見つけてしまった!

感じること


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そんなことしなくても未来の100年を迎えている

野村監督が残した言葉に、「感じることができなければ、考えることもできない。考える力がないということは、感じる力、すなわち感性が欠如しているということである」。
痛い鋭い言葉だ。

神宮の樹々を伐採して、巨大なビルを建てるという人たちに、この言葉を送りたい。自然の持つ大いなる力と、先人らが育ててきたこの資産をどう感じているのか。

感じるのは、お金のニオイ、そんな嗅覚だけなのだろう。考える力は、再開発からの利益をはじくというそろばん力。

事業者は、明治神宮と三井不動産。森を守るのも神宮の仕事の一つではないのか。東京がみっともない街になっていいのか。

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善行を施していくような極めていかがわしいコピーの連続

この広告コピーにマヤカシを感じるのである。よくも白々しくと思う。こんな文案がまかり通って、自然が壊され、街が変えられていっていいのだろうか。

感じる力で見抜き、発言していかなければいけないと思っている。

手紙(2)


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GW、イチョウの下で森のありがたみを実感する

いまもなお都心には、ビルが次々に建てられている。まるでビルの森を造ろうとしているかのように。そのなかにあって、神宮外苑だけは聖域だと思っていた。所有者が明治神宮だからだ(った)。

ところが、そこに目をつけた輩がいた。どんな画策を施したのかのか知る由もないが、明治神宮はいつの間に再開発という名のプロジェクトに加わり、疑問だらけの愚行が動き始めた。

話は戻る。
坂本龍一の手紙に、小池都知事は記者会見の質問に「ぜひ事業者である明治神宮にもお手紙を送ったほうが良いのではないでしょうか。街づくりの意義を坂本さんをはじめ皆さんに伝わるように情報発信するよう伝える」と答えた。

要約すると、私に言われても困る、だろうか。
病に伏せていた坂本は、その10日後に亡くなった。いま都と都知事には、反対派から攻撃的なメールが多数寄せられているという。

二人の識者、『人新世の「資本論」』の著者、斎藤幸平氏と市民運動を展開するロッシェル・カップ氏が、疑問だらけの再開発を語り合っている。
長い対談ですが、ぜひ読んでいただければと思います。


手紙


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ある男が、女性に手紙を送った。十日後、男は病の果てに亡くなった。
男の名は坂本龍一、女性の名は小池百合子。

坂本さんから小池知事への手紙全文

 東京都都知事 小池百合子様

 突然のお手紙、失礼します。私は音楽家の坂本龍一です。神宮外苑の再開発について私の考えをお伝えしたく筆をとりました。どうかご一読ください。

 率直に言って、目の前の経済的利益のために先人が100年をかけて守り育ててきた貴重な神宮の樹々を犠牲にすべきではありません。これらの樹々はどんな人にも恩恵をもたらしますが、開発によって恩恵を得るのは一握りの富裕層にしか過ぎません。この樹々は一度失ったら二度と取り戻すことができない自然です。

 私が住むニューヨークでは、2007年、当時のブルームバーグ市長が市内に100万本の木を植えるというプロジェクトをスタートさせました。環境面や心の健康への配慮、社会正義、そして何より未来のためであるとの目標をかかげてのこと、慧眼です。NY市に追随するように、ボストンやLAなどのアメリカの大都市や中規模都市でも植林キャンペーンが進んでいます。

 いま世界はSDGsを推進していますが、神宮外苑の開発はとても持続可能なものとは言えません。持続可能であらんとするなら、これらの樹々を私たちが未来の子供達へと手渡せるよう、現在進められている神宮外苑地区再開発計画を中断し、計画を見直すべきです。

 東京を「都市と自然の聖地」と位置づけ、そのゴールに向け政治主導をすることこそ、世界の称賛を得るのではないでしょうか。そして、神宮外苑を未来永劫守るためにも、むしろこの機会に神宮外苑を日本の名勝として指定していただくことを謹んでお願いしたく存じます。

 あなたのリーダーシップに期待します。

 2023年2月24日 坂本龍一


ほぼ40年間、通勤途中、そして事務所から神宮外苑を眺めている。大都市のまん中にも四季の移ろいがあって、癒されてきた。多くの人たちも憩いの場としてきた。

80年前、雨の外苑陸上競技場で「出陣学徒壮行会」が行われた。その後、大きな競技場が二度造られて、こんどは低木も含め約3000本の樹木をを伐採し、複数の高層ビル(190m)を造るという。

少子化、人口減少のニュースが届くなか、事業者はどんな未来を描いているのだろう。ごくわずかな人間にしか利益を生まない計画が進んでいこうとしている。

一度伐った、樹は、森は元には戻らない。分かっているのだろうか。(つづく)

横浜ベイスターズ


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ハマスタに行かなくては〜

大谷翔平の活躍は素晴らしいが、横浜ベイスターズからも目が離せない。ヤクルト戦に三連勝して、その勢いが止まらないのだ。昨日のサヨナラの試合、延長10回裏、選手たちが喜び勇んでグランドに走ると、球場内の照明が消え、彼らだけにスポットライトが当たった。

この演出には、シナリオが用意されていたのだろう。時代が変わったなあと思う。ヒーローとなった関根選手の落ち着いたコメントを聞いていたら、沈着冷静な大谷翔平を重ねた。

「サイコーでーす」の選手たちとは、一味も二味も違う。理知的な頼もしささえ窺える。これは贔屓めかもしれないが、投手陣が揃いつつある今年のベイスターズは、やるかもしれない。

25年の万年雪が融けて、ようやく太陽に向って芽が伸びていく。若木は、どんな花を咲かせてくれるのか、楽しみでならない。

急く花たち


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喜んでばかりは
いられない
花たちが
暦を
遡上してゆく

こんな歌を詠んで、歌会に出した。

先週、真鶴半島で開花している紫陽花を見つけた。
季節の移ろいを花に感じている私たちは、早い開花に戸惑う。

次々と出される懐石料理のようで、ゆっくりと愛でて味わっている暇がない、の喩えは大袈裟かもしれないが、花たちの早いお出ましに、ただ驚く。

スピードアップしてゆく世の中にあって、花たちまでが、歩調を合わせているかのようだ。

人口減少


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ミナガヒナゲシ、アカバナユウゲショウは地下茎で増えていく

今日の朝ドラで、主人公の万太郎が「雑草という草はない」という名言を発していた。それぞれに名前があって、個性がある・・・余韻に浸っていたら、こんなニュースを見つけた。

50年後の2070年、日本の人口は約8700万人と労働省が公表した。今の七割くらいに減少し、そのうちの一割近くが外国人だと云うから、少子化は続き、日本人は減っていく。

その頃、暮らしはどうなっているのだろう。

巨樹


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巨樹が次々に現れる


想像以上だった。真鶴半島の巨樹の森。クスノキ、スダジイ、アカマツなどの巨樹が、森のあちこちでその存在感を放っている。いまにも動きだすのではないかと思えるような生命力と意思で、何かを問いかけてくる。

じっと眺めていると思うことがあった。私たちは、圧倒される存在が必要なのかもしれない。その存在に畏敬を抱くことで、私が、そして私たちが、大いなるものに守られていることに気づくのではないかと。

いつかまた、ここの巨樹に会いにこよう。

*真鶴半島の森は、明治時代に皇室の御料林となり、大切に守られてきた。

春 駆け足


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葉っぱに隠れていたサクランボ


「こんなこと、してられない!」と、今日のようなお天気の日には、そう思う。季節は、ますます早足となり、待ってはくれなくなった。

新緑はあっという間に濃くなり、実をつける植物は、花を落して結実を急ぐ。

山では、雪融けの水音を聞きながら、木々や花はモゾモゾしていることだろう。


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イチゴはもう葉を落としているだろう

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アオモミジ・・・と声に出る

選挙


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区議選が中盤にさしかかり、ときおり三重奏で選挙演説が聞こえてくる。勝敗はこの一週間にかかっているので、どの候補も必死だ。冷や飯から脱するか、戻るか、区民の一票にかかっている、とはいえ、60人もの候補から1人を選ぶのは、むずかしい。

しげしげと顔を眺める。顔というのは大切なものだ。新人の場合、イケメン、美人はやはり有利だと思う。

前回の区議選で、各区の美人と思える人(新聞の写真から)の当落を調べたことがある(暇だなあ〜)。するとほぼ全員が当選していた。もちろん実力や戦略もあったとは思うが、やはりなあ〜・・・。

シワを、肌を、歯を、黒髪にする、なんて、もはや当たり前。ポスターでは、実力も、人柄も分からない。となると、ときどき、駅に立っていた候補に情が入るのは、当然か。

花のサイン


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ツツジを眺めていたら思い出した。花の中心に向って、模様が流れている。先日のテレビで、スミレにも同じようなラインが入っていて、虫たちに奥に蜜があることを伝えているというのだ。

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蜜を与えて、交配を託すという花の戦略だ。持ちつ持たれつ、それだけならいいのだけど、なかには食虫植物と云う種類もいるので、油断してはいけない。

雨宿り


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雨に濡れ蕊の見えるミナガヒナゲシ


新宿で映画を観た帰り、家まで歩こう決め半分くらいのところで、雷雨に遭ってしまった。傘を持っていなかったので、あるお宅の軒先を借りて雨宿り。家からどなたかをが出てきたら、お借りしていますと言おう。

そう決めて、しばらく空を眺める。雲が早く動き、西には青い空が見えるから、雨は長くないはずだ。目の前のモッコウバラの花びらがハラハラと散っていく。

雨のなかを走る旅人の広重の絵を思い出したり、歌を考えたり、空からのプレゼント「雨宿り」を楽しんでみた。

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アップ


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目をマクロにして、眺める。このデリケートで繊細な美しさにため息する。ヤマブキが咲き終わるころ、蕊の長いオトギリソウの仲間が続く。

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ミドリニリンソウかと思って、一瞬ドキッとしたが、花びらの多い種類だった。

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歌会で、ウルトラマンに出てくる怪獣に似ているという歌があった。たしかに不思議な色形のシャガ。あまり好きではないのだ、ごめんね。

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はじまり


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高尾山・日影沢東尾根で見つけたハナイカダ


花吹雪となって桜は散り、何ごともなかったかのように、木々は緑に覆われている。南から北へ、新しいが始まっていく。そんな一つを探す楽しみが春にはある。


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新一年生、色とりどりのランドセルが〜黄色一色

新緑を歩く


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ニリンソウとお別れして尾根を選ぶ

久しぶりに高尾山を歩く。コースは気分次第とリュックに荷物を放りこみ高尾駅へ。ニリンソウを見ながら登ろうと決め、バスで日影沢へ。歩き始めたらニリンソウがチラホラ。

いい陽射しが出ているのだから、日影を歩くよりも尾根だろうと、ニリンソウとはお別れして、新緑の東尾根コースに変更する。やや急登だが、人が少ない、新緑が美しい、ヤマザクラが多いの一石三鳥。

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緑がかった桜を見つけたので、ヤブ漕ぎして真下へ


この時期の至極の幸せは、ヤマザクラの花びらと春の風だ。この世の幸せの一つと思っている。ときおり止まって、木漏れ日と新緑と花びらの舞いを浴びる。

城山茶屋までの山道にワラビがいくつか。しかし多くは折られている。昔はGWの頃だったよなあ。欲張らず、山椒、たらの芽を少しいただき袋へ。気候変動で、山菜まで前倒しになっている。

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ナメコ汁はすでに完売〜楽しみが一つ消えた

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ほんの少しいただきました

なにもかも前へ、前へと押し出され、私たちもいずれどこかから、落ちるのかもしれない。

善福寺川


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善福寺川沿の花々は、川の蛇行に合わせるかのように咲き誇っていた。モッコウバラ、八重桜、ハナミズキ、ヤマブキ、ハナダイコン、オドリコソウ、シャガ、スミレ、カラスノエンドウ、ドウダンツツジ、ハナニラ・・・花を一つ詠みましょうと歩いた週末の吟行歌会、その一つが絞れないほど。


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もう
四月ですよ
板戸から
ヒメウツギの花
顔を出し

卯木(ウツギ)といえば卯月で四月、写真を見ていたら、ようやくこんな歌が一つ詠めた。

バトンタッチ


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フィナーレを演出しているような強い風が、昨日から吹き続いている。これで都内の桜は、終わりだろう。

これから八重、藤、ヤマブキへとバトンタッチ。山ではニリンソウやヒトリシズカが咲き始めた。梅雨の頃、山のお花畑を見に行こうかな。


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花のとき(4)


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やや傾斜している芝生の上に寝転んで、散ってゆく花びらを眺める。ときおりの風が吹雪をつくる。こんな楽しみ方があるんだ。いくつかが顔に下りてきて、ゆったりと脱力して、こんな死に方、いいかもなあと思う。

羅漢寺山(弥三郎岳1058m)


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いよいよミツバツツジが咲きはじめた


BBQでしっかりとエネルギーを摂り、いざ出陣〜というわけで、昇仙峡沿いの名峰「羅漢寺山」へ向う。登りは約三時間。だけど、ここしばらく山はご無沙汰していたので、登りはじめのキツいことといったら・・・。

しかし背後に見える甲斐駒ケ岳と鳳凰三山が、エールを送ってくれる。とくに雪の甲斐駒の峻烈な美しさに癒されて、心和んだ。東海道線が富士山だとしたら、中央線は甲斐駒だろう。

風もなく、雲もなく、木々の間からは八ヶ岳、茅が岳が見えている。高度を上げると、鳳凰の後ろから、北岳、塩見が顔を出した。この上から目線の嬉しいこと。甲府盆地が広がる。

この時期ならではの景観とヤマザクラ、そしてミツバツツジに目を細めて、ゆっくりとランチ。還りはロープウェーで下り、昇仙峡沿いを歩いて、甲府駅近くの温泉で汗を流し、帰途についた。

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一昨年登った塩見岳が顔を出した


BBQと桜


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週末、仕事でお世話になったMさんより、山梨県北杜市にあるご実家に招待され、BBQを愉しんだ。広い庭の一角で、火を見ながら、炭の爆ぜる音を聞き、焼けていく肉や魚の匂いを嗅ぐというのは、野趣あふれる贅沢。

男三人、火を囲み、好きな酒を呑み、焼けていく順に口に運ぶ。暗いから焼けているかは定かではない。半生はそのまま呑みこんで、酒で消毒。炭の香りが、いい香辛料になっていて、どれも美味い。

夜空には、半月と北斗七星、オリオン、カシオペヤが見下ろしている。五感がフル稼働、心のバランスがおかしくなり、なんか笑いが止まらない。

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拡大の甲斐駒、かつてこの山頂に立ったのだ

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枝垂桜が好きだ

朝、食事の前に桜を見に行く。近くに日本三大桜の一つ「山高神代桜」があった。樹齢2000年の巨樹。大勢の人がやって来るはずだ。桜好きの静岡の友人S夫婦に見せたいものだと思っていたら、突然、LINEが鳴った。

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Sから届いた大高神代桜


見ると、Sからの神代桜が映っている。驚いて、こちらの写真を送信した。なんとニアミスをしていたのだ。S夫婦は昨日、ここへ来ていたという。相変わらずの桜好き。このあと、彼らは岡山県の桜に向った。

ポツンと桜を見るのもいいが、山と重ねて眺めるのもいい。春は、沢山のご馳走を携えてやってくる。

花のとき(3)


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甲斐駒ケ岳と山梨県実相寺の桜

桜の開花を待たずに大江健三郎が逝き、坂本龍一が花吹雪のなか逝った。桜のなか、支えを失ったような喪失感と寂寥感。二人は、日本の今と未来を見つめ発言、行動していた。

同世代の坂本龍一には、いつも刺激を受け、注視していた。公私とも華やかな人生、そして稀にみる才能、足元にも及ばないけれど一貫した考え方、紡ぎだされる言葉が好きだった。クラス代表の友人を亡くしたたような寂しさがある。いまは静かに冥福を祈りたい。

と、昨日アップしたはずのブログが、行方不明になって、いま一度。もしかして坂本が悪戯をしたのかなと、苦笑いして打ち直した。

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鳳凰三山にはまだ雪が残っている

在りし日


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あちこちで建物が壊され、新しいビルやマンションが建つ。ここにあったビルの一室を約20年、借りていた。日増しに外側のフェンスが、少しずつ低くなる。たいした音も立てずに、建物はコンクリートの塊となって外に運びだされていく。

信号待ちのわずかの間に、8階のベランダから眺めた、富士山、神宮外苑の花火、そして夕焼けを思い出した。新しい建物ができると、この記憶も薄らいでいくのだろうか。

芽吹き


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雨が木々を光らせていた。ケヤキは、桜の開花を確認してから芽吹きはじめるのか、新緑は、またたく間に黒い幹を隠していく。

多くの木々が、いまほんのりと赤い。芽吹きのサインだ。命の逞しいこと、忙しいこと。


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紅葉の芽吹き

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ウメ〜こと、いきますように


出てきたこの番号札を眺めながら・・・5が3つ、単純に喜んでみる。そして「生きているんだから、日々を楽しまなくっちゃ」、そんな言葉も思い出した。

「この番号札、貰っていいでしょうか」。郵便局の窓口でお願いすると、「まあ珍しい〜」と一緒に喜んでくれた。こんなことで幸せになれるんだな、と思った一日のスタートだった。


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人も桜もお天気に振り回されて

花のとき(2)


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週末に雨、を繰り返している。ならばそれもよかろうと、雨の桜を眺めてみようと、久しぶりに千鳥が淵を歩く。降ったり止んだりのなか、ポーズをとっている人たちの多くは外国人。日本の桜はすっかり有名になった。

カメラを忘れていることに気がつき、仕方なく写りのよくないスマホを取りだす。曇天の桜も悪くない。ピンクとグレーの色相の組み合わせは、穏やかなイメージ。そこにそぼ降る雨だから、しっとりした気持ちになる。

雨の重みも加わったのか、池に流れ込むような桜の幹に足が止まった。「桜は水の輝きに吸い寄せられるんです」と云っていたのは、いつしかのバスガイドさん。

週末にかけて、散る桜、花筏が見られるのだろうか。


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花のとき


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ヒヨドリの羽が美しい。日本画の彩色を見ているかのような浮き立つような滲み。その流れは嘴から頭、そして首筋へと流れている。

眼はたしかに蕊を見つめ、生命の息づく一瞬となった。


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サクラサク


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ドラマのような2日間、WBCをたっぷりと堪能した。君が嬉しい、僕が嬉しい、皆が嬉しい、こんなシーンを観てしまったら、3年後、大谷のいないWBCはありえないと思ってしまう。

この瞬間のために、お天気も今日一日雨を降らせず、満開へと導いたのではないか、と桜を眺めてきた。日本の勝利を見届けてから、我が家を出てきたのか、意外にたくさんの人の笑顔。まさにサクラサクだ。

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いつものように神田川から写真を撮る人たち


ドラマの終わりには、名文句が必要だ。敗者の弁がよかった。アメリカの監督は「違う結末を期待していた。今日は野球界とファンの勝利。大谷はどのような状況でも動じない」。

子供のように野球を楽しみ、そして成し遂げる。スーパースター大谷翔平のいたWBC劇場が幕を下ろした。

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喜ぶ日本チームを見つめるトラウトの横顔が心に残った


墨絵


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早朝、桜並木を襖絵にしてしまう

早起きは三文の徳。小学校が廃校となり新たな施設が出来るまでのわずかの間、朝日はこのフェンスを使って墨絵を描いてくれる。それも毎朝、少しずつ手を加え、来週には満開にしてくれるだろう。

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この一本、毎年、最初に花を多くつける

サクラサク?


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サクラが10日も早く咲き、ハクチョウは一週間も早く北国へと飛び立った。

私たちの
絆も
永久凍土も
永遠では
なかったのね  (モーソー劇場から)

さてどうなるのだろう・・・が、もう一つ。
こちらは、希望がもてる。

WBC、昨日、イタリアに勝利した日本選手たちはそのまま羽田に向い、先ほどマイアミに着いたようだ。21日の準決勝に勝利すれば、決勝は22日だ。
果たして「サクラサク!満開に!」となるか!?

ユキヤナギ


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温かな日、小山のようなユキヤナギが、前衛舞踊家の舞いのようにゆったりと揺れていた。じっと観ていると、妖しいお誘いを受けているような錯覚に陥った。この花を見ていると、その日のことを思い出す。

合唱


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五行歌の友人Uさんの合唱コンサートをKさんと聴いてきた。ステージには立派なパイプオルガンがあった。年末に聴いた池袋の芸術劇場のパイプルオルガンには叶わないが、十分に立派である。

あまり人に話してはいないが、中学校時代、合唱のメンバーだった。音楽の先生からテノールが足りないからメンバーに加わってほしいと頼まれ、中文連のコンクールが終わるまでのわずかの間、音楽室に通っていた。

そんなことを思い出しながら、男女18人による美しい合唱に耳を傾けていると、春うらら、♬たちが、集い、離れ、絡まりと追いかけごっこをしているようで、うっとりとする。
皆さんのドレッシーな装いと立ち姿の美しさ、とても若々しく見えた。

待てない桜


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温暖化の上昇曲線から開花日が滑り落ちているかのように、もう桜が咲いた。咲いてしまった。平年よりも10日も早いと云う。

桜といえば、かつて入学式の演出を担当していたはず、それが卒業式となり、そのうち梅に代わってひな祭りに主役になるのかもしれない。

開花が早まれば、散るのも早まり、新緑も梅雨入りも前倒しとなって、容赦ない熱い夏が早く始まる!? ( >_< ) 

WBC


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春爛漫

白いドームにも花が咲いたよ

翔平、ホームラン放てば

コブシ

二つ回して


スリム


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冷蔵庫を開くと、ヨーグルトが入っていた。手にすると、違和感をある。どっしり感がない。こんなにスリムだったか。容器を眺めるとフタだけが大きい。

「なんか変だね、これ」。家人に訊くと、以前は500gあったという。それが450gになって、今はこの400g、ただし値段は変わっていないそうだ。

食料品の値上がりが続いている。メーカーも大変なのだろう。ヨーグルトは、値段を据え置き、総量を減らす戦略をとったのだ。それにしても、帽子にだけ、かつての面影を残し・・・すこし哀しくなった。

GS


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友人Sからこの本「グループサウンズ」を薦められた。我が青春時代を揺さぶったグループサウンズ「GS」。わずか5年、駆け抜けていったあの音楽は何だったのだろう。これは読まないわけにはいかないと、すぐに購入した。

話は飛ぶ。ご近所のクリーニング店のオヤジが、なんと元GS、ダイナマイツのギターリストだった、という話を家人から聞いたので、「知っているよ」と答えた。
すると、店のおかみさんは驚いたらしい。「有名なグループではなかったから、知っている人は珍しい」と。
まさにその通りで、彼らは「トンネル天国」という曲を一度ヒットさせて消えていったのだ。

GSは、大手のプロダクションによってつくられた音楽グループで、ジュリーやショーケンといったアイドルが一世を風靡した。全盛期には100ものグループがあったという。

我々の世代は、エレキギターのイントロで、その曲とグループが分かる(はずだ)。
GSの話をすると、終わりがない・・・。

チビチビ飲みながら、フムフムとニヤつきながら読んでいくと、あの頃のもどかしくも真っすぐだったシーンが蘇ってくる。

雪山


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北の山々もゆっくり春に向かっているのだろうか。友人から届いた北海道旭岳、山頂付近の一枚だ。青と白だけの世界。心が吸い込まれていく。

所々に雪煙が起きている。いや、南側の山肌を登ってきた雲かもしれない。拡大すると、小さく小屋と山頂を目指す人影も見える。

地図を取り出す。そうか、ロープウェイで上がって、石室を経由し、地獄谷を左に見下ろしながら、稜線を辿って山頂に向ったんだ。アイゼン装着の靴から、ピッケルから、雪の引き締まった音が聞こえてくる。

山頂からは黒岳、十勝岳、富良野岳、そして未踏のトムラウシまで、360度の眺望が広がっていたに違いない。肌を刺す風も最高のプレゼントだ。
雪山が、私を呼ぶ。

香り


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来週の今日から(13日)、マスクの着用は、個人の判断でということを政府が決めたそうだ。御上が決めたということで、堂々とノーマスクで歩けるのだが、どれくらいの人が外すのだろう。

いよいよ開花が始まった。沈丁花の香りは強い。マスクの細やかな繊維を抜けて、その甘い香りを運んでくる。

香りを嗅いでふと思った。なぜだろう・・・

香りを嗅ぐとき、目を瞑るのに
香りを聴くとき、目を開けている


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蕊がスッと伸びて、やや青みがかかった梅を見つけた。桜に喩えるなら、オオシマザクラの雰囲気。香りも清々しく、枝に数輪だけというのも好ましい。

若い頃は、梅になんか全く関心を持たなかったが、微かな香りを放つ清楚な一輪を見るにつけ、この花の楽しみ、嗜みが分かるようになった。

小さな、わずかな、静かな声を感じるゆとりをもちたい。


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大岳山(1266m)


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先日、東京の一番高い山、大岳山を登った。過去二回登っているのだが、気楽な気持ちで向うと、けっこうズシリと堪える。とくに御岳山奥の院、鍋割山を経由するコースを選ぶと、山を二つ登ったような気持ちになって、ついため息の一つが〜。

ベテランと元自衛隊員という強力なメンバー構成で、最後尾を追いていくのが一杯だった。若い頃のスピードではもう登れない。

冬の眺望は、楽しみの一つ。はるか遠くにスカイツリーを捉えることが出来た。見える山並みの一つひとつを教えてもらうと、その大半はすでに登っている山。こんなに沢山良く登ったものだと、感心してしまう。

夢中になっていたその頃を懐かしく思った。


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二月尽


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二月というのは、存在感が薄い。おめでたい正月と桜の三月に挟まれて、寒いからさっさと出ていけと言われているような肩身の狭い月。喩えれば、幸せな長男カップルに居候している厄介者の弟といった感じか。

というわけで、二月が終わる。ロウバイ、福寿草、ミモザ、マンサク、レンギョウ、菜の花と黄色い花たちが咲き始めると、春待つ心が浮き立ってくる。

古地図


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事務所の近くに新宿歴史博物館があって、「戦前の新宿」という企画展がいま開かれている。仕事場を新宿に移してから40年という時間が経ち、周辺も随分様変わりをした。

古い町名の多くは消えていったが、古地図には全て載っている。例えば「角筈(つのはず)」「十二社(じゅうにそう)」。

バス停で置き去りにされた少年が、かつで角筈と呼ばれた街で、酒に酔い、幻の父親を見る.浅田次郎の「角筈にて」は、泣けてしまう小説だった。

角筈は、江戸時代以前からある地名で、現在の西新宿や歌舞伎町、新宿三丁目。由来は、名主の髪の束ね方が角のような形で里人が「角髪来る」と呼んだからだそうだ。

また十二社は、新宿中央公園の西側で、現在、西新宿となっている。紀州熊野神社を勧請した熊野神社が、紀州熊野の12の社の神々を一緒にまつったことが起源。神社は十二社の社を「そう」と読ませ、相、双など多くの文字をあてたという説がある。

その他にも、美しい呼び名の町名がいくつも消えていったのが分かる。名前とともに失った大切なものがいくつもあるのではないかと、地図と写真に見入って思った。


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AI


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古い毛や 刈らずに飛び出す 床屋さん「歩き眼AI作」


AIのことはよく知らないのだが、面白い記事に引き込まれた。なんでもAIとタッグを組んで創作した作品が、ある文学賞の優秀賞になったという。作者が正直にそう語るので、どこまでが作者の才能なのか、分からないのではないか?と心配する。今後こうしたことが、選考会で論議されていくのではないか。

音楽や絵画の世界などでは、オペレーションの技術と芸術的なセンスで、すでにいくつもの作品が発表されているようだし、映像の世界ではまるで本物のように映しだされている。

こうしたAIの利便性を危惧したその作者が「何でもいいから、楽をしたい。それは創作活動に対する心構えの欠如だ」とネットで公開していたそうだが、じつはその文案もAIの力を借りて書いたそうだ。
笑ってしまうというか、怖くなるようなお話。


ニャンと


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この寒さのなか、もう綻びそうだ


今日は「2/22」で猫の日。猫ではないが、どこかに陽だまりはないかと探したくなるような寒さが続く。年を重ねるたびに、寒さが堪えるようになったが、そんな冬が好きという人もいて、この鴨たちとかわらないニャン。


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鴨たちが浮く、はるか向こうの岸に

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アオサギを発見

記憶


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カメとカモ、アッチ向いてホイ!清洲庭園にて


カメラが見つからない。さて・・・どこかで忘れたか? と、最後に撮った記憶を辿る。土曜日、清澄・深川を散策して、沢山シャッターを切った。

二次会の席ではカメラを出していないはずだから、芭蕉記念館か。たしか芭蕉のスタンプが美しく上がったので、それを撮ったのが最後だったはず。

電話を入れると、「ガラスケースの上に置かれていました」と優しい女性の声が返ってきた。良かった〜、これでまず、家人から厭味をいわれなくて済む。胸を撫で下ろす。旅先で何度も忘れて、その度に小言を言われていたのだ(すべて却ってきたが)。

危機迫ると、人間の記憶力は一段とバージョンアップするようだ。


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職人の遊び心かな、どなたでしょう?

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雪吊りは今年、少し役に立ったかな

施肥



おっ、準備が始まっている。年々開花が早くなっている桜、東京の開花予想は3月20日で、満開は25日辺り。入学式の頃は、もう散り始めているのかも。


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昼日中


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寒梅や山里の湯に昼日中。

そんな句を読んで、フフンと思った。昼日中といえば、まっぴるま。「昼日中から・・・」。正しい行ないには使われないはず(たぶん)。

ところが、この昼日中のもつ「後ろめたさ」「申し訳なさ」「罪悪感」を押しやってしまうというのは、実に心地がいい。

椎名誠の古いエッセイで「全国のおとっつぁん、暑い中、お仕事ご苦労様です」と、四万十川のせせらぎにデイレクターチェアを出して座り、ビーチサンダルの足を解放して、缶ビール片手に好きな本を読むという、夏の至極の幸せを独り占めにしている様子を、綴っていたのを思い出した。

梅の香りを嗅ぎながらの露天風呂、これくらいなら、いいだろう〜昼日中。

味噌ラーメン


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冬、味噌ラーメンを食べたくなるのは、道産子のDNAにプログラムされたミソ塩基配列によるものか、などとモーソーしていると、味噌の湯気するラーメンがドンとテーブルに置かれた。今日は身に沁みる寒さ、自宅を出た時から、昼は味噌ラーメンにしようと決めていた。

アツアツのもやしとラーメンを口にすると、外が吹雪いていようが、体の熱量が一気に上がっていく。若い頃は、ニンニクの摺り下しを投入して、満足度をさらに高めたのだった。

完食して、店を出るときには、勝者の気分。
ご馳走さまでした〜♬(気分は井の頭五郎)



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花が終わった後も、まるで咲いているかのように、萼が冷たい風を受けていた。散っていった花びらはどんなだったのだろう。

日高の叔母を訪ねると、いつも大きな帽子と軍手姿で庭から出迎えてくれた。ベランダでお茶を飲みながら花談義をするのが楽しく、時間を忘れるのが常だった。

「あなたはなんでそんなに花に詳しいの」と必ず言われた。「花に詳しいとモテるからですよ」と返せば、愉快に笑った。

「あれはヤマブキですよね」と聞くと、「ヤマブキは散っても、萼が可愛いでしょ、だからしばらくはそのままにしているの」とヤマブキを見つめていた。

咲き終わった花の萼を見ると、美しい笑顔の叔母を思い出す。

石老山(702m)


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最後の登りは階段、これが堪える・・・


金曜日の雪で山はすっかり雪化粧。土曜日に予定していた「石老山」は日曜に順延された。雪は融けていると思ったが、山頂部と北斜面は雪が残り、選んだ下山コースは、アップダウンが多いうえ、滑りやすくて緊張を強いられた。

しかしその辛さも筋肉痛も、相模湖駅前の名店「かどや食堂」で霧散していく。久しぶりにお座敷に上がり、我ら七名、ビールで乾杯して地酒コースに入る頃には、すっかりご機嫌になっていった。

かどや食堂の歴史は75年。地元はもちろん山屋さんの仕上げとなるお店として愛されてきた。以前、お店の人に終電、大丈夫ですか?と云われて、慌てて精算し、フラフラになりながら相模湖の駅の階段を上った。そんなことをお座敷の壁に寄りかかって、思い出していた。


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昔はほぼこんな感じだった

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我々に相応しい名前?山頂は雪が残っていた

三岸節子


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いつだっただろう。札幌の道立美術館で初めて三岸節子の絵を見て、引き込まれた。そして絵に向う生き方にも感銘を受け、いつか岐阜の美術館に行こうと、決めた。

そしてその日がやって来た。聞いたこともない町、尾張一宮を地図で見つけ、電車、バスを乗り継ぎ訪れると、玄関で節子の銅像が出迎えてくれた。館内の方に説明を受け、企画展の「咲き誇れ花々よ」の部屋に入る。

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いきなり代表作「さいたさいたさくらがさいた」に出会う。大きな枝垂れ桜が、額一杯に吹き零れるように咲いている。そのパワーに圧倒される。その他の花の存在感たるや、節子の愛する花たちが、今もその魂を抱いて咲き誇っている。

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好きな絵の一つ「ミモザの咲く山」

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花を愛し、花を育て、絵と向かいあった生涯を思った。久々に静かな時間のなかで絵を鑑賞した。

岐阜城


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一度は、そこからの眺めを体験したいと思っていた岐阜城。標高329m、山頂の天守閣まで四つのルートがあるが、今回はロープウェーで上がった。

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周囲に小山があり、そこにも城があったのかも


先ず長良川が見えて、遠くに木曽川、そして伊吹山などの山並が浮き上がってくる。山頂駅から天守閣までの急坂を登り、最上階に上がると、その眺めは圧巻だった。真下に落ちるような高度感、そして天下を取るとは、こんな気分なのかと思わせる大眺望。

岐阜城は、鎌倉時代から築城が始まり、斎藤道三が整備したと考えられている。その後、稲葉山城の戦いに勝った信長が奪取し、さらに手を加えた。

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よくこんな高いところに築城したものだと、天下人の力と財力に驚く。調査では、この金華山全てが城郭だったことが明らかになった。今度来る時は、もっと歴史を学んでから思いを深めようと思った。

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みんな信長公

犯罪


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今朝のマンションの理事会で、連続して起きた強奪事件が話題になった。マンションだからといって、けっして安全ではないことを感じた。

ある方のお話。マンションの玄関モニター前に立つ、三人の宅配業者風の男から、解錠を求められた。アマゾンのパッケージを振って見せている。これはヤバい!?と思い、頼んでいませんと、断って切ったと言う。

その映像を見た管理人もふだん来ていない宅配業者であると確認。つまり部屋に入り込もうとしたのか、下見をするためにマンション内に入ろうとしたのか、いずれにしても犯罪は近くにまで忍び寄っている。

怖い話は、テレビや新聞の中だけではない。我が家にも起こりうる。日本の安全・安心神話は崩れようとしている!?。


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カラスにしか見えなかった


大きな魚を丸呑みする鳥にオオサギ、アオサギ。そしてカワウ(川鵜)がいる。大きな魚が喉を通過していく様子を見ているとドキリとする。ありえん〜と一瞬、思う。

だから、ありえん〜話を疑わずに、信じてしまうのを「鵜呑みにする」。合点がいく。

メタセコイア?の上から、鳥の鳴き声が続いていた。巣から幼鳥が顔を出している。カラスだと思っていたのだが、よく見ると嘴が黄色い。もしかしたらカワウ?


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餌をねだって啼いている、だが親は意に介せず・・・

デパート


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咲くものがあれば、散ってゆくものもあり。全国のデパートが閉店に追い込まれている。昨日の渋谷東急デパートばかりでなく、帯広市のデパート「藤丸」もそうだ。歴史は、122年。明治33年の呉服屋から営業を続けていたが、売上が低迷してついに閉店となった。

涙を流している人がいた。想い出が一杯詰まっている大切な大きな箱が、無くなるのだ。藤丸で展覧会を開いたことのある友人が、嘆いていた。展覧会を開いたデパートが次々に無くなってゆくと。

デパートといえば、父と出かけ、買い物の帰りに屋上で遊び、食堂でバナナパフェを食べるのが楽しみだった。「マチに出かけるぞ」と言われると、ウキウキしたものだ。

デパートはいつのまにか置いてきぼりになってしまった。
昭和がまた一つ、消えていく。

晦日正月


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一月が終わってゆく。時の移ろいのなんと早いことか。
今日は晦日正月。正月の終わりの日として、蕎麦などを食べてお祝いをするそうだ。つまりひと月の間、正月気分に浸ってよかった時代があった!?。なんとものんびりで、羨ましい。

そしてもう一つは、愛妻の日。「i31の日」だそうだ。
こんな洒落、大好き、でも
これは伏せて、静かに帰ろう〜。

詐欺


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親しい友人(男)のお話。年末に「医療費が24000円、戻ります」の電話を受け、怪しいと思い放っておいたら、再び「少額ですが、受けとられた方がいいと思います」の電話に押され、指定のATMに向う(そもそも間違い)。

この友人、ATMでの操作に疎い。ATMに向っている途中、スマホに連絡が入る。「銀行が混んでいるようなので、コンビニに向ってください、操作を教えます」(ほらきた)。

コンビニ入り、いわれた通り、8000円?を三回に渡って、自分の口座に振り込んでもらう操作をする(おいおい)。8000円を「もう一つ0を」と80,000円?と迷っていると、後ろから「早くすれよ〜!」の声がかかる。慌てて『振込』を押す。

『振込』は「振り込んでもらう」だと思ったらしい(アホかいな)。
これを三回、それも80,000円。つまり24万をとある口座に振り込んだ。

しばらくしてから、銀行から問合せの電話が入る。「少し前に、振込をされましたか?」「その口座は、いま使えないようになってます」
・・・そこで、慌てて詐欺だったことが分かる。
コンビニで後ろからかかった声も、きっと仲間だったのかもしれないと。

・・・あなたね、ATMで振り込んだことないの?

24,000円という少額から始まった詐欺の筋書きに、感心するやら、呆れるやら・・・。人のいい友人は、疑いをもたないタイプ。なんかまた、ひっかかりそうだなあ。

路地


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ふらっと入っていきたくなる細い路地。眺めているとモノトーンの風景に変わって、昭和の人たちが現れてきそうだ。先日歩いた佃島、月島には、路地が多かった。戦前の区画がそのまま残っているのかもしれない。

向かいの家の夕餉が分かり、子供の泣き声が響く、隠せない、隠さない暮らしがある。人と人とはカドが取れて、当然のように丸くなってゆく。住んでみると、居心地がいいのかもしれない、と想像をして、そばのタワーマンションを見上げる。

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タワマンに囲まれた佃の一角に路地の暮らしがある


山渓noteに、久保敬親さんのプロフィールと写真集、小生が制作をした「野生圏カレンダー」が紹介されています。

頬被り


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かつて四阿山で一人、ホワイトアウトを体験した


最強の寒波がやってきた。分かっていたし覚悟もあったが、マイナスの寒さを久しぶりに体感し、寒さへの抵抗力が落ちていることを知った。

夜の新宿通り、都市特有の強いビル風が発生して、一瞬、体が運ばれ、車道方面に押し出された。もし吹雪いていたら、かなり危ない。この日の歌会に、偶然こんな歌を出していた。

あの漁師も
父さんも
吹雪のなか
頬被りするしか
なかったのだ

あの漁師、浜下福蔵さん。
本日、NHK-BS1 19:00〜 お会いできます。


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!?


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見てはいけないようなものを見てしまった。なんだろうこの嫌悪感。サーロインステーキの上に雲丹をのせていいのだろうか。禍々しいモノ。それを外国の若い人たちが、食べている。

創作する人も凄いが、買える人たちも凄い、そして食べる人も。
あ〜やだやだ。負け惜しみではない。

佃島


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タワーマンションに囲まれた佃島。このエリアだけ高い建物がない。徳川家康が入府の際、大阪の淀川区佃から漁民たちを招いたのが始まりといわれている。佃島に入ると、低層住宅の中に、三軒の佃煮屋さんと住吉神社があった。

佃から一緒にやって来た住吉神社、大阪の雰囲気が残っている。今年はいくつ神社を回ったことだろう。参拝後に向ったのが、近くにある石川島資料館。

小さい展示室には、佃島の歴史が満載。時代とともに島がどんどん大きくなっていく様、江戸から昭和にかけて果たした重要な役割などが見やすく展示されていた。

Tさんが、IHIのIHは分かるのだけど、うしろのIは何でしょうと、係りの人に訊いた。するとフルネームの表示を指して、IはISHIKAJIMA-HARIMA 、HはHEAVY、IはINDUSTRIESと教えてくれた。

えっ、Hは播磨のHだと思っていた。聞けば皆、そう思っていたらしい。ひとつ利口になりました。

もんじゃ焼き


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パフォーマンスは

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素晴らしいのだけど


寒さが染みる土曜日、友人らと築地、佃島、月島を歩いて、〆は「もんじゃ焼き」店へ。月島の商店街は、ほぼもんじゃ焼きの店ばかりが並ぶ。なぜだ?
一軒のお店で、もんじゃ焼きを食べ終わる頃、なるほど〜と、ひとり合点がいった。

旨いか否かは、ここでは触れずに、お店にとってのコスパが非常に高い。ミックスもんじゃ(エビ、タコ、ホタテ、塩辛他がそれぞれ少々)を頼んだのだが、主体はキャベツ(芯まで入る)、メリケン粉と水が主成分。原価は、料金の1/10くらいだろうか。

商店主たちは利益率の良さに感心し、次々に商売替えをしていったに違いない。こんな成功を収めた町起こし!?があったんだと、感心した。なんじゃ、もんじゃといいながら、月島商店街は何処も満員。

関西の方に、もんじゃ焼きの感想を聞いてみたい。

寒波とおじさん


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photo by Ranta

先日、氷点下62.4度という想像を絶する寒さを記録したロシア。この強烈な寒波が、もうすぐ日本にもやってくる。じわりじわりと近づく寒さのツナミだ。予想では来週半ばにピークを迎えるという。

以前、冬の蔵王山頂部で、マイナス30度を体験したことがある。息をすると肺まで冷えるような感覚で、ゴーグルを外すと瞬きもうまくできなかった。若かったからか、そんな寒さの中でもスキーを楽しんでいた。

この寒波を吹き飛ばす、熱いレジェンドのお話をいくつか。スキージャンプの葛西選手(50歳)がワールドカップに出場のニュースが入ってきた。予選を勝ち抜いて、ぜひ本戦で飛んでほしい。また、先日はサッカーのカズ(55歳)の契約延長の話もあり、おっさんたちは頑張っている。

昨晩は、全豪オープンテニスで35歳のマレー選手が五時間の死闘、フルセット(朝4時終了)の末、勝利し三回戦へコマをすすめた。その二日前の試合もフルセットで五時間近く戦っている。諦めない勝利への執念。声を出し、鼓舞し、しかし冷静に・・・頭が下がる。

こうしてはいられない、と思っても、何をしていいのやら・・・。

クラス会


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中学時代の仲間三人と新年会で盛り上がり、二軒目は新宿西口の思い出横丁の居酒屋へ。八人掛けのカウンターに四人が並ぶ。ビール2本とわずかなツマミを頼んで、半世紀前を回想する。一人だけが「アンタ」、他は皆「オマエ」と呼ぶあう。いつまでも変わらない。

「そうだったのか」「知らなかった」の話もポツポツと出てきて、壁のメニューを眺めつつ、それぞれの頭には、たぶん同じシーンが浮かんで、やんちゃなあの時間を共有する。

先週のことは忘れても、半世紀前のあの日は、消えることのないページとして、会うたびに繰られていく。

◯◯の日


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今にも吹出しそうな木の芽たち


日々に記念日がある。約束の日がある。
今朝、家人がカレンダーを見ながら「あら、今日はお団子が半額」。ウォーキング中に見つけた、良心的な、そして美味しい小さな和菓子店のお団子半額デー(1本50円)だ。

半間ほどしかないショーケースに、お団子二種類と豆餅、稲荷、饅頭があるだけ。ところがお団子はもちろん、ここの豆餅が美味い。黒豆がふんだんに入っていて、含めば豆の風味が口に広がる。あ〜、丹波笹山のKちゃんはどうしているだろう。

今日は18日・・・もしかして、8の◯◯に、1の串が刺さっているから「お団子の日」?
次回、口べたの店主にソッと聞いてみよう。

発見


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先日の夕暮れに見た不思議な空のコントラスト。自然界に、空に、直線が見えるとは珍しい。
調べても分からなかったが、この現象、きっと何らかの名前があるはずだ。

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ガラスが魅せる面白世界。その(1)は、カイツブリの足。こんな後ろに着いていて、まるで舟の櫓のように推進させていくことを知った。泳ぐ、潜るには最適だが、歩くとなるときっと不自由だろう。

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その(2)はカエルの吸盤。指の先端全てが吸盤になっている。どんな垂直の壁でも平気で登ってゆく。お腹は、アンコ型の相撲取りか!?

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葉のついたミツマタの蕾。この時期のミツマタの蕾は珍しくないけれど、葉がついている種類があるのを初めて知った。

言葉は、初めて知った驚きから生まれたのかもしれない、と思った。

冬の動物園


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「冬の動物園と武蔵野散策」。なんか、文芸作品のタイトルみたいで、名付け親はちょっと悦に入っていた。先週末の吟行歌会のテーマをこれに決め、井の頭公園内にある自然文化園に七名で訪れた。

おあつらえ向きの曇天で雲は低く、開園から直ぐに入ったこともあって人が少なく、まさに冬の動物園の雰囲気がたっぷり。檻のむこうとこちらで見つめ合い、湧き出る言葉を待って、それぞれが二首を詠んだ。

上席の歌を紹介する

遠い砂漠に      いわさきくらげ
住んでいた
フェネックが聞く
ガムの包みを
開ける音

群れの中       渡辺加代子
試しても試しても
お尻の沈まぬ
鴨一羽
見つめる

いつ出てくるんだ   山碧木星
待ちくたびれたよ
ハナコ
象舎を見つめる
錆びた無人カメラ


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アーベンロート


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年が明けてから、良いお天気が続いている。甲高い声がしたので見上げると、ヒヨドリが数羽啼いている高い枝が、まるでモルゲンロートのように赤く染まっていた。

いや、夕日だからアーベンロートか。こんな一瞬にアルプスに染まる山並を重ねてしまう。冬がとくに美しい。雲がないときに見られる現象だ。

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影と歩く、冬の楽しみ

欲望の果て


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藤原新也の「祈り」のなかに、こんな言葉があった。

この自己拡張と欲望の果てに何が待っているのか、その解答用紙に既に答えが書かれている今、

このフレーズの前で立ち止まった。
12月に上の歌を詠んでいたからだ。

ベートーヴェンを藤原新也に差替えたい衝動にかられた。
いま起きているあらゆる災いこそが、その答えなのだろうか。

ベートーヴェンの第九、第四合唱のフレーズの中には

全てのひとは兄妹になる、
進め、兄妹たちよ、おまえたちの道を 喜びに満ちて、勝利に向う英雄のように

とあり、高らかに合唱されている。こんなフレーズを為政者は見逃すはずがない。

1942年4月、ナチスの幹部たちが見守る前で、ヒトラーの誕生日を祝うためにベルリンフィルが演奏をした。その映像を眺めて、いつの時代も変わらないものだとこの歌を詠んだのだ。

藤原新也の言葉に見つけた不思議な安堵、でもそれは答案に◯をもらったうれしさとは違う、苦いものだった。


祈り・藤原新也


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なんとか間に合った。世田谷美術館「祈り・藤原新也」展。もう文明評論家といって良いのではないかと思いながら、彼の半世紀にわたる表現活動の写真、書、絵画を眺め、見つめてきた時間と人への思いを追った。

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インドやチベットの生と死の匂いが濃厚に立ちこめる風景、東北の被災地、コロナ禍の街など混迷を極める今の時代を映しだす数々、もう祈りしか残されていないというメッセージなのだろうか。

ー祈りからー

人の世は変わっても自然は泰然自若として変わらないというのは嘘である。
人間の所業は自らの生活ばかりか自然にまで及んでいる。
頭上の月を眺めながら変わらぬものは地球外の天体かと一息つくも、
頭上の月でさえ着々と人類の足跡が刻まれようとしている。
この自己拡張と欲望の果てに何が待っているのか、
その解答用紙に既に答えが書かれている今、
いま一度沖ノ島の禁足の森の想念を心に刻みたい。


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15の壮大なストーリーから浮かび上がってくるのは、藤原新也というとてつもない人間力だ。感性を極める、実態から目を背けない、とことん表現を探す、絞り出すエネルギー。半世紀変わらずに走り続けている藤原新也にふたたび惹かれた。

写真集を買って出ようとした時、彼が出口にいた。思わず話しかけて、サインをもらった。


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四半世紀前の絵ハガキが引き出しから出てきた

初登り


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当然のように列をなして並ぶ


今年もスタートは高尾山だった。中腹にある薬王院にて、一年間の山行無事のお礼をして、今年の安全登山と、この世がもう少し穏やかであってほしいと祈願した。

お正月の高尾山は、入山規制もあるくらいの混みようだったとか。この日曜日も参道に人が絶えることがなかった。参拝をして、ランチして、そそくさと人の少ない下山コースを選んで、静かな時間をつくった。

下山の途中から、蕎麦屋でのビールの話が出てくる。これはいつものこと。歩いて、そして乾杯と、皆の気持ちが一つになっていくのが分かる。

隊長は、記念撮影をしたり、店に電話を入れたりと、黒子となって準備を怠りないのである。

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ロウバイ


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この寒空のなか、ロウバイが咲きはじめたようです。


龍村仁監督


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正月早々、映画監督の龍村仁さんが逝去された。大自然と生命をテーマにした「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」シリーズ9本を映画製作。「地球はそれ自体が一つの生命体である」という考え方をコンセプトに、多くの学者やナチュラリスト、環境問題や人間の精神性に関心の高い人たちが毎回出演し、美しい映像と音楽が印象的だった。

龍村さんは、私たちの命は「母なる星、地球(ガイア)の命の中に生かされている」という考えのもと、死こそ、生かされていることへの感謝と喜びを呼び覚ましてくれる一瞬、とも言った。

首尾一貫した考え方と高い精神性に敬意を表し、ご冥福を心より祈りたい。
監督、母なる地球は、私たちをどう見ているのでしょう。


祈願


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友人Sの奥様より送られてきた見事な初日の出


明けましておめでとうございます。年賀状を書いて、箱根駅伝を観ていたら、三日間があっという間に終わってしまいました。こうして今年も過ぎていくのでしょうか。

書いた年賀状を投函して、ウォーキングした帰りに、近くの神社で、昨年の平穏に感謝しつつ、地球温暖化のスピードが少しでも遅くなりますように、そして戦争が早く終結しますように、と二つを祈願した。

というのは、元旦の番組、「フローズン・プラネット〜命かかがやく氷の王国〜」で、極北の生き物たちの生態に息を呑んでいたら、後半のショッキングなシーンに絶句してしまったからだ。

それは気候変動による驚く映像。
①両極の氷が溶けだし、氷の上に湖がいくつも露出、氷の隙間を勢いよく流れる川。
②氷河の流れが加速して、海に押し出されて行く大きな氷塊。
③シベリアの永久凍土が溶けだし、発生している高い温室効果をもつメタンガス(CO2の25倍)。
④周回するISSから写された数多くの山火事。

どれも地球温暖化につながっていく映像ばかりで、お正月気分が吹き飛んだ。
防衛するのは、国ではなくて、地球だろう。子どもたちだって分かっていることを、なぜ大人は実行できないのか。

お正月早々、なんか暗くなる話になってしまいました。


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寒空の下、祈りにも力が入る!?

よいお年を


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今年もKさんから可愛い来年の干支をいただきました


今年も30時間を切ろうとしています。一日よりも一週間が、一週間より一ヵ月が、そして一ヵ月より一年が早く過ぎたような年でした。来年はもっと加速するのでしょうか。

コロナが続き、ウクライナ戦争が始まり、日本周辺もキナ臭くなってきて、平穏な日々は続いていくのか、不安になります。

今年も歩キ眼デスをご覧いただきまして、ありがとうございます。よい年をお迎えください。来年もよろしくお願いいたします。


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・「HoshiKurage 5gyoka Calendar 2023」を1000円で販売(限定10部)しています。
ご希望の方は、watanabe@way-s.info
へご連絡ください。

ブラボー


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演奏の終えた瞬間に叫んでいました。コバケンの第九、合唱が終わった瞬間、観客席のあちこちからブラボーの声と大きな喝采が上がりました。炎のマエストロの愛称で呼ばれ、いつかいつかと思っていた小林研一郎のベートーヴェンの九番、ついに聴けました。

冬至


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昨日は早起きをして築地市場へ行くと、雨だというのに外国人が大勢でビックリ。買うよりもサカナクンになってしまい、水族館気分で沢山の専門店を楽しんだ

冬至のことを毎年のように書いている。旅人が峠に辿り着くと、ほっと一息つくように、冬至を迎えると日が伸びていくのだという気持ちを強くするのは、北国育ちだからか。昼間が長くなっていくが嬉しさがある。

昨晩は、冬至の七種(ななくさ)の一つ、カボチャをいただいた。マメイモカボチャ、これが好物なので、冬にかけて甘くなっていくカボチャが楽しみだ。

「ん」の2つのつく食べ物を冬至に食べると「運」がつき、風邪をひかないと云う言い伝えがある。
かぼちゃ(なんきん)、にんじん、れんこん、ぎんなん、きんかん、かんてん、うんどん(うどん)。誰が考えたのだろう。

でもそれを素直に受けとって、ありがたくいただくのも一興だと思う。

星野道夫


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昨日、東京写真美術館で「星野道夫 悠久の時を旅する」を見てきた。
彼の写真は、動物の生態を通して自然と人間の関わりや命の繋がりを伝えてくる。そして彼の紡ぎだす優しい言葉は、誰もの心に沁みわたる。たとえばこんな言葉。

けれども、人間がもし本当に知りたいことを知ってしまったら、私たちは生きてゆく力を得るのだろうか。それとも失ってゆくのだろうか。そのことを知ろうとする想いが人間を支えながら、それが知り得ないことで私たちは生かされているのではないだろうか。

麹町歌会


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「ホシくらげノ會」カレンダーが出来上がります


昨晩は、今年最後の歌会でした。麹町歌会。家族、親戚が集まったような心和らぐ気持ちになるのはなぜだろう。と、帰りの電車で、三次会までご一緒のOさんと語り合えば、個性豊かな人たちが、お互いを認め合えるからでは・・・となった。

歌会という小さな社会ではあるけれど、人の集いは多様性が大切なのだと思う。それぞれが何らかの形で繋がり、支え合っているのだ。

一つの社会詠からヒントを得て、こんな歌をつくってみた。

米軍は
ハリガネムシか
岸田カマキリ
突然
防衛  増税

分かる人は、かなりの生物好きかも。

これも追加。

マッチ摺れば
また一人
消えていく
大臣、議員
なに 灯すこともなく